古い建物の2階で紹介状を渡し、年配の事務の女性から「コック」としての会員資格らしい書類を作成してもらうと、「会員」になれた嬉しさがこみ上げてきた。 渡された会報のページをめくると、そこには白黒であったが料理の写真があり、その料理を作った調理場の写真が載っていた。「Oホテル」「Nホテル」などが紹介され、何回かその名前は聞いたことのある料理長の顔写真が大きく載っていた。 この日が「コック」としての記念日となる。今までの自分は小さな職場の中で料理をつくることだけに熱中し、料理界の事は何ひとつわからなかった「井の中のカワズ」であった。たまたま先輩の持っていた「会報」に興味を持ち、その「会」に入会すると「コック」の勉強ができると教えられ、紹介状を書いてもらって「事務所」を訪ねたのである。 「協会」では「フランス語」を教えてくれるということを知ったのも大きな収穫であった。月に一回行なわれる「フランス語教室」に参加することができた。山本直文先生とのお付き合いは、このようにして始まったのである。 「勉強会」の出席者の半分は女性であった。大学の家庭科の先生方で気品があり、インテリであった。残り半分はコックである。語学を勉強しようと集まったコックたちは、今までの自分の周りにはいなかったタイプの若者たちで、教室は「やる気」でむせ返るようであった。 コック達の勤めているホテルやレストランは、業界のトップクラスであり、その職場で働いている人たちには輝きがあった。生徒さんたちの質問は、料理にしても、またフランス語になっても、その内容は高度であり驚くと同時に、カルチャーショックを受けたのである。 山本先生はすばらしい人であった。このような方が業界のために「お力(オチカラ)」を貸してくれるということは(「全日本司厨士協会」……このころ富友会が中心になり、全国のコックの会がまとまったのである…会員数約2万人…)ありがたいことであった。 月の一回の「フランス語会話教室」は実に楽しく、その日が待ち遠しかったのである。フランス語は、英語も中学で習わなかった自分にとって大変難しく手におえないものであったが、山本先生のフランス語を通して話してくれることが、全て勉強になったのである。先生の発音される単語のひとつひとつがきれいなリズムになっていて、フランス語の言葉はわからないが、親しみを感じたのである。 途中で休憩時間があるが、全員が席から離れないで先生との雑談にお付き合いをするのであった。パリの市場の話、セーヌ川、高級レストランでの食事の話など、聞くもの全てが身体をゆする程「興奮」させたのである。 「若い君達は、ぜひ本場のフランス料理を見てくることだ」、「フランスに行きなさい」。
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