2018.07.26
NA

2018.07.26
名前
イタリアで過ごして一番に印象的なのは、自己紹介後に必ずと
言っていいほど「あなたの名前の意味は?」と聞かれることです。
他の国で過ごしたことがないのでイタリアだけそういった習慣
があるのか,他の国ではどうか?は分かりませんが、榊原弘盛や
由貴乃・・・日本でもうちら二人どうやって書くんですかって
名前なのにそれを日本語の意味でイタリア語で説明するのは
無理!


若い頃の自己紹介の一節はこう。(日本国内でさえこうでした。)

※榊原の榊ってあの葉っぱの神社などに…えっとその榊で。
原っぱの原で。えっと榊原郁恵ちゃんの榊原です。それから
名前の方は弘盛で。ヒロは弘法大師の弘です。で、うち普通の
家ですが、じいちゃんから男3代弘”がつくんです。じいちゃん
が弘明。親父が弘彦。で自分が弘盛。で。前親父に俺もし自分の
子が男の子が出来たら弘”は付けんで!なんか。・・・そう
いうのやだから。って言ったことがあって。盛は母ちゃんが
鹿児島県なので西郷隆盛から盛をいただいた。んだってイタリア語
にもできませんし、しても意味通じんし・・・。

由貴さんもおんなじで、イタリアついたばっかで二十歳
そこそこで東洋のかわいらしい女の子だったもんだから
よく自己紹介の時に名前の意味を聞かれて苦労していました。
由・・・自由のゆう。
貴・・・たっとぶなんて日本語でも意味難しいのにです。
乃・・・乃木坂の乃。もしくは乃木将軍の乃ってのもないで
しょうし。


そんなこんなで、自分たちの子供ができた時には日本人
らしい名前にしよう。と言うことと、翻訳できる名前にしよう。
という二つの条件を満たす名前。+オプションで女の子では
子”か美”がつくような名前がいいなあ。事実ぼくの
同級生はそんな感じで今聞いても響きがいいし、50年後でも
古びず、女の子らしいんじゃないかと。


長女奈津美・・・初めての子で女の子だったので響きのいい名前
を二人して選出して共通した名前がこれで、イメージの漢字を
当てていって決定。

次女可南子・・・南に可能性が向くように育ってくれるように
願いを込めて。(由貴さん選出)実際の彼女は、【可】が可能性と
言うより不可思議の【可】の方がいいかもな育ち方をしていますが。

三女千春・・・イタリア語に直訳するとmille(1000)primavera
(春)で、milleはイタリアではいい意味でたくさんの意味もあり
春は華やかな印象、ちょっと飛躍させると幸せの意味も含ませて。
(由貴さん選出)
で本題。Frascatiにしたきっかけ。当時(20年前)東京では
もうすでに本格的なイタリア語表示のレストランテができ始めて
いましたし、イタリアに本店を置く有名店サバティーニや
エノテカ・ピンキョーリとかがありましたが、今ほどネットなどの
情報やもっと言えば今の様に1億総グルメ時代の前夜にもなって
いない時代です。当時のイタリアレストランの名前のイメージは
メルカート”(市場)ポモドーロ”ペペローニ”(パプリカ・
ピーマン)極端に言うとそんなイメージの時代。


お店のオープンが近づいてくるにつけ肝心の店名が決まりませ
んでした。一つ候補だったのがIL piccolo Sole”。二人での
研修先のAlbergo del Sole”のフランコさんに帰国に際して
二人の将来の夢であるレストランの名付け親になってください
とお願いして着けて頂いたのが先の名前でしたが、僕にとって
あまりにも大きな名前(ただpiccoloが間に入って入るものの
ですが。)の大きさに自分が当時ひるんでしまって付けること
ができませんでした。


とは言え、差し迫ってくるオープンに際して店名が決まらないと
ロゴに始まり事業所の印や印刷物一切合切始まりません。

結構逆算して差し迫ったころ由貴さんに言われたひとことがあり
ました。「あなたがこれからお店をやっていくに際して一番思い
がある場所とか物とか人とか居たりするでしょう。」と。
正直当時フラスカティと言う名前が一番ではなく、とはいえ
それ以上これと言ったイメージの伴うイタリア語の語彙も出て
こず、言い回しがイタリア語らしくなればなるほど、当時では
店名としては現実離れしていくように思われました。

現にフラスカティとして起動し始め、買い物をして領収書を
いただくときも年配の人ならまだしも、それなりに若い人でさえ
え?…カタカナですか?ってのならまだしも聞き取ってもらえ
なかったりいろいろありましたけれど、20年もたつと自分と
しても愛着はもちろんわきますし、今自分が向かっている料理
についての考え方やアプローチの仕方のベースを肌で感じ
ていた場所ってやっぱりフラスカティでの生活ってかなり
大きな部分を占めていたんだといまさらながらに思わざるを
得ません。


名前の方に寄っていくもんだとこの頃つとに思います。


でもカタカナですか?って言われた時にいつも心の中で
どうやって漢字で書くんだ!っていつもつぶやいていました。
で。ちょっと考えてみました。不羅酢嘉亭?昔のヤンキー
みたい?

2018.07.07
Asino ロバ
数年前に解禁されたイタリアからの四つ足の食肉の輸入。
知らぬ間にこんなディープな食材も輸入されていました。


ロバです。もちろん初めて使います。

イタリアでは一度お店で煮込みにしたのを見たことがあり
ました。ローマに居る間には一度も見たことがなかったので、
地域性がある食材であることは間違いありません。


お店で使ったのを見たことがあったのはロンバルディア州
マレオ村のRis,Albergo del Sole。その奥に位置する
ピエモンテ州でもロバを使った料理があるのを聞いたことが
あるのでイタリアでもロバを食べる習慣があるのは北部に
限られるのでしょうか? 
取引先の担当の子から、実はロバが入るのですが・・・。
って案内され、先日仕入れたロンバルディア産馬肉骨付きロース
のクオリティーの高さにびっくりしていて、その直後の提案・
案内なので信用できる情報と踏んで仕入れてみました。
質のいい赤身の肉、焼くとこれがまた説得力のある味になります。
塩だけでガーッとフライパンで焼いただけ。




すいません途中です。

2018.05.23

2018.05.18
AIRE MAIL
久しぶりにイタリアの友人にエアー・メールを投函してきました。


ほんと。つたないイタリア語で語彙も少ないので。
ちょっと苦手。でも旧友からの手紙はやっぱりうれしいもの
と言う思いに駆られて。

当時お客さんから勤め先のレストランに届くはがきを見せて
もらうとどのはがきも一様にSaluta mi tutti、 CIAO!
CIAO!”(みんなさんによろしく。チャオ!チャオ!)と、
いたってシンプルに書かれていました。
以前来店してくれたイタリア人に教えてもらったtripadvisor。
イタリア版食べログと言ったサイトでしょうか。

日本で出版される料理書、最近眺めていてもピンときません。
写真もきれいに撮られてはいて、値段も買いやすい値付け
ではあるものの・・・。

で最近時間があると自分にいわれのある土地土地の【ウ migliori
ristorante ○○○】で検索をかけて当時行ったことのある老舗の
レストランの近況を眺めては、やっぱ美味しそうだわ。こてこて
ローマ料理じゃん。まだなんだかんだ言ってもこういったまっとう
な料理を出し続けている店も都会にもまだ結構あるじゃん。と。
ニヤニヤしています。そこには今現在のローマがあります。


で。先日ふとしたきっかけで、以前夫婦で暮らしたマレオ村の
隣にあるPIZZIGHETTONE(ピッツィゲットーネ村)を検索して
みると当時の同僚Giacomo(ジャコモ)とCremonese(クレモネーゼ)
の写真がヒットしてきました。25年ほど前に彼らとうちら夫婦が
働いていたマレオ村にあるAlbergo del Sole を知る東京の
知人から、あの二人がお店を開いたよ。先日行ってきたの
だけれど、なかなかやってたよ。と。10年ほど前になりますか
話は聞いていたのですが、すっかり抜け落ちていた記憶が一気に
つながり。・・・ほんとにパソコン、インターネットを使い
こなせていなくて自分でも情けないくらいですが、久々にこれは
ヒット!元気をもらえました。それに、古い仲間が皆現役で
頑張っていると思うと、こっちも負けてられんよなあ。って。
嬉しくなって、ペンをとりました。



ほんと。ふとしたきっかけで再開(10数年ぶり)をした
のですが、いつか家族で彼のお店DaGiacomoでひと時を過ご
せたらと思うと急に開けた気持ちになれました。


ある時、自宅にいる時にイタリアの話になり(割といつもなの
ですが)、子供達がイタリアに行きたい。ってなり。じゃあ。
それぞれ頑張って働いて行って来れば。って由貴さんが言ったら。
「ちがうんだって。」「え?」「みんなで行きたい。」
家族そろってイタリアに行って過ごしたいって、子供たち
にそろって言われた時にはさすがにちょっとぐっとして
しまいました。いつ実現できるかは分かりませんが、
出来ればうちら夫婦の過ごしたい思い出のある土地で
若かった頃を思い出しながら家族で美味しい地酒の
ワインなんかを酌み交わせたらどんなにいいかって思います。
勿論このPIZZIGHETTONE村は候補の筆頭になりました
夢を叶えるために頑張らんといけません。


2018.05.11
料理講習会の試作
Olive Ascolanaオリーブの肉詰めアスコリ風”
Brschettaブルスケッタ”
Pizza al taglioピッツァ”

2018.04.26
古い写真集
フラスカティに移り住んだころ偶然町はずれのpiazzaで
古本屋が店を出していました。

当時研修費としてお店からお給料をいただいていました。
(40万lira・約5万円ほど)ホテルレストランだったので、
コックコートや下着以外の身の回りのクリーニングは
やってくれましたし、仕事の日は賄いがあったので、
毎朝BARでのカプチーノ代。休日の食費。車とスクーター
の維持費が一か月の必要経費。病気、けがはしない。
夏はLevi`sのTシャツ3枚セットを1パック。ポロシャツ一枚。
で伸びるまで着倒してやり過ごし。ジーパンはLevi's
一本破れるまで履きたおす。ジャケットを持っていなかった
のでレストランの高級店には冬は行かない。

で生活をなんとかやりくりして、手元に残ったお金で
自分に投資をする。

@ワイン
Aイタリアの料理書
B観光を含むレストランの食べ歩き

とは言え、限られた収入のなかの限られた残金なのでほんとに
頭を使って取捨選択をしてきました。ワインにしても普段は
フラスカティの地酒…ただこれも日本では飲めないものなので、
節約と言うよりもここに住む限りは地元の人とおんなじ物
を飲む。少しでも彼らの食生活に近いところにいる。と思って
お昼・夜の賄。午後近所のOSTERIAでフラスカターノ
(フラスカティ弁)を実地の地元のおやじさんと地酒を酌み
交わしながら語学勉強も兼ねての週二三回の酒場通い。
仕事を終えて自宅で晩酌と。都合一日1ℓ×365日=365ℓ!
そうでもしないと短い研修期間で地元に溶け込むことはできない
と考えていました。その合間に有名何処の高級ワインを奮発して
購入して勉強していました。

料理書もA TAVOLA”と言う月刊誌なまだしも、綺麗な装丁で
料理写真の多いハードカバーの書籍は当時でも5000円近く
していたので何度もローマの書店に通い吟味に吟味を重ね
数か月に一冊購入。

食べ歩きにしても一人ではレストランに行っても味気ないし
そんなにしょっちゅうは行けないので、ここぞと決めた
店があると、近郊で修業している日本人の友人と休日を
調整してほんとにたまに、満を持して勉強に行く。
せっかくなのでワインも一流のものをチョイス。

お金は全然なかったけれど、どうせないんだから中途半端
に残して帰っても仕方ないし、こんなチャンスは今だけなので
その持っているお金の中で目いっぱいのことを自分に詰め
込んで、吸収して帰ろうと。それだけでイタリアの5年間が
ありました。


今は当時思った通りで、なかなかイタリアには帰れませんが、
今思い返してみても結構それなりに引き出しに詰めて帰って
これたんじゃあななかったかと思います。若いころには
気付かなかったことも多かったですが、時間を経て思い出の
引き出しを開けてみるとあれやこれやと記憶が甦ってきます。

こうして当時買った古い本をいま改めて眺めたりするとその頃
のことを思い出しますし。

あの頃やってきたことは間違ってなかったんじゃあなないと。
今になってつくづく思います。
長々と書いてきましたが、この古い写真集。1930年から50年
までの間にANTONIO SEMERANOと言う名前。MARINO ei 
Castelli Romani”という写真集です。いまから32年前に
購入時点で古本して扱われていて、今から80年ほど前の
この地の風俗を記録した古い写真集です。




2018.04.26

2018.04.26

2018.04.12
pizza da taglia
これを5月の料理講習会でやります。


結構自信作!いい感じに仕上がりました。
pizzaの思い出。


お店を始めたころは、イタリア料理ブームとは言えまだまだ
パスタとピザ!という方も普通にいらっしゃって、「やって
ません。」と伝えると「なんでイタリアンなのにピザもないの。」
「・・・」

自分が過ごした`85年ころのイタリアは、何人かの今でこそ知れ
渡っているPIZZAIORO(ピッツァ職人)を目指し、ピッツアを
習いたいと渡ってきても当時はなかなか習えるような環境
ではありませんでした。それはイタリア国内でも仕事の少ない
南イタリア出身のピッツァ職人が全国に職を求めて技術を磨いて
PIZZERIA に雇われているというイタリアのピッツァ職人の
環境の中に、無給で。もしくはお小遣い程度の給料で勤勉に
働く日本人研修生は彼らにとっては脅威のなにものでも
なかったはずで、その壁に立ちふさがれて、ピッツァを習えず
に帰国した友人が何人も居ました。


そのハードルを乗り越え`90年過ぎ頃から東京でもイタリア帰り
のピッツァ職人が活躍し始め、今日の日本のピッツァの繁栄に
貢献し、礎となったパイオニアの存在がいました。



それとは別に、当時レストランの賄でピッツァイオロ
経験者のLucianoが皆に乞われて賄で作くってくれました。
そのおかげで、家庭的な仕立てのピッツァを何度も
食べることが出来ました。


それにもう一つの流れがあります。PIZZA DA TAGLIA と言う
切り売りのピッツァ屋さんがローマにはあり、朝から深夜まで
(一般的なピッツェリァは夜だけの営業)ちょっと小腹が空いた
時に手軽に購入できます。それにピッツァの生地も全く違います。


当時のイタリア(ローマ界隈)のピッツァのありよう・位置づけ
は、日本でいうと鍋”ラーメン”や焼肉”だと考えて
いただくとイメージは近いように思います。

@RISTORANTE PIZZERIAとなっているお店でもピッツァを提供
するのは夜のみ。

A田舎の家には庭に簡易ピザ釜が設置してある家は多いようです。
ちょっとした集まりや週末はピッツァを焼く習慣があるようです。

BPizza da taglia《切り売りのピザ専門店》小さな間口で
テーブルはなく、イートインにしても立ち食い。通常テイクアウト
のみ。朝から場所によってはけっこう深夜までの営業のお店も
ありました。ちょっと小腹が空いたときに立ち寄って量り売り
で買えるので、言ってみればスナック的な手軽なフードとして
定着していました。


でこれはBのイメージて試作してみたところ、バッチリの仕上
がり。それもすべて身近な食材で構成できました。


二人でこの試作を賄いで食べたのですが、ほんとにイタリアの
街角の風景がふっと見えるようでした。


めっちゃ自信作。


これ今度の料理講習会に掛けます。お楽しみに。
お腹空かしてきてください!


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