毎日のように会っている中谷さんと野中さん、河崎さんと私は「車」を買おうということになった。 ベルンの町の中は市電も通っているので「車」は必要なかったが、共同で購入して使用すれば安くすむということで、イタリアの車フィヤット500を買うことになった。私と中谷さんは免許証を持っていたが、野中さんと河崎さんは「スイスの免許証」をとることにして、そのためには「小さな車」がよいだろうということになった。 いざ運転するとなると、日本とは運転席の異なる「左ハンドル」は「キケン」がいっぱいである。角を曲がっていくと目の前に対向車があったりして「ひやり」とする。対向車に何度となく「どなりつけられ」、少しずつ慣れていった。 慣れてくると「運転出来ない」二人のオーナーから「どこかにドライブせよ」とリクエストがある。始めは近いところ、慣れた道路でのドライブであったが、ベルンの市外へと出かけるようになった。
性格のおとなしい中谷さんはあまり自分から運転することはなく、後部座席でおとなしくしているが、「運転免許」のない野中さん、河崎さんは「思いが通じない」もどかしさに早速「運転免許」をとるための手続きをしてしまった。 結局この二人が免許証をとれたのは、1カ月ぐらいかかったのである。 幸いにして「休日」が「バラバラ」なので「愛車」のうばいあいにはならずそれぞれが必要なときに「ドライブ」に出かけていった。 「免許」をとったばかりの野中さんは、どうしても「チュリッヒ」に行きたいので「行ってくれ」と私の「休日」にわざわざあわせてとり、二人で出かけたこともあった。 「市内走行」の場合は「スピード」ひかえめであるが、「チュリッヒ」までの「ルート」となると、ときおりすれ違う車や追い越していく車の130kから180kのスピードには「おどろき」であった。 野中さんは私たちの「愛車」が「スピード」のでないのをくやしがり、「追っていけ」「それ、150kぐらい出せよ」と助手席でぐちっているが、「500cc」の車のスピードはせめて100kぐらいである。 それ以上スピードをだそうとすると、「車」がぶれるような感じになるので無理ははしないようにしている。ところが事故にならなくともあぶない目にはなんどかあって、あと止まるのが一秒おくれたらとんでもない事故につながったことであろうと、その後おもいだしては寒気がしたものである。 その日も助手席には野中さんが座っていた。前方を行くトラックのスピードにあわせて、80kぐらいで走っていた。話しにも夢中になっていて、トラックが止まったのを確認したのがおそく、急ブレーキをふんでどうにかぶつからずに済んだが不幸中の幸いでトラックの下に入り込んだために助かったのである。後部が高かったのと、こちらの車が小さかったから事故にならなかったのである。 当時の日本は、まだ東名高速がなかったので、その走り方も知らなかったのだからあぶない話である。 |
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