我が身辺は急にあわただしくなってきた。 「なに…ヨーロッパへ行くんけ…何をしに。料理?食べに行くんかい…」 なにしろ、この当時はヨーロッパに行くなんてことが簡単ではなかったため、書類のために電話をした私と役場の係りの人との「かけあい漫才」は続く… 時間はかかったが、無事パスポートに必要な書類は集まった。 そんなあわただしい日を迎えている時、協会より「エスワイルさん」の歓迎会に出席せよとの通知がくる。 ワイルさんは、横浜ニューグランドホテルの料理長として20数年間在日され、その後スイスに帰国。このほど当時の弟子たちがエスワイルさんを日本に招待をしたために来日。この歓迎会に「青年司厨士派遣員」は出席して「アイサツ」をしておきなさいとのことであった。 スイスの「ホテル協会」が、日本の若いコック達を研修・留学させ、スイスにおいての身元を引き受けるということは、このエスワイルさんのお力添えによるものであった。その説明を当日、会場となるホテルのロビーで聞いた時は身体が震えるほど「キンチョウ」したのである。 「マッテテネ、ダイジョウブ。スイスデベンキョウデキマス」 この時のエスワイルさんの言葉は、一生忘れることのできない程、思い出として残っているのである。 外国人と話をしたことのない自分にとって初めての経験は、このワイルさんの言葉が日本語として聞こえなかったことである。 協会からTホテルのK氏を紹介してもらい逢いに行く。K氏は、先日までスイス、フランス、イギリスとまわってきたので「話を聞いてくるように」とのアドバイスであった。 K氏は「そうだなー、スイスは朝9時になっても暗かったな」「それから寒かったぜ」という言葉に、私のノートにはスイスは9時まで暗い、寒さはとくにきびしい」…と、メモ書きをしたのである。 今なら考えられない程、スイスについての知識がなかったのである。本屋に行っても調べるほどのガイドブックがなかったのである。
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