2018.02.09 |
蕗のとうとリコッタチーズのラビオリ |
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2018.02.06 |
可南子の偏愛の始まりの風景。 |
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一番初めは10年ほど前東京のさおちゃんがお土産に買って きてくれた🐰さんの縫いぐるみ。ちょうど一番上のスヌーピーに ほんのり似ています。と言うか、なくした🐰さんに似せたサイズ の縫いぐるみが偶然スヌーピーだったのですが・・・。 |
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話の発端はこう。
ある日、帰省する時にさおちゃん、姪の可南子にお土産として 🐰の縫いぐるみを買ってきてくれました。🐰さんをとても 気に入った可南子さん。出かける時はいつも連れて行っていた そうです。
ある時ばばがユニーに孫たちを連れて買い物に行ったそうです。 勿論可南子さん勇んで片手に🐰さんを連れて行ったそうです。
何事もなく買い物を楽しんでいたそうですが、ある瞬間可南子 を見てみるとそれまで、耳のところを小さな手で握って引き ずって連れていたのが、いつの間にか一人でとことこ歩いて いたそうです。
すぐユニーの係の人に伝え捜索してもらったそうなのですが、 結局でてこず。すぐ東京のさおちゃんに「大変なことになった。 (それまでも🐰さんが汚れていて、洗うにしても、手放して 次のことに気が移っている隙にさっと抜き取って洗濯をして おいて、乾かすときも見つからないように、洗濯物の間に干す という涙ぐましい努力がいったそうです。それもどこか途中で 可南子に見つかると、びえーん!と泣いたそうです。) なので、さおちゃんに何とかおんなじ物がないかねえ。」 とばば、急いでレスキューをかけたそうです。
結局おんなじ🐰さんはもうそのお店にも売っていなくて、 急遽似たような縫いぐるみとして東京から差し回されたのが スヌーピーでした。影武者として差し向けられたはや12年 ほどが経ちます。
その後、小学校高学年から中学に至る今日まで、文房具の いたるところにスヌーピー!スヌーピー!スヌーピー! で、ついにこの等身大巨大Snoopyです。極まりました。
宅配で何が届いたかっていう大きな箱に梱包されていて 届いたそうです。その箱に入って千春は遊んでいたそうです。
見たことはありませんが、朝ママが二階に起こしに行くと 気持ちよさそうに並んで布団で寝ているそうです。 で、一緒に寝ているばば曰く「夜になると可南子がこれ 担いで上がってくるのよ。可南子。ただでさえ大っきいのに 一緒にスヌーピーもつれてくるから、布団の中が狭い狭い。」 だそうです。
かなさん。そんなこと、知ってか知らずか、このところご満悦。 ご機嫌です。 |
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2018.02.06 |
可南子の偏愛的!スヌーピー好き、ここに極まる。 |
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昨日の帰宅時の風景。 |
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数日前に届いた110cmほぼ等身大に近い巨大スヌーピー!
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2018.02.06 |
canon power shot G11 |
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二代目のデジカメがこれ。役目を終えると自分の姿がここに載る。 基本、映す側であったので今までは撮る一方だったのが、 初めてで最後。結構愛着あったし、奮発して買ったんだけれど、 調理場で、結構ハードな環境での使われ方だったので申し訳 なかったのですが。
そりゃあ。調理しながらで、時には油べったりの指で。はたまた 濡れそぼった指で。そしてまた粉がついている時にも。
スイッチのON/OFFがやられてしまったよう。
年末から調子悪かったのがここ2,3日前から全く動かなくなり、 さすがに買いに走りました。
今は、たぶんiPhoneとかの撮影機能の普及でデジカメも超高級 志向かデザイン重視。安いのでも結構機能がいいので。今回は こういう使用環境を考慮して、安い方のカテゴリー。昔ながらの デジカメ。とはいえ、三台ともおんなじCanonで、初代と同型 IXY650に!
初めてデジカメを購入したのが、13年前。忘れもしない三女が 生まれたのをきっかけにです。そのころのIXYの一番上のクラス が5万円くらいしたと思いますが、その時買ったのが二番手のを 買ったと思いますが4万円ちょいで、今回のは半値の2万円。 13年間の技術の進歩は、当時のものより素人目にも半値なのに 倍以上のクオリティ。ただ一つ注文があるとすれば重さ。 男で、手が大きい自分としては、軽量化は持ち重みを感じ づらくかえって扱いずらい。まあ。それもなれなのでしょうが。
なので今日から新しいデジカメになりました。
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2018.02.06 |
短角牛。 |
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すっかり定番になった短角牛。一年でサーロイン13本。 月一本+12月はもう一本。と、たまにヒレ肉もとるので、 15本ほど年間使用する換算になります。
で、ここの生産者の方と付き合い始めてはや7ー8年になる でしょうか。今回のものは、今までの中でも一、二のクオリ ティーです。
一つは去勢牛ということ。もう一つ、こちらの方が影響は大きい かも、月齢31ヶ月。
ヨーロッパでは4歳、5歳とかまで牛を育てるのが割と普通に 行われているので、必然的に肉にしたときに成熟した旨味を 持った精肉になっていてそれを調理するので、炭で焼いただけ。 オリーブオイルをさっと回しかけるだけ。で完結してしまう。
…ちょっと余談。 しばらく前に観たBSの番組で。アメリカ。フランス。スペイン。 イタリア。と世界のステーキを巡る旅を見ていて、どれもそれ ぞれ旨そうなステーキだったんだけれど、見てて一番好みに 映ったのはやっぱイタリアのステーキ。と言うかFiorenntina (キアナ牛のTボーン・ステーキ)炭火焼きです。
それぞれの国によって牛肉の肥育環境、餌の違い、それに伴う 火入れの違い。焼いた肉の国民性の違いによる好み。などなど。
あの番組はほんと面白かったし、ためになりました。
で、いつも食材を扱っていて思うことが、やっぱ。ちゃんと作ら れた旨い食材は、お肉にしても魚にしても、勿論野菜にしても、 一番シンプルな調理法(その食材に適した)でシンプルが一番旨い。
美味しくない。ぴんと来ないのは煮ても焼いてもどうもならんのです。
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だからこれそん時に、ぼかっと切って(オーダーで400g) 塩して炭火でガーッと両面焼き固めてあとちょっと中を温める くらいの感じに焼いて、しゃっ。しゃっと切って。オイルを 回しかけただけ。でも年季は入ってます。
でもこれがこの肉は一番旨い食べ方。
ほんとにクリアーな肉の旨味ががじわっと噛みしめて、 好みでしょうがこれ以上焼くとまた違うものになってしまう。 これで食べてほしいな。
これだったら結構どこにも負けてないな。 ちょっと譲って“勝るとも劣らず”てとこでしょうか。 |
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ちょっとこの肉に関しては別の次元。自称【肉焼き弘ちゃん】 が言うんだから間違いない。
これは写真では伝わらない。残念。 |
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2018.01.28 |
休日に |
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年末年始に撮りためた映画をのんびりと。
師走から年明けは名画が目白押し。普段観たくてもなかなか 借りるのにタイミングがいる大作がこの時期には一気に放映 されます。
今年の収穫のトップツーは! @黒澤監督の【七人の侍】 Aフランシスコ・フォード・コッポラ監督ゴットファザーPARTT、 PARTU、PARTV。この4作は3時間を超える放映時間のため、 借りるのもちょっと気合がいります。せっかくなら一気に通しで 観たいです。特にゴットファザーは3作通しで一気に観たいって 色気を出すと本当に手が出ません。
数年前に年越しに、そん時は行けると踏んで3作借りて、 夜中皆が寝静まってから、夜な夜な貫通させたことがありました が、今回録画できたので今後はゆっくりと鑑賞することができる ようになりました。
それに【2001年宇宙の旅】。【ニューシネマパラダイス】。 【八月の蝉】。
今朝は、七人の侍の後半から最後まで。名作はやっぱり時代を 超越してるってつくづく実感。子供の頃にはみなまだ生きていた 名優たち。いま改めて観ても面構えがいい。皆生き生きと スクリーンの中を飛び回っています。何度見ても大好きな映画。
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2018.01.25 |
賄い“オムハヤシ” |
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秋口からのマイブーム。ハヤシ(デミグラスソース)づくり。
そもそものきっかけは朝の連ドラ“ひよっこ”!
初めはだだ番組が気に入って“ひよっこ”を観ていたのですが、 中盤から東京偏になり“すずふり亭”に出てくる料理が本当に 美味しそう。その後、友人のタカちゃんと娘さんのマイちゃん (マイちゃんには12月助っ人で本当にお世話になりました。) との話で、あの“ひよっこ”に出てくる“すずふり亭”の 料理っておいしそうだよねってことで意見が一致。『この 東三河で、“すずふり亭”を探そう。もう消えそうな昔ながらの 名店を食べ歩こう!』と言う話で盛り上がりました。
わが町の“すずふり亭”とは【老夫婦でやっていて、昭和の味! 昔ながらの仕事をしていて、でも後継ぎはいなく、もう今にも どちらかが倒れたらそのままそのお店は終わってしまう。と言う ようなお店が、よく聞くと人知れず細々と。そして熱烈なファンに 支えられて生息しているという話のお店。】
今行っとかないと。今味わっとかないとあと何年持つか正直 わかんないよ。と意見が一致。
そう思うと東京はそう仕事が引き継がれているからすごいって 思います。
その前に自分サイドでは、そんな情報を知らず、『ないんなら 自分で作った方が早い。』って思ってしばらく前に“日本の洋食・ 定番のレシピとプロのコツ”って本を購入。暇を見つけては ちょっとづつハヤシライスソースを作っていました。 端肉・くず肉はもちろん出ますし、野菜も。ほとんど材料は 買わずにそろうものばかり。それに甘さの代わりに当時だと 柿や洋ナシの熟れ過ぎたものも寸胴のデミグラスソースに 放り込んでコトコトと煮込んでみると、さらにまろやかに なりました。それこそ冷凍庫・冷蔵庫整理もかねてどんどん 継ぎ足し継ぎ足し、ところどころ、偶然常連さんに頂き物 などすると、『すいません。我流ですが、こんなの遊びで 仕込んでるんですがよかったら食べてくださいって。』 差し上げるとお世辞も含め美味しかった。って言っていただき、 調子に乗って今日も継ぎ足し。継ぎ足し。
自分も食べてみようと。ちょうど今日由貴さんは三女の 今度の中学入学の入学説明会があるとお昼の営業を中途で抜け 出かけて行って今自分一人。ちょうど仕込みのめどがつき 一人飯にオムレツを作って、さっき調整しておいたハヤシを ぶっかけて“オムハヤシ”に。
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2018.01.25 |
ポール・ボキューズ |
辻調グループ(当時は辻調理師専門学校)に入学希望したのは 半田を出たかったからと、卒業者対象でフランス校と言う進路が あるとうたわれていたためで、今から35年ほど前では海外に旅行 でさえまだまだ特別な時代でした。
親の了承を得て進学してみて、さらにその先にフランスの 三ツ星レストラン。有名シェフの存在を知りました。フランス校の 入学説明会は確か10月末か11月上旬で、当時その時期って いうのは普通の生徒はほとんど就職の内定をもらっているという 時期でした。ですから自分は迷わず単願!フランス行きを夢見て そのオリエンテーションを受けたのですが、いきなり言われた 渡航の費用に愕然。300万円!確かクラウンの新車が買える 値段。で調理師学校の新卒の初任給が個人店で75000円から チェーン店などでも10万円行くか行かないか。3年飲まず 食わずで貯蓄できる金額に呆然と教室を後にしたのをいまだに 忘れません。
とはいえ、遊んでいる余裕はありません。でも初心“海外に 住んでみたい。”と思って調理の世界に足を踏み入れたので、 何か手はないかと偶然担任の先生がイタリア帰りだったので、 相談してみると,うちの学校には海外就職っていうのがあるから とアドバイスをいただきました。
就職活動をそれまで全くしてこなかったので職員室の隅に設け られていた就職先の県別のファイルの片隅に【海外就職】って いうファイルのあるのを見つけ、結果就職試験を受けイタリア ・ローマの日伊興産と言う会社の内定をもらい結果、無事に念願の 海外就職。そして、イタリア料理の世界にと歩みを始めるきっかけ になりました。
とはいえ、初めからイタリア料理に行こうとは考えてもいな くって、ローマで過ごしながらいつかフランスへ。と思いつづ けていました。
と言うのも、当時は西洋料理はフランス料理全盛で、それに フランス帰りのシェフたちが帰国して東京の町場のレストランの ムーブメントを起こしていたさなか。時代もバブルへと向かう ちょうどそのころ、辻調自体も先代の辻静男校長自らがフランス 料理の研究の第一人者と言うこともあり、フランスの三ツ星シェフ が毎年招聘されていました。特別講習と銘打って夏期講習とか やっていたので、見たことはないながらもどうせ渡航するなら 本場フランス。って根拠ない自信の青春時代には当たり前の ことであったように思います。
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ですからもしフランスにいけるんなら、(三国シェフが レストランに入れてもらうのに雨の日も晴れの日も、1ヶ月とか 店の前で待っていたっていうのを、あこがれをもって同級生と 話していて。自分んも。って思っていました。 今そんなこと絶対考えないですし、そんな子がいたらやめな さいって言いますもん。)・・・当時はマダムポワンのピラミデ。 トロワグロ兄弟のトロワグロ。アランシャペル。ピック。 で、ポールボキューズ!のどこかで働きたいってイタリアに 渡ってしばらく思っていました。
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イタリアで生活し始めて1年ほどしたころ、ふと冷静に考えると 言葉もぎこちないながらもコミニュケーションもでき始めて きていましたし、毎週先輩や同僚と食事をしているローマの トラットリアやそんなに高くないリストランテどこも親しみやすく 美味しいですし、自力で奮発してミシュランやガンベロロッソ などのガイドブックを参考にして電車で出かけて行く、地方の 有名店にしても感銘を受けていましたし、そんなお店に研修生の 日本人コックの先輩がいたりすると、親切にいろいろなお話を 聞かせてもらったりすると、あれ?フランスに行かなくっても このままここで自分に合ったお店を探すほうのが、引き払って 突然フランスに行くリスクを考えたら、言葉や土地勘、国民性 などの人となりもある程度慣れたうえで働いていく方が、同じ 外国人として受け入れてもらうにしても親しみやすいんでは ないのかと。思うようになっていました。
それに、先にローマの会社を辞めフィレンツェの有名店 エノテカ・ピンキョーリで現地修業を始めた先輩が、時々 同僚のコックを伴って遊びに来てくれ、研修先の有名店の今。 を熱く語ってくれることも多く、それにちょうどイタリアも フランスのヌーベルキュイジーヌの影響を受けヌオヴァ ・クッチーナと言う流れが起きていて、そうゆう時流の 流れをくむリストランテがローマ以北、ピエモンテ地方を 中心に起き始めていました。食材も好い、ワインも好い、 何よりも自分の土地を愛してお店を営んでいる。と言う ことも段々と分かってきて、もうその頃にはフランスで 働くことは目の前から消えていました。
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その後イタリアでの研修の区切りをつけ帰国して、東京で働く ようになり、その当時は東京もまだイタリア料理は、フランス 料理の格下に観られていて(もともと土俵が違うのに日本人って、 おんなじ物差しですぐ測ろうとするのでどっかおかしくなるん です。) その分帰国したばかりのイタリア料理のシェフたちはものすごく 工夫をして、いかに日本に自分たちが経験してきた素晴らしい イタリアを料理を通して知ってもらうかって。切磋琢磨を繰り返し ていた時代です。
勿論東京にいれば、今を(`90当時)ときめくスターシェフの 噂も入ってきます。が、フランスの三ツ星レストランで修業を したっていう方々の大抵は“鬼軍曹”(もう死語かもしれませんが) で、それそこで働いてなくって良かった。って思う噂ばかり。 勿論いい仕事をするためにはフランス料理ではある意味必要な 部分なのかもしれません。
そりゃあ。味噌汁で育った人間が、バターとワインの国の料理を 作るんですもん。で、イタリアンの業界ではそうじゃあ無かった かと言うと、そういう意味では厳しさには変わりないと思います。
みんな熱かった。そんな時代でした。
その分今みたいに食材はなかったけれど、工夫した好い料理が いっぱい生まれていた時代だと思います。
その後誰かに聞いた話で、『ゴルフに例えると、フランス料理は、 皆でおんなじホールに球を入れる。方やイタリア料理は、料理人 がそれぞれのホールがあって各自自分のホールに球を入れている。』 上手く言い当てた言葉だと思っています。
だだ、どちらにも弊害があるとは思いますが、現代は食材が 本当によくなったので、自分勝手にホールを設定し、入れたもん 勝ちって風潮がすごく気になります。・・・これは余談。
`90年代当時、東京でそういった流れを汲むフランス料理店で 食事をすると、すっごく美味しいんだけれど、これは自分に とって食べる料理で、従事して提供する側ではないと。認識 しました。
で長々と書いてきましたが、先日ポールボキューズさんの訃報を 新聞で知り、若いころの勝手な片思いであり妄想、自分が触れて きた現実の断片をちょっと振り返りたくなりました。
享年91歳と言うことなので、自分のイタリア研修時代に60歳。 その後世界に出店。もちろん良きパートナーやプロデュース力 人材や才能に恵まれていたとはいえ、その後30年余り第一線で 発信し続けて来たって思うと。 自分が60歳過ぎて、勿論そこまでなんて思わないですが、 今のままでも現状維持プラスαって考えてもすんげーって 思います。
頑張ろう!
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