R市の市長さんに「イマイシェフ、おいしいってことはどういうこと?」と質問された。
会話での冒頭でいきなりこう話しかけてきたので戸惑いながらも「お腹を空かせていればおいしさがわかりますよ」私の返事に市長は明らかに何か反論がありそうだったが、話題は別の方向へとうつっていったので、それ以上に「おいしさ」についての話はとぎれた。その後、市長とは逢うこともなく、この「おいしさ」についての話しを機会があればもう少しつけ加えたい気持ちだけが残っていた。
満腹のときは食欲がみたされ過ぎているので「味」に対しては何の感情も湧いて来ない、舌の感覚も鈍り身体全体が「もう何も食べれません」と拒否の反応をする、これはもう「おいしさ」とはかけ離れたいわゆる苦痛でしかない食事になってしまうのである。
※写真はイメージです
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職業柄、フランス料理を食べるときはなんとなくその料理が気になってしまい、よほど「おいしく」ないと「ダメ」の判定をすぐに出してしまう。和食、中国料理のように気にせずリラックスして食べればよいのだろうが、つい材料や味付け、そしてお皿への盛り付けなどが気になってしまって「おいしさ」の気分から遠ざかっているのである。残念なことだがまだまだ続きそうである。
私には食事をすることが苦痛だという経験がある。フランス・マルセイユに旅行したのは渡欧して2年目のバカンスであった。マルセイユの港に3日間滞在した。目的は本場マルセイユでヴイヤベースを食べることにあった。出来るだけたくさんの店でヴイヤベースを食べておこうと2日間で8軒のレストランに行きヴイヤベースを食べた。
ヴイヤベースとは魚料理。サフラン、オリーブオイル、ニンニク、トマトが入り、どろっと他の野菜を煮くずして作るのであるが「味」がわかったのは最初の1軒目で、続けてその日は4軒の店で食べたのである。1日目はどうにかクリヤーしたが2日目の4軒のトライがつらかったのである。
胃袋が受けつけなくなる。レストランの入り口を入っただけでその症状が出るのである。もうこうなると自分との戦いである。せめてもう1軒「味」を確かめたい、「味わう」のではなく「見てみたい」、この気持ちがついに都合8軒の店のヴイヤベースを食べたのである。3日目はホテルで何も食べずひたすら薬(胃薬)を飲んで体力の回復を待ったのである。
これほどまでしてヴイヤベースの「味」をみたかったのは、スイスに出稼ぎに来たフランス人コックが、スイス人コックのつくったヴイヤベースに「ケチ」をつけたからである。フランス人コックは、「地元マルセイユではそれはすばらしい味のヴイヤベースがあり、これを食べなければヴイヤベースを食べたことにはならない」と自慢したのである。「それも1軒じゃダメだ、せめて5軒は食べないとヴイヤベースの話はするまいぞ」と強く私にむかって吠えたのである。私は「吠える奴」は大嫌いだ!犬もしたがって好きではない。それが原因となると大人げないが、当時の私は全て戦いであったのだ。
メロメロになりダウンして食べたマルセイユのヴイヤベースは「おいしい」のではなく「苦しい味」だけが印象に残った。
帰国しても私のメニューの中にはヴイヤベースはなかった。どうにか平常心でヴイヤベースがメニューに載せられるようになったのは2年ぐらいかかったような気がする。ヴイヤベースの食べ過ぎによる拒食症「おいしいものを求めて」いくと食べなくてはならない、食べることは苦痛なのである。やはり「おいしさ」とは「お腹が空いていること」これが一番の条件なのである。
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