料理講習会についてのお知らせ

 

年内の料理講習会についての日程が決定いたしました。

 

・9月8日(日)17時より、9日(月)19時より。

【茄子と南瓜を使って】・・・茄子のマリネ、南瓜のマリネ、南瓜のペンネ。

Ⅰ菜園風・農家風アンティパスト・・・夏の名残の野菜をいろいろとマリネに。“Moriソーセージ”さんのドイツ加工肉各種を取り合わせて。自家製サルサ・ヴェルデを添えて。

Ⅱ南瓜のペンネ。

会費4000円税込みになります。

・10月27日(日)17時より、28日(月)19時より。

・12月1日(日)17時より、2日(月)19時より。

 

具体的な内容については、食材が決定し次第お知らせいたします。


お知らせ

 

引き続きのお願い・通常二人での営業の為ランチ・ディナーの営業時間中の電話対応が
やむを得ずできない場合が今後においても発生すると思われます。特に土曜日ランチ営業の開始の12時より。
ディナー営業の開始時刻18時より共に電話を外しております。それ以外の曜日でも今後そういった
対応を取らせていただくことがあります。
ご了承ください。

それに伴い、有難いことではあるのですが、お時間のない方についても場合によっては対応できかねる
ことがあります。ご予約の際お伝えいただけると考慮できると思いますが、突然の場合はお断りする
場合があります。
ご予約の立て込む日などはフリーでお越しのお客様の対応ができない日もあります。

重ねてお願い申し上げます。

フラスカティ さかきばら



2019.09.22
矢田部みね子、ワン入ります。

休日の今日、ひよっこの総集編の再放送!

やっぱいいですね。ほっくりします。


ポルチーニ茸とジロール茸

フランス産の仔牛骨付きロース気に入って使っています。岩手短角牛はうちで一番人気。なかなか陽の目を見ないこの仔牛肉ですが、個人的にはイタリアで食べる牛肉のイメージはこちらの方が近いと思って使い続けています。

で。今日は地元の同級生の家族が来店。朝到着したばかりのポルチー二茸を煮たばかりで、それもすっごく出来が良かったので、Ris,Caccianiで提供していたFiletto all`ombrella(牛ヒレ肉のフンギ・ポルチーニの傘を添えて)をこの仔牛のグリルでやってみます。今朝煮たポルチー二茸をたっぷりとソース代わりに添えます。こういう料理大好きです。


秋の味覚

やっと少し涼しくなってきました。食材も9月の声を聴くとぐっと秋めいてきます。夏の間いだ、彼の地イタリアも山岳部が猛暑だったようで、ポルチーニ茸入荷が始まる7月上旬にちょろっと入ったのみであとはほぼ案内がありませんでした。

それが9月に入り出荷が再開すると、それを払しょくするほどのクオリティーで毎週入ってきています。値段そのままでクオリティーの差が結構ある食材なので、信頼する業者さんの電話での対応を信頼するしかありませんが、今の担当の彼はほんとに頼りになります。なかなか今の業者の営業の子でも時代の風潮に流されたり表面的な関係性だけの子が多いこの時代の中では稀有な、それも若い営業の子です。以前お店を尋ねてくれた時に聞いてみると、東京で配達営業をしていたそうで、それも、ぼくでももし配達で行けって言われれば身が引き締まるような重鎮のシェフのレストランの名前がすらすらといくつも出てきました。これは本物です。東京のそういったお店はほんとに厳しいですし、中途半端な知識でやっていたらけちょんけちょんにされるでしょう。

自分も思い出すことは、駆け出しのころ奈良のレストランで住み込みアルバイト時代、お肉屋のご主人がいつもヘレ(関西はヒレ肉のことをこう呼びます)をガーゼに来るんで自ら配達してくるんですが、ホント怖かったですもん。ぼくらみたいなぺいぺいは眼中にありませんでした。そのくらい自分の扱っている食材に自信やプライドを感じる仕事をしていたのだと思います。今そんな人あんま見ないですもん。当時はすっごく怖く見えていましたが、いい顔していたんでしょうね。

そう思ってみるとイタリア時代にもおんなじことが日々行われていました。当時は気付きませんでしたが、それぞれの搬入業者の持ってくる食材、それぞれにプライドを持っていたんだと今になって思います。ただ食材を買う。持って来てもらう。ではなかったんだ。と。いつの頃からか自分もそうした関係性を築ける業者さんとだけお付き合いが続いています。ただ食材とお金だけを交換しているんじゃあないと。

フレッシュのポルチー二茸は(昨年はここの業者さんから東海一仕入れした。って言われました。頑張りました)毎年それなりの量を見ていますが、毎週コンディションが違い、電話注文となるのでお任せで、信頼するしかありませんし、自然の物なので毎週入荷の茸コンディションと仕入れを予想しながらの仕入れと言うのが現状で、その週の分として在庫としてあっても、その週の茸のコンディションによっては無理してでも仕入れるって言うことも必要な食材だと思って付き合っています。ただ昨年から自家製ドライポルチーニ茸と言う逃げ道と言いますか、保存するすべを発見したので由貴さんに怒られない程度の仕入れのバランスを取れば、ある程度いいコンデションでポルチーニ茸をコンスタントにストックできるようになりました。

九月に入り3回仕入れたわけですが、いつも言ってるんですがこのくらいのいいコンデションのポルチーニ茸はシーズン中でも2~3回、下手すると1回有るか無いかって年も、自然の物なのでそれはそれでしょうがないこと。今年は近年にないくらいコンディションが抜群にいいです。

それに今日仕入れたのがコールベール(フランス産青首鴨)、ペルドロー・ルージュ(フランス産山鶉)、ジロール茸。すっかり食材がぐんと秋めいてきました。


2019.09.20
禁じ手

若いころは技術は今ほどでもちろんなく、思いと若さ、それまでの経験値だけで突っ走ってしまうとことが多分にあり、大怪我を幾度もしましたし、自己嫌悪になることもそれにも増して多くありました。それでも長らく前のめりにやってきたつもりです。今思えば、言ってみれば怪我の功名とでも言ったらいいのでしょうか?50歳を過ぎたころから技術的にも精神的にも安定してきました。それと並行して巷にレストランも数多く出来てき始め、お客さんの方も経験値が増えて来たって言うことも救いの一つのように思います。

もう10年以上前。自分にいろいろ禁じ手を課していた時期がありました。一番古い記憶ではトマトです。イタリア料理で!今思えば何してるんだろうって思いますが、当時の自分は真剣でした。

一つの理由は今思い返してみると、ローマ料理ってとりあえずトマトで煮るって言うイメージがあって自分の得意分野を止めてどこまでできるか。なんて、独りよがりな足かせをかけたりしたこともありました。その当時トマトホールを缶切りで開けた記憶がありません。

次が“スパゲッティ”です。今こうして自分で書いていても何やってるんだか。ってつくづく思います。これはちょうどネットが一般化してきて『あそこの店のスパゲッティは固い』とか『いえいえ。私の時は、お皿から固くって飛び出していました』・・・あんた。ホントに皿から飛び出したパスタ見たことありますか?僕はあります。イタリアでさすがにカメリエレがお皿持って帰ってきて、『さすがにこれはないよ』って。“触らぬ神に祟りなし”ってやつでスパゲッティ封印!です。

その頃からかれこれ10年余り、今ではものすごい種類の高級パスタが輸入されるようになり、自分の思うアルデンテでもってある程度の万人受けする仕上がりに調理できる良質なスパゲッティが手に入るようになったので、そこもクリアー!

あとはこの“甲殻類”昔よくテレビで名古屋は『海老ふりゃー』って悪口言われていたので封印!じゃあ使いません。です。偏屈でした。です。

でもよくお客様。見守り続けてくれたもんだなあと思います。でも切れずに細く長く来店されてきたお客様方とは一緒に成長してきた感がありますし、それなりにいい経験もさてたのではないのか?と自負も少なからずあります。大振り三振もある分ホームランもあるわけで、ずっと三振ばかりならとっくに見放されているはずですから。

 

ただ蛇足ながら、最近のお客さんたちって一回で元とろうって人が昔より増えてきているような気がします。ま。個性的な個人店も減ってきていますが、僕らもすべてのお客さんに向けて作ってませんし、分かってくれる人のためにベスト尽くそう。もうこういうセリフを言ってもいい年になってきたかなあ。と思えるようになりましたし。個人店。そこに来るお客さんってそれぞれ人と人って関係を築ける人が集う場所なので。それが分からない人との関係はこっちも無理。って思います。日本人ってレストランをもっと楽しく大らかに使って。ってたまに思います。特に時間ない人って、ここに来るまでなん十件なん百件のお店を通り過ぎてきてそのセリフ言ってるのか?って。・・・これは余談。

“タラバガニ”って魚屋さんとその話になると、当時北海道の宗男議員が対ロシア政策の辣腕を発揮していたからこそ以前は潤沢に、それこそ20年前とかは時期になるとタラバガニのトロ箱が積み上げられていましたから。今はタラバガニ自体をほとんど見なくなりました。

昨日『蒸した足だけだけどタラバ入りました』って連絡が入り迷わず仕入れました。むき身にして1.5kgになりました。せっせと使わなくっちゃです。

今回試作したのがオーソドックスに“マリナーラソースにタラバガニのほぐし身を入れたスパゲッティ”・・・今気付きましたが禁じ手がすべて入ってます。と。“フレッシュポルチーニ茸とタラバガニの軽いトマト風味のパッパルデッレ”。もう一品は確認済み定番なので試作なしなのですが“自家製ドライポルチーニ茸のクリームソース タラバガニ風味のパッパルデッレ”です。

『海老ふりゃー』かもしれませんが、甲殻類は改めて美味しいです。し、ポルチーニ茸との相性は改めて抜群だと思います。


2019.09.11
ポルチーニ茸

夏の間、イタリアも猛暑だったらしくほとんど入荷がなかったフレッシュのポルチー二茸ですが、今週に2㎏入荷しました。


2019.09.06
“ステファノ”風サラダ

夏の暑い時期になると提供するこの“ステファノ風”サラダ、派手さはないのですが、いろいろな夏野菜と短角牛の茹で肉、チーズが入っていて酸味もばちっと利かせているので食欲が落ち気味のこの季節には最適の料理だと思っています。

イタリア語で『カンパ二リズム』・・・日本のニュアンスで言えば『地産地消』であり『四里四方に病無し』、教会の鐘が聞こえる範囲、その小さな世界で完結した郷土料理。四里四方に病無しの精神。身の回りで取れる食材を食べていれば病知らず。

真夏に採れる野菜類を食べると体を冷やす効果があり、冬の寒い時期の野菜(根菜類などは)人の体を温める効果がある。って言うことを暫く前に聞いたことがあります。

で、この料理のは、実はカッチャーニの賄料理がヒント。当時の料理長が当時ダイエットのため食事制限をしていました。病院で処方してもらった食事メニューに沿って彼だけ別メニューの賄でした。スタッフすべての賄はいつも彼が作っていました。手際よくお昼の営業前の賄、20人弱の食事をぱっぱと美味しく毎日作ってくれました。今でも。と言うか今だからこそ毎日頂いていた賄は僕の料理を作るうえでの根っこを形成してくれた大事な経験でした。

とは言え彼はそれとは別に自分のダイエットメニューを毎日作っていました。毎日にほぼ同じ料理だったのですが、そのメニューは、ズッキーニと人参、じゃが芋などをくたくたになるまでボイルしたものとサラダ菜、モッツアレラチーズとブイヨンの茹で肉をオリーブオイルとヴィネガーで和えたサラダでした。ただちょっとびっくりする量を食べていました。ある時シェフに聞いてみました。『シェフ。ダイエットなのに量は食事制限にないんですか?』って。そしたら『この茹でた野菜を使ったサラダだったら量はいくら食べてもいいって指導を受けている』ってことでした。でそのサラダをイメージしたのがこの料理。シェフの名前がステファノだったので“ステファノ風”に命名しました。

 

 

すいません途中です。


2019.09.03
本 ”秀吉が聴いたヴァイオリン”

久しぶりにこの本を手にとって、裏書を見ると平成元年十月十一日 第一刷発行とあります。今朝偶然、朝のルーティーンで朝刊をチェック。BSのTV欄に目が留まりました。『地球に乾杯 ストラディバリウス』の再放送2001年製作・・・ストラディバリウスと言えばクレモナ?それに、住んでいた当時、1994年なので時代の雰囲気もそんなに変わっていないでしょう。ちょうど出勤時間ぎりぎりで番組の冒頭だけチェックして納得。もちろん予約もしてきました。帰ってからゆっくり観ようと思います。

で、この本を思い出して久しぶりに手に取ったというわけです。内容はもうかれこれ10年ほど前に読んだのですが細かいことはだいぶ忘れていますが。日本人初期のクレモナで外国人マエストロの一人石井高さんの自伝的小説です。

 

で、今日はこの小説の内容ではなくこの本にまつわる話。

この本(実際には当時お借りした本で、今のこの本はしばらく前に取り寄せて買ったもの)を初めて手に取ったのは、それこそ今から30年前です。フラスカティでの研修の2年半を終え、次の研修先ロンバルディア州マレオ村にあるアルベルゴ・デル・ソーレにもう暫くしたら旅立つっていうある日、最後の数週間を綿貫(画伯)さんご夫婦との別れを惜しむように何度も行き来していたある日のこと、『榊原君、こんな本があるんだけれど、今度移り住むマレオ村のすぐ近くのクレモナについて書かれた本で、そこに現在も住んでいる日本人ヴァイオリン製作者の人が書いた本だから、読んでおくといいかもね。』と言われて貸していただいたのが初めてこの本との出会いでした。

マレオ村に移り住んで、クレモナは20㎞ほど、(今日の深夜0時45分再放送もあります。の冒頭にも出てくる自転車で映画【自転車泥棒】に出てくるような自転車です)お店の自転車で、それを借りとことこ何時間もかけて行ったこともあります。

町のチェントロ(中心)の教会の横の市庁舎の壁にクレモナ・ヴァイオリン製作者(マエストロ)の一覧が掲げられていて、外国人枠のトップにTAKASI ISIIとあったのを発見した時は、おんなじイタリアで研鑽を積む外国人の末席の一人として、この地に足跡を残している日本人の名前を見た時に震えを覚えました。当時まだ日本人でそういった形で活躍している人はほとんどいない時代でした。その時は2ヶ月ほどでいったん帰国することになり、その後4年して結婚し、由貴さんとおんなじ風景を見るとは思っていませんでしたが。アルベルゴ・デル・ソーレに再び夫婦で迎え入れてもらってから、何度もクレモナには行きました。その一覧が掲げられた壁の前にBARがあり、よくその壁を眺めながら自らを鼓舞する思いを抱きながらカフェをしたことを思い出します。

時代はだいぶ下り、今から10年ほど前、あるインポーターさんの試飲会に伺った時の話。何気なくいつもの感じでワイン試飲をしていると(あんまり営業の人につかれるのが嫌なのでそれとなく人を避けながら)何やら遠目にも若いイタリア人とおぼしき営業の子が目に入りました。しばらくしてその彼の前のワインにたどり着いたとき、こちらから話掛けました。日本語が流暢で、でも名前はアンドレア?どうしてだろうと聞いてみると『イタリア人の母と日本人の父のハーフです』とのこと。で、『どこの出身ですか?』『クレモナです』その時はまだ気づいていませんでした。『・・・へー、クレモナですか。自分もそのそばのマレオって村に住んでいました』『ええ。もちろんマレオ村は知っています』『で、日本人のと父さんって言いましたね。苗字って何なんですか?』『石井です』『???クレモナで。石井姓???もしかしてあなたのお父さんってヴァイオリンの制作者じゃあないですか?』『???なんでそれを知ってるんですか?』『あの。お父さん本出されてますよね。僕20年前(出会った当時)にあなたのお父さんが書いた本を読みました。それにクレモナのマエストロの碑に刻印されている石井さんの名前も見に行きました。それに、もしクレモナの町で当時行きあったらいいなって思ってクレモナの町をいつもきょろりょろして歩いていましたから』『それ、お父さんに言ったらすごく喜ぶと思うので早速今晩にでも連絡してみます』それを始め何気なく聞いていた周りの同僚の営業マンたちがどっと盛り上がったのを覚えています。

始め何気なく綿貫さんが手渡してくださったこの本が巡り巡ってこんな不思議な出会いにつなげてくれたご縁を感じ、その当時手元になかったこの本をネットで取り寄せて20年ぶりくらいに読み返しました。暫く本棚に並んでいたこの本もまた、これもTV番組のご縁で本棚から引っ張り出したので、久しぶりに読んでみようかと思います。

ただいま読んでいるのが大作で、池波正太郎著【真田太平記 全12巻】今7巻で関ヶ原のくだりでいいところ。どのタイミングで挟みましょうか?


2019.09.01
休日に

休日の今日、久しぶりに中華の日。今仕込み中です。

“ピータン豆腐” ですが近所の鈴木豆腐店が廃業してから半年豆腐は半田の友人が持って来てくれた“板山豆腐”を一回食べたのみ。いつしか、どうもスーパーの豆腐は食べなくなりました。で。最近発見したのがピーナッツ豆腐!これがピータンとなかなか相性よくって、豆腐のさっぱしと合わせるのも捨てがたいのですが、ピーナッツ豆腐のねちっと風合いも捨てがたい美味しさだと思っています。沖縄で初めて食べてそれ以来たまに食べたくなる味です。タレも“芝麻醤”でゴマペーストを使うので同じナッツ同士で相性もばっちり、最近のお気に入りです。

今下焼のバリソバ!直前に白菜とキクラゲ豚肉を入れた牡蠣油風味の餡を作ってかけます。後は白菜のたたき炒め。小松菜のあっさりにんにく炒め。生春巻き。

あと一時間で晩御飯になります。


古い雑誌Ⅱ

つらつらと雑誌をめくっていると、今では行き着くとこまで行っている料理店の紹介やお取り寄せの銘菓、食にまつわるエッセーに至るまで初期型?フォーマットが出来上がっていなかった時代の分、それに普遍的なこと、そういった老舗の(レストラン・和菓子店)お店に触れているんでしょう30年近くたっていても全く古びてなく、かえって新鮮に読めます。それこその真逆が女性誌で、その時代時代の最先端を伝えることが使命何でしょうが、今読み返すともう読めません。

 

お取り寄せの創成期なんでしょう。老舗の銘菓が並びます。どこも美味しそう。今では出尽くして紹介を依頼される人たちもなんか“気の利いたお店や商品”をっていうのがかえってあざとく見えるような企画になっているような気がします。

読んでいていい言葉がありました。我が愛しき洋食 歌舞伎役者中村富十郎さんの言葉『食べるものは少なくても、気持ちがあったかい時代でした。』

あとこれは蛇足。福岡伸一教授の言葉『食べ物はガソリンじゃあありません。車にガソリンを入れると動きますが体を作るわけではありません。人は食べ物を食べて体の隅々までいきわたって我々の体を形成してくれます。』

ともう一つ。『あなたは、あなたの食べて物でできている』


古い雑誌

この間、長女が数日かかけて家族の服をかけているハンガーラックの後ろに20年近く隠れていた本棚を移動、整理整頓をしてくれました。それまでそこに雑誌や文庫本、料理書が埋もれていることは分かっていたのですが、普段休日や帰宅後はちょっとまとまってそんな雑誌や本を手に取るような時間がなかなか取れませんでした。日の当たる場所に移動された本棚、懐かしさも含め目がいくようになりました。『あ。こんな本あったな。え。こんな雑誌買ってあったんだ。』で、今日は夏休み最後の日。子供たちも昨年ほどではないにしても(お尻にひがついていました)最後の夏休みの宿題にかかわっているので、自分も邪魔にならないように静かに部屋の隅でごそごそ事務仕事をやっています。そんな中でちょっと手にした雑誌がこれ。

30年近く前の雑誌。東京修業中に買ったものです。今マイブームは時々書いている“町中華”ですが、とはいえ潜在的に好きなカテゴリーの料理であり、豊橋に来てはや21年になりますが、深夜に仕事終わりになる飲食店従事者が深夜にホッと何がしらかを食べれるお店は深夜中華しかありませんでした。(今すべて廃業になってしまいましたが)自分たち30代40代の夕食(深夜食)を支えてくれていました。

僕の体の一部は当時お世話になった深夜町中華でできていると言えます。で。洋食は、ずっと昔から好きでした。これは自分が調理師と言う概念ではなく、食べ手としてです。ただ、洋食・西洋料理の文明開化明治維新後約150年近い歴史の中で、よくもまあ食材のない中で脈々と技術をブラッシュアップして維持してきていることに感慨を覚えるからです。

我がイタリア料理にしても今でこそ肉魚野菜やオリーブオイルをはじめ各種輸入食材も数限りなく入ってくるようになりましたし・・・。現在では自分らしさにどう向き合うかっていう時代にまでなってきている感がありますが、この雑誌当時では東京のイタリア料理店の一流店でさえかなり苦労して料理を作っている状況でした。そういったところの時代の空気を感じていた世代の者としては洋食のたどってきた歴史や構築した現在の洋食の立ち位置みたいなものにもかなり共感と言いますか先輩感みたいなものを覚えるからです。

ただ、現在地方都市ではなかなかちゃんとした洋食屋さんて見かけなくなりました。既製品もかなり出回るようになったことや喫茶店がそれを担っていったことそして喫茶店が衰退してカフェやファミリーレストランにその座を奪われていったことがあるのでしょうか?反面、実は自分も実際に趣味でプライベートで洋食を作ってみると、よくもまあどこにでも入るような食材を使ってひと手間二手間かけるとこんなに美味しくなるんだ!っていう仕事を構築して来た歴史をつくづく感じますし、既製品(ほとんど食べたことはありませんが)全く別もん!でしょう。是非、家でも食材をスパーなんかで買ってきてから作ってみるとそれを感じれると思うのですが。それにこういった仕込みの性質上手間がかかるので職人さんたちもある程度まとめて作って日持ちできるように料理を構築しているので、一度仕込んでしまうと、ある程度何回かに分けて食べれるような量になると思うのですが。“考えるより産むがやすし”じゃあないでしょうか?


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