レストランの調理場は、地下にガルマンジェ、エコノマ、パティシエリ、社員食堂があり、レストランの調理場は1Fにある。一部のソースやスープなどは地下でも仕込む場所がある。ワイン倉庫は別な建物の地下にあり、その入口までトラックが横づけする。 調理場のオーブンは大きく、電気による熱源なので「ガス」による調理をしていた自分にとっては少しばかり気になるところである。オーブンを真中にしてソウシェ係とアントレ係とにわかれている。秋岡さんはソウシェで河崎さんは同じ部所に入り、私はアントレ係である。 それぞれの部所にシェフがいてその下にコミがいる。コミの下が見習いになる「アポランティ」がいる。日本人3人の資格は、コミ、ドゥキュジュエであるから、いきりなり調理場の中心であるオーブン前に立たしてもらえるのも、エスワイルさんの「おかげ」である。 グランシェフのシュミッツさんは細身で背が高く、目がするどくめったに笑わない。約30人のコックたちのトップの地位にある貫禄のため、怖い感じがする。 ソウシェのシェフを兼ねているスーシェフのルーフさんは、その名前の通り動物のように動きまわる人だ。たえず身体が左右にゆれている。その揺れの中から次の動作に移るため、動きが早い。地下から一階への階段は、ほとんど、上がってくるというより飛び上がってくるようなスピードがある。 レストランの「オーダー」が入ると、グランシェフがその注文を読み上げる。この「オーダー」を聞くと、いっせいにコック達が動きはじめる。グランシェフの「オーダー」の読み方は、まず初めがドイツ語、次にゆっくりと「フランス語」で言ってくれるが、初日の私と河崎さんの動きはまことに頼りないのだ。そばにいる秋岡さんが「日本語」で訳をしてくれるが、「オーダー」が混みあってくると、もう二人はパニックになってくる。頼りの秋岡さんまでもが離れていってしまうと、さらに「ウロウロオロオロ」なのだ。 グランシェフの声を少しでも聞こうとすると、ドイツ語なまりの「フランス語」がめずらしい発音であり、今までに聞いたことがない言葉に聞こえてきてしまう。私の部所のシェフは、ドイツ人のヘルベートさん。おっとりしていて動きは、スーシェフのルーフさんとは正反対。そっと耳元で話しかけてくれるが、わからなくても「ヤーヤー」と言って答える。まわりのコックや見習いたちが動くのを見て動くという動物的な勘を働かせての仕事が始まったのである。 ドイツ語はやたら語尾がノドにひっかかるようにして聞こえるので、エコノマに「カトフンストック」をとりに行ってくるようにとのシェフヘルベートの言葉に、「それなんですか?」という顔をしたら「カゴ」の中に入っている「じゃがいも」を手に持って「これだ」と言うように目で合図をしてくれている。そうか「カトーフンストック」は、じゃがいもか、フーン…「カトチャンだ」これからは「カトチャン」で覚えておこうと、ひとりごちながら、エコノマへとんでいく。 エコノマの係は、ちょっと年配だが銀髪の美しい女性が「イス」に座っていた。あの「カトチャン」じゃない「カトーフンストック」を、「ツワイキログラム、ビッテ」とさっそく習いたての単語を並べてみた。「△×△×△×」なにか話しているが分からない。目と目をみつめあって、お互いに「困ったもんだ」…とその目が話しているが、どうすることもできない。銀髪のアネゴは机の上の電話をとり、たぶん「アントレ」の職場に聞いてくれたのであろう。「ヤーヤー、フフン、ヤボル」という会話のあと電話を置くと、エコノマの次の冷蔵庫の中から「じゃがいも」をとりだしてきて「カゴ」に入れて「さあ、どうぞ」と手渡してくれた。サインをノートにして「ダンケシャン」「ビテシャン」で美人に見送られてエコノマを後にする。 「じゃがいもを2kgくださいよ」という言葉が通じなかったくやしさに、ちょっとしおれた心に「ハッパ」をかけて職場へともどっていった。 後日わかったことであるが「じゃがいも」の種類があって、それを彼女が「確かめた」のであった。23才の日本人男子、たかが「じゃがいも」のお遣いに初めからつまづいているのであった。
|