お知らせ

師走の繁忙期をバタバタではありましたがつつがなく営業をすることが出来ました。

引き続きのお願い・通常二人での営業の為ランチ・ディナーの営業時間中の電話対応が
やむを得ずできない場合が今後においても発生すると思われます。特に土曜日ランチ営業の開始の12時より。
ディナー営業の開始時刻18時より共に電話を外しております。それ以外の曜日でも今後そういった
対応を取らせていただくことがあります。
ご了承ください。

それに伴い、有難いことではあるのですが、お時間のない方についても場合によっては対応できかねる
ことがあります。ご予約の際お伝えいただけると考慮できると思いますが、突然の場合はお断りする
場合があります。
ご予約の立て込む日などはフリーでお越しのお客様の対応ができない日もあります。

重ねてお願い申し上げます。

               フラスカティ さかきばら



2019.07.18


焼肉でご飯を食べる派?食べない派?

 

海の日を絡めた三連休最終日の昨夜、いろいろな偶然が重なり家族そろって外食することが出来ました。こういう仕事をしていると定休日以外ってなかなか、どうしてものことがないとお店を休むなんてできませんし、ましてや遊びとは言わなくてもちょっとした余暇・リラックスタイムなんて考えも及びません。考えません。

たまに夜の営業の時、来客がなくて早々に帰ることもあります。夜早いうちに自宅に帰れるわけですが、気分や体は本当の意味では休まりません。お店を早じまいしてへこたれて帰ってきているわけですから・・・。

普段の営業で予約なくって7時半以降にフリーなり直前の電話なんてうちではほぼほぼありません。営業前の予約と始まって30分が勝負みたいなもんです。曜日にもよりますが流れのなさそうな日では、普段夫婦二人でひっ詰めてやっているので、そんな流れのなさそうな日にはある程度待って、『今日は料理の神様が自分たちに休みなさいって言ってくれているんだ』って思って、さっと引き上げることにしています。そうでもしなきゃあ、休息なんて取れません。若い時ならつゆ知らず、これからも長く続けていくためにはそういった緩急もつけて行かないとと思えるようになりました。

で、昨夜は、お昼の喧騒もちゃんとあり、夜も数は少ないながらにもちゃんと営業と言うかそれなりの形になり、早々に引けたのでこれはチャンス!と。

それに合わせてと言うわけではないのですが、偶然昨日の日曜日に三女が長女を口説き落として、映画館に車を出してもらえることになり、三姉妹で夕方からお店の近くのコロナシネマワールドに映画に出かけていました。結果的にこれがよかったのですが・・・。実は日曜日に由貴さんに映画行こうと言われていたようなのですが、疲れすぎていて出かけるのはちょっとと言う話になっていたようです。

お店の方が早々に引けて、思った以上に早く片付けも終わり娘たちに連絡を取ってみると『いいけど。どこに行くの?』早い時間とは言え21時近くですとやっているお店も限られます。『町中華か、焼き肉』・・・『焼肉で!』と言うことになり『じゃあ。現地で集合ね。』親になって初めてです。こんなチャンス。

 

久しぶりに行くそのお店は、しばらく前に半年ほどお店を休んでいて、このままだとは再開は無理か?と思っていました。年配のお母さんと、板さんと呼ばれている実直そうな、これもまた年配の男の人の二人で深夜まで営業していてくれる個人店の焼肉屋さんです。師走などホント疲れた時に二人で(昔は青さん誘って三人で)『焼肉に行って充電する?』って。それでも年に2回くらいですが、ここぞっていう時に気合入れに行くお店だったので、そういった年配のお店でここ近年知り合いのそういったお店で一度閉めて再会って、かなり難しいのではないかと思っていました。

実に再来店するのは2年ぶりでしょうか。ただ久しぶりに会うお母さんは一回り小っちゃくなったかも。で。板さんが亡くなられたとのことで、いきなりショックな話。寡黙で、実直そうな彼の人柄がしのばれます。こんな職人気質な板さんなんて地方都市ではほんとに見かけなくなりました。こういう人たちって絶滅危惧種なわけです。あと10年か15年もすると完全にもう無いわけですよ。

でも何より嬉しかったのは、お母さんをサポートするメンバーが彼女の妹さんともう一人パートさんと妹さんのご主人で再開されていて、以前はお母さんと板さん二人で深夜営業の焼肉店と言う通好みの雰囲気だったのが、より含みを持った家族経営的な温かさが出ていてとても気持ちよく、家族でそれも美味しく過ごせて特に自分はこんなことって滅多にないことですし、一人で興に入って福福と酔ってしまいました。

で。以前にも書いたと思うのですが、50年近く前の半田の焼肉屋で自分は育っていて、ま。ほんもんのとんちゃん屋です。言ってみれば、じゃりン子ちえの世界であり。近年の映画だと【焼肉ドラゴン】みたいなお店でした。朝鮮人のおばちゃんが一人で切り盛りしていて、お客はガテンな職人さんかうちのおやじのようなギャンブラーしかいないようなお店で、家族連れなんて行ける雰囲気ではなかったと思います。

そんなとんちゃん屋が僕の焼肉人生のスタートだったのと20代はイタリア半分東京半分で焼肉屋なんて行ったことありません。一回だけアクア・パッツァの食事会で西麻布の叙々苑でシャンパン飲みながら焼いてくれる焼肉!は自分にとってはカルチャーショックでした。もちろん会計の金額を聞いてもう一度吃驚です。

当時小学校低学年で食べ盛り、家でお肉なんて食べることなんてほぼない時代ですから、焼き肉屋って連れて行ってくれるのはものすごく嬉しかったのですが、ご飯なんて置いてない。メニューなんてホルモン(てっちゃん)しかないくらいのお店で、カルビはてっちゃんとてっちゃんの合間にちょろっと箸休めで食べるくらいの食べ方のお店で、お客さんも皆昼過ぎからみんなビールか自家製どぶろく、もしくは酒飲んでるような店。今思うとよく親父ってうちらみたいな子供をそんなとこに連れて行ったと思うようなプロ仕様のお店でした。でもほんとお腹空いてて、こんなホルモン焼いたので白飯掻っ込んだらどんなに幸せだろうって初め思ってお店について行ったのですが、ある時からコーラ飲みながらホルモン食べるのがなんか大人の仲間入りしているようで自分なりに腑に落ちて行ったようです。

 

時は過ぎて、豊橋に来てお店をはじめ、スタッフの慰労を兼ねて深夜営業の焼肉店(先ほどのお店ではありませんが)をスタッフの知っているお店に連れてってもらって、オーダーの際二人の男の子(当時のスタッフ)が同時に『ライスもらっていいですか?』『・・・?』はじめ焼き肉屋にライスあるって知らなくって。後こっちの(豊橋の。もっと言うと今のチェーン店の焼肉屋)焼肉って料理屋さんと言うか?ご飯を食べるご飯屋さんであり家族や仲間とワイワイやるお店で、僕の言葉で言うと石焼ビビンバみたいなしゃれた料理がある焼肉屋さん。実はいまだになれません。肉の種類なんてそんなにいるのかっていまだに思います。美味しいホルモンとカルビ。があればあとちょっとなんか肉か内臓があって美味しいカクテキかキムチがあれば。酒もほんとビールと安い酒があればもうそれで良しです。いまだに日本酒に関しては極端に言うとワンカップをちんちんに燗してくれたのを喜んでいただく方ですから。

あともう一つ余談ついでに書くと、昭和40年ころ道路交通法改定で当時の半田国鉄駅周辺には今の博多のような屋台の文化があったそうで(親父に何度か聞かされました)その屋台は移動できない建物だったらしく、たぶん掘っ立て小屋のようなものだったのでしょう。(子供のころそんな居酒屋がまだ少し残っていましたから)港で働く職人さんや工人さんが駅に向かう途中でみんな引っ掛かりにいったのでしょう。安くって旨くって。パット飲んでぱっと帰れる。一日の疲れを家に帰る前にちょっと置いていける場所だったんでしょう。それがその頃撤去の憂き目にあい、それを機に廃業するお店もあったらしいですが、どこかつてを頼って軒先を借りて再開したお店も多くあったそうです。30年ほど前で半田で親父曰くそういった流れを汲むお店のことを“屋台”って言っていました。初めお店のていをなしているのに“屋台”“屋台”って親父が言っているので、なんでって聞くとそんな半田の飲食店の歴史を話してくれました。

今現在はもうないでしょうね。その息子さんとか娘さんがやっているそんな流れを汲むお店あるんでしょうか。

自分は幸か不幸か遊び人だった親父のそういった強烈な洗礼を子供の頃に受けて今に至っているので、でも、そこには人がいたんだなあって今は思います。大将やお母さんの顔を見ながらふっと一日を振り返る、集う人たちが。個性的な店主とお客たち。

で。一つ思い出しました。そのお母さんも数年前に亡くなったのですが。当時裏長屋でカウンター7か8席と小上がりだけでお母さん一人で切り盛りしていた焼肉屋でした。ここ20年は、半田に帰るとその焼肉屋ばっかり行っていました。お母さん、そんな喋ったりお客に愛想を言うような人じゃなかったんですが、ある時ふっと語り出したことがありました。『今じゃこんなだけれど、昭和の頃は私も若かったし、夜中まで営業していたから(当時の営業時間16時から21時でした)酔客も結構来たりして。女だからって舐められちゃあいけないからって。いろいろあったよ。』って何を思ったか自分に昔の話を聞かせてくれたことがありました。


2019.07.12
旬は10日間

先日も少し触れましたが京都老舗料亭の菊乃井のご主人村田さんが言われていた言葉で『京料理は旬をいただく料理で。物の旬は上旬。中旬。下旬。と言われていて旬は10日です。』はー!まあ。そうなんでしょうが、現実的にそれで商売となるとかなり作りても、食べ手もいろんな意味でハードル高っかー。となります。

とは言え。毎週お世話になっている豊橋有機の会の野菜を通して感じるのはでも同じ。旬は10日。とまではいわなくても2週間。から3週間まではないです。物はあったとしても農家さん曰く『フラスカティさんもうこれは止めときましょう。』はよくある話。具体的に言うと、トマトやキュウリなんてほんと3週間くらいですよ。1年の内!

スーパーに行けば一年中トマトやキュウリ、白菜、キャベツはあって当然。もちろんそれの恩恵に自分もあずかっているのでそれがダメなんて思っていませんが、とは言え、年間通して豊橋有機の会の野菜がベースでやっているのでかえって料理の季節感がくっきりと表れてくれ店の方向付けが出来るようになったのも豊橋有機の会のお陰だと思っています。

で。発入荷、遠山さんの”サンティオトマト”です。早速トマトソースを仕込みます。

初荷なので少しまだ若いかなあ。と思って仕込んだのですが、いやいや。さすが遠山さん。(腕がちがいます)一年ぶりに、香り高いローマのマンマの味がよみがえってくる思いです。

こちらはジェノヴェーゼソース。これも有機の会のバジルが出てきたからこそ仕込みます。

 

で。早速賄で試食しました。

 

“パスタ・アル・ポモドーロ”にしても“パスタ・アッレ・ジェノヴェーゼ”両者とも通年提供できる料理ではあるのですが、ここはあえて顔の見える食材を使ってこそ味わい深いと数回仕込んで終われば終わり。うちらしいと思っています。フレッシュトマトの“スーゴ”に関してはできれば一年持たせる量が確保でいたら嬉しいなあと。は思っていますが。

前シーズンは遠山さんと正木さんの2農家さんを合わせても半年分のトマトソースしか仕込むことが出来ず。年明け早々に終売を迎え、さすがにトマトソースのパスタは出なくても置いておこうと、ホールトマトで仕込んで、ま。これもローマ風と言う形でこの半年はやりくりしてきましたが、これでやっと一安心です。

ふと思ったのですが、ここ豊橋でさえもバジリコの今の時期にインゲンとじゃが芋が同じ時期に出まわっているんです。ジェノヴェーゼもしかりある意味、改めて理にかなった組み合わせなんだなあと。


洋食に憧れて

以前どこかで耳にした言葉、『歴史ある町、もしくは文化レベルの高い街には銘菓と古本屋がある』正しい言い回しははっきりとは覚えていませんが、そんなニュアンスのこと。その後、旅行と言うか知らない街に行った時、老舗の和菓子屋さんもしくは地元で愛されている和菓子(洋菓子)、と古本屋を入らなくても目で追って探している自分がいます。

それともう一つ、今お気に入りのTV番組“迷宮グルメ異郷の駅前食堂”BS朝日と“町中華で飲ろうぜ”BS-TVSで。ついにグルメ番組ここまで来たか!最終形?勿論いい意味で。大好きです。旅人“ヒロシ”さん。いつ観ても美味しそうに食べてない。美味しいんだろうけれど、美味しそうに見えないところが人柄が出ていてとってもいい。

美味しくない料理を美味しそうにレポートしてる番組の方がよっぽどいや。芸人“ヒロシ”さんの人間味が出ていて。それとアジアの怪しげな食堂での振る舞いが見ていてドキドキします。それと玉ちゃんの尋ね歩く町中華もほんと美味しそう。

それともう一つ余談。たまにお客様(お馴染みの)が、東京にによく行かれる方が多いのですが、それなりに予算を組んで行かれる方が多いのですが『なかなか美味しいお店に当たらないから何処かお勧めのお店があれば教えてほしい。』と聞かれることがありますが、2,3自分が好きなどちらかと言うとフレンチが多いのですがイタリアンとフレンチをお教えするのですが、どちらかと力説するのはせっかく東京で食事するのであれば、高い安い(お店)のカテゴリーは置いておいて、せっかくなら豊橋にないジャンル、例えば具体的に言うと職人さんが仕事をしているお店。小さなお店であればご主人が先頭を切ってストーブ前で鍋を振っているお店。ジャンルで言うと蕎麦。鰻。天婦羅。寿司。洋食。小箱のフレンチやイタリアン。ただ経験値が高い人ほどご自身の好みがはっきりとしてきている方が多いので、ましてや東京!老舗や名店がものすごくあるので、それらのお店との相性はご自身たちで見極めてとお伝えしています。

で。長々と説明してきましたが、ホント!地方都市、町中華や駅前食堂なんて壊滅的です。先日も“京都の中華”って本を買って読んだり、知り合いに雑誌を借りて予習して京都に行きました。結局どこにも立ち寄る時間がなかったのですが、お店の層の厚さはつくづく実感しました。地元で何とかとは思うのですがなかなかお店が見えてきませんし、とは言え自分もそんな時間も滅多に取れません。

 

 

 

で。最近では自分で何とか食べたい洋食や、中華は作ろう。と。洋食って、それこそ朝の連ドラ“ひよっこ”のすずふり亭じゃあないですが、あの番組で佐々木蔵之介さんが調理している料理って料理監修の人の技術・見せ方のクオリティーすっごく高いと思っていつも観ていました。日本の食材を西洋料理の技法を使ってご飯(もちろんパンにも合いますが)に合う料理を。と言うコンセプトで長年ブラッシュアップしてきた料理だと思っていて。ただ、自分が修業を始めて頃はこの洋食店って言うのも曲者で、徒弟制度の坩堝だった場所の一つ。怖い先輩いっぱいいたんでしょうが、でもそういう人って物凄く仕事ができるんです。今でこそ。と思える感は自分としても否めません。・・・でもその頃の、昭和の洋食ってもし食べれるんなら食べてみたいなってほんと思いますもん。

前置きが長くなりましたが。“じゃあ自分で作ろう。”でしたね。今回冷凍庫整理もかねて“すずふり亭”だと《ドゥビ・ソース》デミグラス・ソースを一週間くらいかけて仕込んで今日仕上げたのが順番逆になりましたが下のハヤシライス。短角牛のかぶりと新玉葱たっぷりと入れました。

 

上の写真が、カレーライス。やっぱ男はカレーが大好きなんですよね。今はやりのハーブカレーじゃなくって、玉ねぎをオイルで揚げ焼した中にS&Bのカレーパウダーと小麦粉でカレールーをかいておいて、ブイヨンで伸ばし一度濾した中に新玉葱と短角牛のかぶりの切りしを炒め入れて、ウスターソースとマンゴーチャツネで味を調えた本格?的な洋食屋さんのカレーです。子供達も食べると思ってカレーはあまり辛くしていませんが。結構自信作に仕上がっています。

今日の晩御飯は男のカレーです。

追伸 改めて洋食をこうして四つに組んで作ってみて思ったのは、勿論、既製品のカレー粉やハヤシライスの素みたいなものはありますが、こういう気分の時はそんなものには目もくれず。です。

自分もイタリア料理を原材料でしか作っていないのですが、あえて同じように原材料から組み立て洋食を作るとなると、カレーでもちゃんとゴールが見えているか?ましてやハヤシライスってドミグラスソースまでは何とかたどり着けていたと思うのですが、ハヤシライスの到達点って???はっきり言ってちゃんとした洋食屋さんのハヤシライスって今までほとんど食べた経験がなくって、かなり試行錯誤しました。もちろん本にはこうして。こうだよ。って書いてあるのですが、何店舗かのデミグラス・ソースとハヤシライスの調理例が掲載されていて、それぞれのレシピに長所と短所がなんとなくあって、それを自分なりに取りまとめてこんな感じ。ってやったのですが、味のイメージがぼんやりとしているのでゴールが見えずに鍋を煮込んでいる。牛筋や野菜を加えている。と言った感覚がどうしてもあって、その次のステップ。スライスした玉葱と牛肉をソテーして仕上がったデミグラス・ソースを加えてトマトピューレを合わせてハヤシのソールを仕上げる。に持ち込めずにいましたが。デミグラス・ソース:トマトピューレ=2:1って言うことに気付き(デミグラスで骨格を作り、トマトピューレで味の広がりを作りあと玉葱と牛肉はたっぷりとでまとめる)やっと今日の完成にたどり着けました。これで今度からは大丈夫。もうできます。

 

長くなりついでにもう一つ。自分が子供の頃の喫茶店って今思うと娯楽の少なかった当時(昭和40年代前半)って朝はモーニングの時間に始まり、お昼は鉄板で供されるナポリタンやカレーライス、ピラフやサンドウィッチなどの軽食。休日当時のカップルのデートの合間に立ち寄るひと時の憩いの場所であり。子供達には、もし親が許してくれればフレッシュのバナナジュースやケーキをぱくつき。腹ペコガキンチョの自分なんかはやっぱ鉄板で薄焼き卵の上に載ったナポリタンが思い出かな。朝から晩まで、自分もそんなに喫茶店なんて連れて行ってもらったことなかったと思うんですけど、やっぱ一番覚えていることって、すっごくいい匂いがしていたってこと。フレッシュジュース用のフルーツの熟れた香りや、ケチャップやデミグラスソースの何とも言えない深みのある甘い香り。もちろんコヒー豆の香ばしい香り。喫茶店に入ったとたんに鼻腔いっぱいに広がるえも言えぬ香りが子供心をかき立てられました。とは言え注文できるのは一品。覚えているのはクリームソーダかな。親の機嫌がいいとフレッシュのバナナジュース。確か一番高かったんじゃあないかと思います。あと思い出すのはモーニングサービスの厚切りのトースト。忘れちゃいけない自家製ドレッシングのかかったコールスローサラダが名わき役でした。

当時自宅ではトーストと言えばシキシマパンの食パンのみ。喫茶店で使用しているのはワンホールで買ってお店で見たことがないくらい厚く切ってトーストにしてあり、バターが塗ってあるトースト。(当時バターって家にはぜいたくで置いてなかったんで)そのトーストに包丁の切れ目が入っていて、これがいかにもお店でいただくトーストって感じがしたのを覚えています。もう令和の時代そんな喫茶店ないでしょう。

たぶんそんな記憶が自分のどこかに潜んでいて、その記憶の糸がたまにふつふつと洋食を食べたいって欲求につながつて、こうゆう衝動に駆られるんだと思うわけです。

あ。一件思い出しました。喫茶店ではないですが、素敵な昭和の洋食の正しい匂いのする洋食屋さん。刈谷にあります。


2019.07.09
今日の厨房より

なんとなく定着した感のある“ホロホロ鳥のディナおばさん風”。

“Monte e mare” うちの定番、海と山の幸の組み合わせで、今回は真鯛とジロール茸を合わせてメインデッシュに。

新城正木さんの茄子が始まりました。早速茄子のグラタンパルマ風を付け合わせように仕込みました。

 

“北海道産仔羊の炭火焼き、季節の野菜を添えて、カルチョーフィのローマ風”


“振草川の鮎のタリアッテッレ ノルチア風” 毎年この料理が始まると夏を感じます。ま。その前から調理場はすっかり夏ですが。

“クラテッロのパッパルデッレ”

サマートリュフもぐわし・ぐわしと毎週仕入れています。

 

これも大好きな食材ジロール茸を定番ラグーに仕込みます。


ギフト

20年前こんなことがありました。

まだお店を始めたばかりの頃でした。豊橋にも何となくなじめず、自分の方向性も見えず、ただ毎日のルーティーンを繰り返すような毎日を過ごしていました。ただ自分も若く、有り余るエネルギーとこの地にイタリア料理を根付かせるぞ!という若いが故の“根拠のない自信”みたいなものが唯一自分を支えていた時期でした。

そんなある日一人の外国人が来店してくれました。イタリア人でした。

心に刻んだ言葉で、今もいつも迷ったときに思いおこす言葉があります。『料理って、誰でもできる中で、自分らしさをどうやったら織り込めたお皿になるか。なっているか。ちゃんと自分のバックボーンのある料理をしているか。』って自問自答の日々を過ごしてきました。

お店を始めて初めてのイタリア人のお客様でした。豊橋ってイタリア人来るんだ。って思って直接聞いてみると。車関係でイタリアの技術者・デザイナーの方で、その時2ヶ月くらいの出張だったらしく、来日して暫くした頃うちの店を同僚の日本人に聞いて来店されたそうです。20年前ってネットも今ほどではなかったので口コミでホテルの周りやら同僚に聞いてやら数日いくつかのお店で過ごされたのでしょう。初来店から2、3日続けて食事に来てくれました。よくよく聞いてみると、社食がほぼ食べれず、昼食は日本滞在中あきらめていたようで、何とか夕食一食くらいはちゃんとしたものを食べたいと思っていたとのことでした。(イタリア人は朝食は軽くて、自宅で食べる人もエスプレッソかカプチーノとクッキーくらい。自分はBARでカプチーノとコロネット。ほぼ大抵の仲間もそんな感じだったので、ホテル滞在だった彼は朝食はま。何とかなっていたようです)

で。その数回目に来店された頃だったと思いますが、食事を終え帰られるときに『明日も同じ時間に一人で来るから。』って言ってくれるようになりました。で、こちらから『もしよかったら、お店のメニューももちろん頼んでくれていいけれど、自分がイタリアで教えてもらった家庭料理を仕込んでおくので、もし気に入ったらそっちの方が毎日食べるならリラックスできるかも。』って提案しました。“ミネストローネ”“パスタ・エ・ファジョーリ”“スペッツァティーノ(仔牛とじゃが芋のトマト煮)”とかあと、何かシンプルなパスタやカツレツなんかも作ったかもしれません。確か2週間ほど毎日夕食に通ってくださいました。帰国の際、飛行場へ向かうその足で、お店に立ち寄ってプレゼントしてくれたのがこの絵です。その後額装してお店に飾ってあります。

で。今日。外国人のカップルが来店されました。初め英語圏の人に見えて、由貴さんどうやって説明するんだろう。って思っていたのですが、しばらくすると帰ってきて、『イタリア語でお願いします』って、イタリア人だったんだ。って気を取り直してテーブルに。Cosa facciamo、(いかがしましょう?)Tu sei Hiro?(あなたはヒロさん?)・・・・・・・???なんで自分の名前知ってるんだろう?

よくよく聞いてみるとその20年前来店してくれたミケーレさんが会社の上司で、今回来日に際して、豊橋に行ったらここを訪ねてくれと伝言、当時の記念写真を携帯に添付して、それと今現在の彼の写真も一緒に携えて来店し、見せてくれました。

 

 

すいません途中です。


2019.07.01
フランス(ブルターニュ地方)産仔牛骨付きロース

肉ブームと言われてはや何年たつでしょう。国内各地でいろいろな生産者の努力を目にすること、耳にすることも多く、自分が修業を始めて頃から激変していることの一つとこの頃改めて感じます。その経験値は食べてのお客さまにもかなり顕著にみられます。

ある程度大きな塊で提供しようと思うと、若いころは躊躇したり、売れずにへこたれたれ、紆余曲折いろいろありましたが、ある時点から開き直って(一つにはしばらく前からあまりにもちっちゃいポーションの料理・・・と言うか、不自然なカットや小ささ・・・と言うより生き物の摂理に反したカットの仕方、例えば牛肉の焼けた回りをけっずってしまってロゼに焼けた中心部分だけお皿に盛ったりする料理。周りって焼くための部位?って思わず眼をそむけたくなります。)カットするのは家禽類ならばできれば丸一匹で調理(ジビエ以外なかなか難しい)もしくは1/4骨付きもももしくは胸で調理。四つ足の仔羊や仔牛、豚などはなるべく骨ごとの塊で。さすがに牛は骨付きは難しいですが。

だって、トスカーナのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(ステーキ)は1㎏以下では『そんなのフィオレンティーナじゃないから、食べれないなら別の肉にしときなさい』っていわれます。普通の200gからのサーロインやフィレのステーキあるんで。やっぱりその厚さや大きさでカットして調理しないと味わえない風合いってあるので。やはりそれなりに食肉の歴史にさらされてブラッシュアップされて生き残ってきた料理法だけのことはあります。自分も一度だけフィレンツェでフィオレンティーナ食べたんですが、いまだにその時のことは忘れられない食事になっています。

昔は、お客さんの言いなりな部分もあったので『あ。そうですかじゃあ小さく切りますって。』でもそれって今思うとかえって親切じゃないんですね。

それなりの価格の食材をそういうカットにすれば値段は上がりますが、そうゆう理由の元で成り立っている料理なので、それを分かった人が食べればいいんじゃあないかって。それとは別に普通のポーションで美味しい料理を用意すればいいんだと。

それにイタリアでさえフィオレンティーナを食べに行くときは、ほかの注文を控えてオーダーして、肉を食べ終わってから様子を見てパスタやチーズを食べればいいんですから。もちろんコントルノの野菜もたっぷりと食べ、ワインも飲むでしょうからそりゃあイタリア人だってそうめったやたらに食べれるもんじゃあないですから。

で。うちでは一番人気なのは岩手短角牛の炭火焼なんですが、個人的にはこの仔牛肉は骨付きのLボーンと言うこともあり、ある意味短角牛よりも焼きごたえがあり、焼き具合も“レアー”よりも若い“ブルー”で焼くと本来の仔牛のミルキーなな甘さが際立つのでそのように焼くようにして、シーズン中はトリュフをサーヴィスで削っています。

以前はなかなかオーダーされにくい仔牛でしたが、最近少しずつ認知されてきているのかなあ。食べればわかってくれるんだけどなあ。って。まあ継続は力なり。でぼちぼちと行きます。


2019.06.30
休日に

今週も土曜日の予約が有難いことにすごいことになっていたので、お互い疲れ切っているだろうという予想の元に、前もって昨日の段階で由貴さんに先週と同じで『お昼は自分つくるから。夜は任せた。』と言うことで、あり合わせのパスタとオリーブオイルでペペロンチーノのリングイネにしてみました。

家で家族と一緒に食べるシンプルなパスタってなかなかいいものです。


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