スイス、ベルン市にあるレストランカジノの日曜日、午前11時、昼食の前に調理部のコック全員がグランシェフのシュミッツ氏を囲んで集まっている。手に持っているのはアペリティフ(食前酒)である。ペルノー酒に氷を入れ、それぞれの好みで水で割って、マットラー棒で軽くかきまぜてある。シェフがなまりのあるスイスドイツ語でゆっくりと静かに話をしている。私には、何を話しているのか分からないがまわりのコック達が祈っているような雰囲気なので自分もじっとグラスの中のとけていく氷をみつめる。シェフの話は、2分ほどで終わると「グロント」「シャンテ」「チンチン」などと、自分の国の言葉で「カンパイ」の声をかけあい、軽くグラスとグラスを互いに近づけあいふれさせると、アペリティフを「ぐいっ」とあおるようにのんでセルフサービスの列に並んで料理をとり食卓につく。
ご存知、ぺルノー酒はアルコール度40度。いくら氷水で割ったとはいえ強い「のみもの」である。食事をしているうちに段々とよい気分になってくる。アルコール好きにとってはこの酔いが云い知れぬ
快感であるが、仕事はこれからである。早めの昼食をとってお客様を迎えるわけであるが、昼間のアルコールに慣れぬ
私は、もう耳まで真っ赤である。動きも鈍く、オーダーが聞き取れずシェフの両手をあげてオーバーな「お手上げ」ジェスチャーのオンパレードとなる。この一週間着実に築き上げた私の仕事の腕前も、この一杯のアペリティフでもろくも崩れ落ちてしまった。
次の日曜日、前回の失敗にこりて、今度は水で薄めてみた。本来、アルコールが好きな私には物足りない味となる。やはり、ちょっとよい気分にならなければアペリティフじゃない、などと勝手に理屈をつけて、となりのアポシンティ(見習い)の持っているグラスと取り替えてしまい、結局今週もほろ酔いスタートとなる。相変わらずシェフの「どなり声」が飛んでくるが「こちとら日本男子、江戸っ子じゃないが少しは血が流れているんだよ…このくらいのいじめ(?)にゃ、へこたれないよ」…この意気込みでトライするアペリティフは、回を重ねるごとに自分にとって本当に気持ちのよい「のみもの」となっていった。
ぺルノー酒は、どちらかというと安い「のみもの」で一般
的な「のみもの」である。氷を入れるだけの「ロック」で「のむ」のが通
であり「これぞ男だ」とばかりに周りの人も一目(いちもく)?…おくようになったのは、渡欧して3カ月の仕事を覚えるより早い出世であった。仕事もそうであったが外国人「とくにドイツ人や北欧の人たち」に比べ体力的に劣っているためアルコールに対しても負けているようで、実に情けない気分であったのも酒量
が増える原因であったのかも知れない。
職場でのアペリティフは食前酒として、また神への感謝と今週一週間元気に仲良く皆で働きましょうという意味での「カンパイ」なのだが、当時の私には全てが戦いであった。アペリティフで鍛えた腕前(?)は、日常の食事時のワインにも発揮され、昼と夜の食事には必ずいただくようにした。外国生活が長くなると仕事中にも水代わりに「ビール」をのむようになる。とくに2年目ぐらいからローティサー(炭火で肉を焼く人)の係りになると、炭火を前にしての作業なのでなおさら「ノド」が渇く、ビールをのむ、吹き出すように身体全体から「アセ」が出るのでまたビールをのむ、このくり返しである。スイスのビールは軽いので(アルコール度数は同じであるが…)アルコールをのんでいる気分はない。慣れから来るので飲酒での仕事という感覚すらおきないのである。アルコールに対して随分と強くなってしまったようだ。
渡欧中の5年間、アルコールを友として親しんで帰国すると我が身体にある変化が現われだしたのである。日本に帰国すると昼からアルコールをのむことはない職場では、アルコールを売るが、コック達はのまないのが当たり前である。のみたい気分を押さえじっと我慢をするわけであるが、アルコール依存症になっている為、いろんな症状が出てくる。気分的にいらついて、やたらおこりっぽくなってくる。手先が震えて字が描けない。完全にアルコールなしでは元気が出ない身体になっていたのである。
約一カ月ぐらいの「とにかくのまない」「身体を動かす」など、ハードな自分なりのリハビリを続けたのである。その甲斐あってそれぞれの症状が出なくなってきた時には、安堵の胸をなでおろしたのである。私の場合、赤ワインの飲む量
が少なかったので比較的軽かったようだ。前後して、私達の仲間は帰国をしたが体質的にもよるだろうが、かなり苦労をした人もいる。
レストランでは、食事をなさるお客様に当然のようにワインをはじめ、アルコール類をお勧めしているが何でも「ほどほどに」が大切なようである。
|