食事のとき一緒になった秋岡先輩にその点を聞いてみると、「はっきりと訳さない方がよいよ」「日本語に訳すると、とても平常心ではいられなくなるぜ」。そう説明されると、なおさら聞きたくなる。 ようするに「バカヤロウ」に近い言葉らしいが「オマエワバカナノダ」「ウスノロナノダ」「ヘマオスルナヨ」という具合に訳をしていれば腹が立たないんじゃないかなーといかにも平和主義をモットーとする先輩の説明であった。 「気にするなよ」という割には、秋岡先輩の「バカヤロウ」という日本語が時々聞こえたのは「空耳」であっただろうか… 仕事が慣れるにつれ、河崎さんも「コノヤロウ」というひとりごちが多くなってきた。日本語が聞こえると、3人は顔を見合わせて「まあまあ」という、なぐさめのまなざしを送るのである。言葉がわかればこの気分を救われるだろうが、自分の意思が伝わらないといういらだちが日毎に多くなってくるのだった。 秋岡先輩すらこの「なやみ」をぶつけるところがなく、あえて「フランス語」を「口から言葉として」飛び出させて「ウップン」をはらしているのであろう。秋岡さんは酒をのまないので、私と河崎さんの二人は、もっぱら「ビアホール」に行って「うさ晴らし」をするのだった。「ビアホール」のウエイターとも顔なじみになり、私たちが座るとだまっていても「大ジョッキ」が運ばれてくる。「グロスト」(カンパイ)と言って片目をつむってくれる。その仕草にどこか愛嬌がある。こんな「もてなし方」をされると、自然と仕事中のあの「ダメヨ、コノヤロー、シッカリセーヨ」の言葉も忘れてくるのであった。酔うほどに、のむほどに、スイスにやってきたのだ…という自覚がわいてくるのだった。 私たちは日本で8年間調理の仕事をしているわけであるから、その仕事の内容がわかれば、あとはほとんどスイスの「コミィ」と同じように働くことができる。料理によっては、それ以上の料理をつくることができる。この中途半端なところがいけないのかも知れないが、自分の気持ちを落ちつかせるには、河崎さんという良きパートナーがいてくれるから救われるのであった。一人がおこれば「まあまあ」といってなぐさめてくれる相棒がいることは心強いことであった。 スイスに来てから10日もしないうちに、私たちには二人の仲間が加わった。 カジノレストランの近くにあるベルビュパレスホテルに来ている野中さんと中西さんだ。私たちより3ヵ月早くスイスに来ていた。この二人は、まったく異なる性格の人が選ばれてきたといえるぐらい行動も考えもちがっていた。この「4人」が一緒になってのスイスの生活は楽しくもありトラブルもあったりして、ますますエキサイティングしていくのであった。
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