2006.02.18 |
BIONDI-SANTI '88 |
今までの人生の中で何本か印象深い思い出に残るワインとの 出会いがあります。そしてこの“BIONDI-SANTI'88”もその 仲間入りです。昔の自分は、今思うと「ん?」と思うほど ワイン狂の時期もありましたし、フランスワインコンプレックス の時も在りました。19才で渡伊して'86からワインとの 付き合いがスタートしました。始めの頃は毎週のようにある 各部署ごとの交流会でいつもつぶれるまで飲まされた苦い 思い出、二十歳の時「お前たち今年が成人式だろう。」と コロッセオの裏側にある小さなトラットリアで5ー6人で 行って「1?P入りのカラファ人数分ね。」と先輩に注文され へろへろになりながら夜中のローマの道横いっぱいに肩を組 みながら寮まで帰ってことなどあまりワインと好い付き合い方、 好い思い出はありませんでした。その後現“クローチェ・エ・ デリッツィア”シェフの斉藤さんと出会い1年ほど一緒にレストラン トラットリアめぐりをして今の僕のイタリア料理(ワイン、文化、気候風土、 料理の成り立ち)の基礎を形成してもらいました。その後暫くして フラスカティのカッチャーニというレストランで修行を始めながら 独学でワインを勉強し始めました。幸運なことにフラスカティ は白ワインの大生産地(ただ当時日常消費ワインが中心でしたが) だったので20年前でリッター200円そこそこで買えたので当時の 僕の体は半分Frascatiで出来ていると言う位土地のワインも飲みました。
その頃よく行っていたローマのRuffi&Izabellaと言うエノテカで 10回ほどのかなりディープなワイン会に全会ではなかったですけど いくことが出来ました。“ボルドー6大シャトーの夕べ、D.R.C6っ の丘の夕べ、バローロ、バルバレスコ、トスカーナ、オパスワン 垂直テイスティング、シャンパン、スプマンテ、イタリアのシャルドネ ブルゴーニュの白、など等の夕べです。そこで当時少ないワイン のハウツー本のなかで見つけた“偉大なワイン”というフレーズを表わす ようなワインたちに毎回毎夜出会うことになりました。
その後暫くしてお店を変わりロンバルディア州のマレオと言う 村にあるアルベルゴ・デルソーレというレストランで働かせて もらいそこを辞める時にオーナーのフランコが「お前の好きな ワインを1本あげるから選びなさい。」と言われ選びかねていると マレオを発つ前の日に一本のワインをお土産にくれました。 “Solaia'79”このワインのファーストビンテージでした。訳あって 86年3本と交換する事になり、そのワインの1本が当時付き合い始めた ぼかりのころの奥さん(当時二十歳)が口にしてワインに目覚めました。 彼女の今日のワインの扱う上でのベースであり、礎の1本がソライア’86 ということになります。
6年前、渡伊する直前に大森君(現Ristorante Delfinaオーナーシェフ) がうちに食事をしに来た際「これ皆さんで飲んでください。」と 置いていったワインがこの“BIONDI-SANTI'88"でした。
ワインと言うこの不思議な力を持ったお酒の魅力はこのお互い の過ぎ去った時の隔たりを、コルクを抜いてそれぞれのグラス から立ち昇ってくるブーケによって取り戻させてくれる作用が 時として起こる。そんな大切な時間を繋ぎ合わしてくれます。 二人の共通するお客様がうちの店でセッティングしてくださった こんな素敵な会にもってこいのどんぴしゃな一本。ワインとは、 こんな時にこそこういう物を開けたいものです
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2006.02.09 |
トリノからの国際電話 |
昨夜イタリア、ピエモンテ州のレストランで働く友人から国際電話 が掛かってきました。4月からうちの店に入る予定の山形県からの 新人が、自分のイタリアのつて、お客さんと友人のこねを総動員して “卒業旅行兼イタリア体感一人旅”に3週間旅立ちました。初めは こちらも軽い乗りで「卒業旅行がてらイタリアでもいってくれば?」 と電話越しに思いつきで話していました。今時の高校生がまさか 一人で行かないだろうなっという思いが50パーセント、行ったら カルチャーショックもらって帰れるのにという思いが残り半分 でしたがその電話の一週間後に「僕イタリアに行ってきます。」 と言う返事です。今度は口火を切った責任を取り現地の受け入れ先 を大至急で探しました。丁度トリノオリンピックでうかうかしてい るとミラノとかだとその影響で宿がかなり探しにくい状況になっている ことだと思ったからです。電話の内容は、「無事に会えました。今トリノ を案内してもらっています。」と言った内容でした。こちらも彼がかなり おっとりした性格の子なので無事に着いただろうかと思っていた 矢先の電話でこれでひとまず安心しました。
今回彼に紹介した二人の友人はそれぞれが豊橋出身で現地での経験も 5年以上のベテランで一人はイタリア人の奥さんを貰って一児の パパ兼ピエモンテ州でお店を任されている日本人シェフ、もう一人 の友人も同じピエモンテ州のワイナリーの直営のトラットリアの 最近世代交代した息子さんの右腕で、昨年の夏に帰国した時に 「今、お世話になったこのお店の大事な時期で若いシェフと もう暫くここの料理を守り伝える仕事をしたい。」と言うような すばらしい料理人のひとりです。
先日一時帰国の挨拶に来てくれた彼女も彼是6年イタリアで頑張って いる子で、今はトスカーナ州の下の端グロセットと言う町の傍 Castiglione della pescaia というマレンマ地区でL`ANDANA トラットリア トスカーナというアルベルゴ レストランテ “彼のアラン・デュカス プロデュースだそうです。”でソムリエ として頑張っているそうで、すごく好い顔をしていました。 色々なことをクリアーして公私共充実した生活をイタリアで送って いるのでしょう。とても素敵な笑顔で再会できこちらも エネルギーを貰うことが出来ました。
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2006.02.01 |
レストランの賄い |
我われ料理店が日々なにを食べているのか興味ある 方も多いと思います。少し前に書店で“有名店の賄い レシピ”みたいなコンセプトの本を見たことがあります。
調理師学校の頃、住み込みで働いていた奈良の仏料理 のお店では、社長の奥さんが先頭を切って女子社員数名 を指揮して二十人くらいの賄いを作っていました。 朝市場に行くスタッフにそれ用の仕入れもさせておいて いちにち二度の食事を手際よく大鍋に作っていく後姿を 最近よく思い出します。忙しい日々の営業の合間に短時間で なるべくある食材を使って美味しいものを作る。当たり前 なことが若い子だとなかなか難しい事のようです。
イタリアのレストランで働いていた頃彼らの食べること への情熱の傾け方に舌を巻いたことが幾度もありました。 一緒に働いたイタリア人の中で仕事の出来る何人かの 料理人たちから学んだこと、とくに賄いには毎日の仕事 になりますし、その作る人の料理感や料理人のセンス、 家々に伝わるマンマの味、料理考的ないってみれば 料理哲学みたいんなものを目の当たりに体感でき、 それもアレンジしていない形で地方料理に触れること が出来ました。そうして用意した料理その土地のワイン と共に一時間ほどかけて賄いを摂ります。 もちろんエスプレッソで仕上げます。彼らは “自分たちがちゃんとしたものを楽しく美味しく きっちり摂らなくてどうしてお客さんに好い料理が、 好いサービスが出来るのか。”を実践するが如く のようでした。
我々の仕事は、家族よりも一日の長い時間を レストランの中で過ごします。それもかなりハードな スケジュールをこなさなければなりません。消耗した 体力、集中力を食事を摂ることによって短時間で 補充しなければなりません。レストランの仕事の中でも とても大事な仕事の一つだと思って取り組んでいます。
今日の賄いは“牛筋の他人丼”ブロードを取ったあと の言ってみれば出し殻の牛筋をザク切りの玉葱と 中村農場さんの甲州地鶏のたまごたっぷりでとじて 出来上がりです。
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