2018.01.28 |
休日に |
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年末年始に撮りためた映画をのんびりと。
師走から年明けは名画が目白押し。普段観たくてもなかなか 借りるのにタイミングがいる大作がこの時期には一気に放映 されます。
今年の収穫のトップツーは! @黒澤監督の【七人の侍】 Aフランシスコ・フォード・コッポラ監督ゴットファザーPARTT、 PARTU、PARTV。この4作は3時間を超える放映時間のため、 借りるのもちょっと気合がいります。せっかくなら一気に通しで 観たいです。特にゴットファザーは3作通しで一気に観たいって 色気を出すと本当に手が出ません。
数年前に年越しに、そん時は行けると踏んで3作借りて、 夜中皆が寝静まってから、夜な夜な貫通させたことがありました が、今回録画できたので今後はゆっくりと鑑賞することができる ようになりました。
それに【2001年宇宙の旅】。【ニューシネマパラダイス】。 【八月の蝉】。
今朝は、七人の侍の後半から最後まで。名作はやっぱり時代を 超越してるってつくづく実感。子供の頃にはみなまだ生きていた 名優たち。いま改めて観ても面構えがいい。皆生き生きと スクリーンの中を飛び回っています。何度見ても大好きな映画。
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2018.01.25 |
賄い“オムハヤシ” |
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秋口からのマイブーム。ハヤシ(デミグラスソース)づくり。
そもそものきっかけは朝の連ドラ“ひよっこ”!
初めはだだ番組が気に入って“ひよっこ”を観ていたのですが、 中盤から東京偏になり“すずふり亭”に出てくる料理が本当に 美味しそう。その後、友人のタカちゃんと娘さんのマイちゃん (マイちゃんには12月助っ人で本当にお世話になりました。) との話で、あの“ひよっこ”に出てくる“すずふり亭”の 料理っておいしそうだよねってことで意見が一致。『この 東三河で、“すずふり亭”を探そう。もう消えそうな昔ながらの 名店を食べ歩こう!』と言う話で盛り上がりました。
わが町の“すずふり亭”とは【老夫婦でやっていて、昭和の味! 昔ながらの仕事をしていて、でも後継ぎはいなく、もう今にも どちらかが倒れたらそのままそのお店は終わってしまう。と言う ようなお店が、よく聞くと人知れず細々と。そして熱烈なファンに 支えられて生息しているという話のお店。】
今行っとかないと。今味わっとかないとあと何年持つか正直 わかんないよ。と意見が一致。
そう思うと東京はそう仕事が引き継がれているからすごいって 思います。
その前に自分サイドでは、そんな情報を知らず、『ないんなら 自分で作った方が早い。』って思ってしばらく前に“日本の洋食・ 定番のレシピとプロのコツ”って本を購入。暇を見つけては ちょっとづつハヤシライスソースを作っていました。 端肉・くず肉はもちろん出ますし、野菜も。ほとんど材料は 買わずにそろうものばかり。それに甘さの代わりに当時だと 柿や洋ナシの熟れ過ぎたものも寸胴のデミグラスソースに 放り込んでコトコトと煮込んでみると、さらにまろやかに なりました。それこそ冷凍庫・冷蔵庫整理もかねてどんどん 継ぎ足し継ぎ足し、ところどころ、偶然常連さんに頂き物 などすると、『すいません。我流ですが、こんなの遊びで 仕込んでるんですがよかったら食べてくださいって。』 差し上げるとお世辞も含め美味しかった。って言っていただき、 調子に乗って今日も継ぎ足し。継ぎ足し。
自分も食べてみようと。ちょうど今日由貴さんは三女の 今度の中学入学の入学説明会があるとお昼の営業を中途で抜け 出かけて行って今自分一人。ちょうど仕込みのめどがつき 一人飯にオムレツを作って、さっき調整しておいたハヤシを ぶっかけて“オムハヤシ”に。
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2018.01.25 |
ポール・ボキューズ |
辻調グループ(当時は辻調理師専門学校)に入学希望したのは 半田を出たかったからと、卒業者対象でフランス校と言う進路が あるとうたわれていたためで、今から35年ほど前では海外に旅行 でさえまだまだ特別な時代でした。
親の了承を得て進学してみて、さらにその先にフランスの 三ツ星レストラン。有名シェフの存在を知りました。フランス校の 入学説明会は確か10月末か11月上旬で、当時その時期って いうのは普通の生徒はほとんど就職の内定をもらっているという 時期でした。ですから自分は迷わず単願!フランス行きを夢見て そのオリエンテーションを受けたのですが、いきなり言われた 渡航の費用に愕然。300万円!確かクラウンの新車が買える 値段。で調理師学校の新卒の初任給が個人店で75000円から チェーン店などでも10万円行くか行かないか。3年飲まず 食わずで貯蓄できる金額に呆然と教室を後にしたのをいまだに 忘れません。
とはいえ、遊んでいる余裕はありません。でも初心“海外に 住んでみたい。”と思って調理の世界に足を踏み入れたので、 何か手はないかと偶然担任の先生がイタリア帰りだったので、 相談してみると,うちの学校には海外就職っていうのがあるから とアドバイスをいただきました。
就職活動をそれまで全くしてこなかったので職員室の隅に設け られていた就職先の県別のファイルの片隅に【海外就職】って いうファイルのあるのを見つけ、結果就職試験を受けイタリア ・ローマの日伊興産と言う会社の内定をもらい結果、無事に念願の 海外就職。そして、イタリア料理の世界にと歩みを始めるきっかけ になりました。
とはいえ、初めからイタリア料理に行こうとは考えてもいな くって、ローマで過ごしながらいつかフランスへ。と思いつづ けていました。
と言うのも、当時は西洋料理はフランス料理全盛で、それに フランス帰りのシェフたちが帰国して東京の町場のレストランの ムーブメントを起こしていたさなか。時代もバブルへと向かう ちょうどそのころ、辻調自体も先代の辻静男校長自らがフランス 料理の研究の第一人者と言うこともあり、フランスの三ツ星シェフ が毎年招聘されていました。特別講習と銘打って夏期講習とか やっていたので、見たことはないながらもどうせ渡航するなら 本場フランス。って根拠ない自信の青春時代には当たり前の ことであったように思います。
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ですからもしフランスにいけるんなら、(三国シェフが レストランに入れてもらうのに雨の日も晴れの日も、1ヶ月とか 店の前で待っていたっていうのを、あこがれをもって同級生と 話していて。自分んも。って思っていました。 今そんなこと絶対考えないですし、そんな子がいたらやめな さいって言いますもん。)・・・当時はマダムポワンのピラミデ。 トロワグロ兄弟のトロワグロ。アランシャペル。ピック。 で、ポールボキューズ!のどこかで働きたいってイタリアに 渡ってしばらく思っていました。
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イタリアで生活し始めて1年ほどしたころ、ふと冷静に考えると 言葉もぎこちないながらもコミニュケーションもでき始めて きていましたし、毎週先輩や同僚と食事をしているローマの トラットリアやそんなに高くないリストランテどこも親しみやすく 美味しいですし、自力で奮発してミシュランやガンベロロッソ などのガイドブックを参考にして電車で出かけて行く、地方の 有名店にしても感銘を受けていましたし、そんなお店に研修生の 日本人コックの先輩がいたりすると、親切にいろいろなお話を 聞かせてもらったりすると、あれ?フランスに行かなくっても このままここで自分に合ったお店を探すほうのが、引き払って 突然フランスに行くリスクを考えたら、言葉や土地勘、国民性 などの人となりもある程度慣れたうえで働いていく方が、同じ 外国人として受け入れてもらうにしても親しみやすいんでは ないのかと。思うようになっていました。
それに、先にローマの会社を辞めフィレンツェの有名店 エノテカ・ピンキョーリで現地修業を始めた先輩が、時々 同僚のコックを伴って遊びに来てくれ、研修先の有名店の今。 を熱く語ってくれることも多く、それにちょうどイタリアも フランスのヌーベルキュイジーヌの影響を受けヌオヴァ ・クッチーナと言う流れが起きていて、そうゆう時流の 流れをくむリストランテがローマ以北、ピエモンテ地方を 中心に起き始めていました。食材も好い、ワインも好い、 何よりも自分の土地を愛してお店を営んでいる。と言う ことも段々と分かってきて、もうその頃にはフランスで 働くことは目の前から消えていました。
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その後イタリアでの研修の区切りをつけ帰国して、東京で働く ようになり、その当時は東京もまだイタリア料理は、フランス 料理の格下に観られていて(もともと土俵が違うのに日本人って、 おんなじ物差しですぐ測ろうとするのでどっかおかしくなるん です。) その分帰国したばかりのイタリア料理のシェフたちはものすごく 工夫をして、いかに日本に自分たちが経験してきた素晴らしい イタリアを料理を通して知ってもらうかって。切磋琢磨を繰り返し ていた時代です。
勿論東京にいれば、今を(`90当時)ときめくスターシェフの 噂も入ってきます。が、フランスの三ツ星レストランで修業を したっていう方々の大抵は“鬼軍曹”(もう死語かもしれませんが) で、それそこで働いてなくって良かった。って思う噂ばかり。 勿論いい仕事をするためにはフランス料理ではある意味必要な 部分なのかもしれません。
そりゃあ。味噌汁で育った人間が、バターとワインの国の料理を 作るんですもん。で、イタリアンの業界ではそうじゃあ無かった かと言うと、そういう意味では厳しさには変わりないと思います。
みんな熱かった。そんな時代でした。
その分今みたいに食材はなかったけれど、工夫した好い料理が いっぱい生まれていた時代だと思います。
その後誰かに聞いた話で、『ゴルフに例えると、フランス料理は、 皆でおんなじホールに球を入れる。方やイタリア料理は、料理人 がそれぞれのホールがあって各自自分のホールに球を入れている。』 上手く言い当てた言葉だと思っています。
だだ、どちらにも弊害があるとは思いますが、現代は食材が 本当によくなったので、自分勝手にホールを設定し、入れたもん 勝ちって風潮がすごく気になります。・・・これは余談。
`90年代当時、東京でそういった流れを汲むフランス料理店で 食事をすると、すっごく美味しいんだけれど、これは自分に とって食べる料理で、従事して提供する側ではないと。認識 しました。
で長々と書いてきましたが、先日ポールボキューズさんの訃報を 新聞で知り、若いころの勝手な片思いであり妄想、自分が触れて きた現実の断片をちょっと振り返りたくなりました。
享年91歳と言うことなので、自分のイタリア研修時代に60歳。 その後世界に出店。もちろん良きパートナーやプロデュース力 人材や才能に恵まれていたとはいえ、その後30年余り第一線で 発信し続けて来たって思うと。 自分が60歳過ぎて、勿論そこまでなんて思わないですが、 今のままでも現状維持プラスαって考えてもすんげーって 思います。
頑張ろう!
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2018.01.15 |
鰻 “一心屋のまぶし丼” |
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この春定年を迎える当時高校ハンドボール部の顧問の加藤先生の 定年祝いを兼ねた同窓会の企画・打ち合わせのため久しぶりに 3回生で落ち合おうと言うことになり、里帰りを兼ねて半田へ。
卒業して早いもので33年になろうとしています。 先生も当時バリバリコーチを大学院でされていて、新卒で赴任先の わが高校へ。公立高校で一応は進学校。なかなか部員もそろわない 中で、みんな喧々諤々。喜々こもごも。時が経ってみると それもいい思い出。久しぶりに再会の同期男性3、女性3の計6人。 打ち合わせのめどが立つと、時が経つのも忘れ昔話に花が 咲きます。喫茶店には申し訳ないような、めいめいコーヒー 一杯で約3時間。あっという間に経っていました。
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お昼に合わせて半田の実家に家族を送り届け、自分は打ち合わせ に出かけたのですが、由貴さんと娘二人はおばあちゃんに預け 久しぶりに孫御守でもさせてやってねとお願い。彼女たちが 年末連れて行ったボーリングにお熱なので、それじゃあみんな でボーリング行ってくるね。という算段に。
夕方おち合い、皆で晩御飯をどこかで食べて解散。そんな一日の スケジュールで動きました。
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ちょうど先日近所のブテックの近しくしてくださっている 女性が,半田に用があって出かけるんだけれど,どこかいいお店 ないですか?って聞かれていたのですが、もう自分たちは 以前は半田では寄るお店が決まっていて、おばあちゃんがやって いた屋台のどてやき屋“たなか”。と、その妾さんがやっていた 焼肉(ホルモン)“たなか”。じゃりン子ちえに出てくる ようなお店でした。当時そこのどちらでしか食事をしなかったので 他のお店を知りません。どちらかと言うと、そのお店の食事に 行く為に半田に帰っているようなものでした。
時は経ち、もうどこもありません。
【屋台と言っても昭和40年ころ道路交通法の改定で、当時半田港 界隈で働いていた職人さんのために帰りにちょっと立ち寄れる 屋台が国鉄半田駅界隈にあったものが立ち退きになって、どこか 身寄りを頼って軒先で営業始めたのが屋台と言う。当時を知る おやじのようなその界隈で当時青春時代を過ごした生き字引の 情報でしたがその親父も今は儚くなりました。 今から20年ほど前で5件ほどその名借りを残すお店があったとの こと。現在はすべてなくなっています】
ですので最近はあえて食事時間をを外して実家に行って、帰りに 途中で食べて帰る。
一軒刈谷にあるんですお気に入りが。
彼女も旅行好き、食べるの大好き!な方なので半田らしい お店って?言われてもぱっと思いつきません。 ・・・。ご多分に漏れず。半田も飲食業界の荒波が押し寄せていて 個人店。老舗。がどんどんなくなっているのも現状は同じ。
・・・一軒ありました。が。久しく行っていません。20年ほど。 ちょうどこの機会に家族で下見もかねて行ってみようと言う ことに。それに昨日1月13日(この時点で)誕生日だったので、 ちょうどお祝いも兼ねれていいかと。
鰻で思い出した話が。
浜松本課寺寄席での“ちりとてちん”さんの落語のまくらで、 関西でうな丼の話。
一番はもちろん鰻がちゃんと乗ったの!あたりまえ。二番手が 鰻のお頭が乗った頭丼。最後にたれ丼と言うのまである。 もちろんこれが一番安い!へー。って納得。大阪らしい話。
で。以前子供たちを連れていった鰻屋さんで、当時小っちゃ かったというのもあったのですが、あんまり鰻には食指を 動かされてなくって、下の千春なんてそれこそ一番経済的な たれご飯のとこだけ食べていました。それから時は流れ 彼女たちも成長して。美味しいものもそれなりに経験して きて、今回ちゃんとした鰻屋さん初体験でした。
“一心屋青山店”以前このすぐのところのマンションに住んで いたこともあり20数年前当時、ちょこちょこ寄せてもらって いましたが、ここのところ本当時ご無沙汰でした。
うちのおばあちゃん含め家族5人でまぶし丼×5。肝いり吸い物 ×5。お茶漬け用薬味とお出し×5。
これをみんなに食べてもらいたくって。
そう!今日は“清く。正しく。美しく。”これを食っとけ。と。
可南子。千春。一口食べて、ニヤッと。
やった。です。
子供のころ、外食なんてめったに連れて行ってもらえなかったので 鰻なんてまともにお店で食べたのなんて結構年がいってからだと 思いますが、子どものころばあちゃんが鰻割いたのを買ってきて くれて、魚焼き網で焼いてからたまり醤油を入れた甘辛いたれで さっと煮たものが我が家のごちそう鰻でした。
勿論大人になって福岡柳川の鰻の蒸籠蒸しも衝撃的な美味しさで、 しばらく賄で何度か真似して作ったこともありましたし、 浜松の知り合いのお店でいただいた天然の鰻の白焼きにも衝撃を 受けました。近所のうな中さんも忙しい12月の賄は必ず一回は 伺いますし・・・。
とはいえ、自分にとっての鰻はバリバリに焼いて、甘辛いたれの かかったこの店の”まぶし丼”!どこか懐かしいばあちゃんの 味を思い出させてくれるものなのです。それを皆で味わうことが 出来て。ましてやニヤッとしてくれて。とても嬉しいひと時を 過ごすことが出来ました。
今年は正月早々、本当に盆と正月!が来たっていうくらいいい こと尽くしで、一年分のいいことが一月中に終わってしまんうんで はないかってくらい。続いています。
今日の日中の同窓の打ち合わせの時、何度も本当に楽しいね。 3回生がみんなで幹事やるって決まってよかったね。ってみんなが 言ってくれて、そこで過ごしているだけでホックリしてきました。 それもこれも、当時それぞれが思うところはあったと思いますが、 やりきっているので、悔いはないとこまで行っているから、今と なってはすべてがいい思い出になっているからかもしれません。 4月の“加藤先生を囲む会”今回自分が言い出しっぺで、料理と お酒、うちFRASCATIで用意するから。ちょっと遠いけど豊橋まで 来てって。その分美味しい料理とワインでお迎えするって。
今からめっちゃ楽しみです。
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2018.01.07 |
成人式です。 |
最近は出番がなかったカメラを久しぶりに引っ張り出してきました。 |
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早いもので、長女奈津美が成人式。
妹たちもご機嫌です。
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成人式をいちばん積極的に喜んでいたのはばば。こういうのは 一年以上前から衣装決めで何度も貸衣装店へ足を運び、前撮りも あったりしてなかなか大変。でもそこが女性陣には楽しみみたい。
・・・うちら夫婦がお店をやっているので、新城に引っ越してきた 20年前、彼女が10ヶ月のころから実質の育ての親役を買って出て くれたのがばばです。長い育児の間、もちろんいいことばかりが あったわけではないでしょう。苦楽を共にしたある意味戦友。 何かあると、『なっちゃんにはこれはしてあげたい。』が口癖。 なので今回の成人式はかなりばばも気合が入っていました。 初孫に念願の晴れ着を着させれてご満悦でした。
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これは余談。
自分の成人式はローマでした。 当時勤めていたローマの日本料理店の先輩方が僕ら新成人の 同期3人をコロッセオ近くのトラットリアで祝ってくれると言う ことに。僕ら同期3人と先輩3人。男6人で!
トラットリア入店早々に先輩曰く『今日はお祝いだから。今日6人 ここに居るから、一人1ℓで×6人で6ℓ!これ呑むまで終わらない から。』
で、二人飲めない人がいて4人で6ℓ。なんとか飲み終わり、楽しく 会も終わり、日本人6人深夜のコロッセオの前の道を横に肩を組ん でべろべろで、なんか歌いながら帰ったのを、当時は普通の成人式 とは違うしって、なんとなくさみしいと思っていましたが、 今となってはそれがかえってとてもいい思い出となっています。
・ ・ ・ 誕生日もそうだと思うのですが、成人式なんかもつまるところ 勿論本人のものなんですが、親や周りの人の目線んで見えるように なると、親にしてもらって20年!ってことだと。そして、こっちが “ありがとう”って思う日なんだと。そんな理由付けをしてやっぱ こんな日は奮発してシャンパン!(ほんもの)でしょう。晴れの日 ですから。
本人はさっき帰宅してあわただしく中学の同窓会があると出て ゆきました。慌ただしかった喧噪がひと段落して二人で乾杯。 妹たちはジュースで。
もうちょっとしたらご近所の喫茶店“ほほえみ”さんで、今日は お疲れさんしようって。奈津美さん抜きのその他我が家のアフター 成人式お疲れ会です。 |
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2018.01.06 |
フランス産仔羊のロースト ミントバター風味 |
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2018.01.02 |
お正月 |
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今年もやってきました。お正月!年々一年の早さが加速して いるように感じます。
いつものように浜松“弁いち”さんのおせち料理とばばの筑前煮 と甘々茶碗蒸し(今年はそんなに甘くなりませんでしたが。) とお雑煮。ここ10年変わらぬ過ごし方です。
うちの家族皆、胃袋をつかまれているので毎年楽しみに大晦日 から正月2日までわいわいがやがやと。今年も正月が明けてきました。
今年は正月明けから好いこと尽くめです。こんなのは久しくないく らい。みんなコツことと積み上げてきたものが一気に実を結んだ。 って感じ!
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2018.01.01 |
謹賀新年 |
フラスカテイも今年4月で20年!
今思えば何かのご縁で豊橋に来てこんなに歳月が経って いました。いろんな素敵な出会いもいただきました。 生まれ育った半田より、いつの間にか新城の方が長く なっています。お店を取り巻く環境も豊橋有機の会との出会い から発し0q(イタリア版地産地消の意)、日本でも昔から 言われていた“四里四方で賄える”この土地の恵みを享受 ようになってきました。
自分にしても料理を始めて30年“心・技・体”が整ってきました。
とはいえ、毎日一歩づつ。変わりません。
今年ももよろしくお願いいたします。
FRASCATI 榊原弘盛
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