お知らせ

通常夫婦二人での営業をしており、ほぼ大抵のお客さまには、ご予約のお電話をいただいて、席のご用意をしてと言う営業を続けて来ています。不思議とお客様の動く周期と言うものは重なるようで、昨日来て頂ければ。と言うこともしばしば。心苦しい思いをすることが年齢とともにしんどくなりました。

このコロナ禍で思うところが二人の中であり。今後特に来店が集中するお昼の営業につき、予約制とさせていただきたいと思うに至りました。お電話での対応は今まで通りで、来店時間と人数を伺うご予約をいただいてでのお昼の営業となります。営業中は電話を外している場合もあります。当日12時までにご連絡をしていただくとありがたいです。


お知らせ

 

引き続きのお願い・通常二人での営業の為ランチ・ディナーの営業時間中の電話対応が
やむを得ずできない場合が今後においても発生すると思われます。特に土曜日ランチ営業の開始の12時より。
ディナー営業の開始時刻18時より共に電話を外しております。それ以外の曜日でも今後そういった
対応を取らせていただくことがあります。
ご了承ください。

それに伴い、有難いことではあるのですが、お時間のない方についても場合によっては対応できかねる
ことがあります。ご予約の際お伝えいただけると考慮できると思いますが、突然の場合はお断りする
場合があります。
ご予約の立て込む日などはフリーでお越しのお客様の対応ができない日もあります。

重ねてお願い申し上げます。

フラスカティ さかきばら



2020.07.31
正木さんのポモドーロ

7月に入って降り続く雨、梅雨明けもいまだよく見えません。近しくしていただいている正木さんや遠山さんの顔色もさえないと朝市に買い出しに行ってくれている由貴さんから伝え聞いています。

一か月近く毎日のように雨ですから、生るものもならない、実るものも実らないはずです。

 

そんな中で、今日届いた正木さんの農場で実った加熱用のポモドーロです。

今年は遠山さんが例年お願いしていたトマトを植えていない。と前もって連絡を受けていました。今年は無しかなぁ。と思っていたのですが正木さんからの連絡があり、今日仕入れてくることが出来ました。ただ今後の入荷、収量は未定(もうそんなに収穫は見込めない)とのことです。

今回4瓶分のみ。幸い味は申し分ありません。今日煮沸消毒をして暫くしたら提供する予定です。


2020.07.29
賄い

お店での賄は基本自分が担当。仕事が立て込んだ時はちょっと手伝ってもらいます。

先日入れ替えた調理場のグリル。普段は鍋を温めるだけなので、購入してからグリルの鉄板に油を馴染ませる暇がありません。たまにこうして賄で焼きそばやお好み焼き、焼うどんなどが登場します。グリルも馴染むし調理の手間も省けます。一石二鳥。


2020.07.28

2020.07.24
わが愛車”ランカスター”

16年連れ添ったレガシー”ランカスター”走行距離実に35万km!故障は、事故以外では本当に数回。よく働いてくれました。

ついに、昨日買い替えた車の納車に合わせて引き揚げていただきました。ちょうど、この車を購入した頃に次女が誕生しているので、彼女、はたまた榊原家、もっと言うとフラスカティと共に傍から支えてもらい、一緒の時間を過ごしてきました。ほんとうにありがとう!永い間お疲れ様。と、お別れをしました。


2020.07.18
テイクアウト

2020.07.13

2020.07.10
短角牛の炭火焼、フレッシュポルチーニ茸添え

2020.07.09
久しぶりに”箸休め”

今までずっと気になっていた昔から撮りためた写真のデーターを、この機に現像していこうと思い、さっそく近所の写真館に持ち込んで現像してきました。

長女の誕生の頃は一眼レフ(23年前は今ほどデジカメが浸透していない時代)を義父に頂き、初めての子供と言うこともありせっせと写真を撮っていました。ある時車に乗せてそのまま発進してしまい、そのまま失くしてしまって数年カメラがない時代がありました。その後三女が生まれたころ、この機にデジカメを購入しようと言うことになり、今から13年前、今回現像したデーターを撮り始めました。

データーのほとんどがホームページに使用するためのお店での出来事が主流なのですが、その中に当時は小さかった子供たちの画像も特に小さかったころはどうしても多くなっていました。その頃のチップも1GBとかでした。

で13年前から2年分、それでも約400枚現像してきました。

その中のマイベスト2枚です。

 

さかきばら家番”新日曜美術館・名作選”です。

【耳飾りの少女】

【ムンク(可南子)の叫び】

 


2020.07.08
名もなき町

初めて飛行機に乗ったのが‘86年で、アエロフロート(ソビエト航空)でした。

夜通しユーラシア大陸上空を縦断していく中で、窓から見下ろすとつーっと細い一本道があります。飛行機で何時間も飛行してきていてのそんな場所です。上空から見下ろすと、舗装してあるのかどうか定かでないような場所に、パラパラと数件建物が見受けられ、ガソリンスタンドや商店なんてあるのかなあ?ましてやホテルなんて無い様な、町とも言えないような場所を発見した時なんかはホントにわくわくしました。できるものならそこに降り立ってみたいとも思いました。

10年ほど前に偶然手にした【深夜特急 沢木耕太郎著】当時ドキドキワクワクしながら読みました。沢木さんがユーラシア大陸をアジア側からバスを乗り継いでイギリスまで走破するというドキュメンタリータッチの経験談を下敷きにした小説です。自分が渡航した`86年。小説の時代と下ること約8年くらいでしょうか。多分時代背景は70年代後半でしょう。何も知らずに過ごしていたイタリアでの当時の空気感をどことなく留めていているような、ヒリヒリした感覚がよみがえってくることがこの本を手に取っている間ずっと続きました。

この小説をずっと一貫して覆っている焦燥感。どこから来るのか。

アジアからインドそしてネパール、パキスタンなどは当時かなり物価も安かったんでしょうが、治安もかなり悪かったと思います。それに交通の便や流通の悪さも次元が違うと思います。イタリアでも当時日本から行くとカルチャーショック受けましたから・・・。でも小説から受けるそのヒリヒリした空気感や焦燥感もピークでドキドキするのはは中央アジアまでで、日本人にもなじみがありげな地域のトルコやギリシャ、スペインそして我がイタリア~フランスそしてゴールのイギリスと終盤はあんまりヒリヒリもしませんしペンの圧もゆるく感じていきました。

それは何かと思うに、やっぱり、ぎりぎりの感じで過ごすことの多い中央アジアが当時の青年沢木さんにとって緊張し続けている日々が、ある意味充実していたのじゃあないかと思えます。たぶん毎日がぎりぎりの精神状態、崩壊しそうになりながらぎりぎりのところで保っているって感じがページの端々に感じます。

日本じゃあほんとの意味で実感を伴う感覚として感じたことのない言葉”カオス”!今思うと当時のローマ、トラステベレ地区にあった今はどうなっているか知りませんが、ポルタ・ポルテーゼの蚤の市は初めて行った時には吃驚しましたもん。町の中、アパートの建物の廃墟のような所にごみ貯めのようになった一角があり、その中に蚤の市がたっていて、いかさま博打はやってるは、ごみのようながらくたがビニールシートの上に商品として並べられています。美品のように見えるものは盗品だって。もし何かを盗まれたらポルタ・ポルテーゼに行けば見つかるとも言われていました。

イタリアでも当時そうなんですから、EU統合とかグローバル化してきている現在とは当時は空気感が全く違うと思います。沢木さんが確か1年ちょっとをかけて移動してきた大小ひっくるめた町や村、もし自分に時間とお金があったとしても、ほぼ絶対行ったりしない、ある意味自分にとっては名前の無い町や村の様なもののように感じます。

 

今まであえて距離を置いてきたイタリアのコロナの話題、検索やチェックは一切しませんでした。朝BSのワールドニュースを見るかせいぜい新聞の情報まで。

以前9・11の時も暫くするとドキュメンタリーのTVでかなり詳しく番組が編成されていて事件の全体はこういうことだったのかある程度理解出来ました。

今回刻一刻と状況が変化していくコロナ禍の下で世界中、特に被害の多いコロナ主要の各国のダイジェストの情報が平たくなって伝わってきていました。先日やっとイタリアのコロナがどこでどうして始まったのかと言う核心を捉えた番組が放映されたので、2月からのこの5ヶ月間でいったいどんなことだったのかを知りたくて深夜のBSの番組だったのですがなんとか起きて観ることが出来ました。

のっけからショックだったのが最初に感染者が発見されたのが北イタリアだって聞いていたのですが、ロンバルディア州のCODOGNO(コドーニョ)って!

ぼくら夫婦でお世話になっていたMALEO村から10㎞弱のところ、と言うかその逆で、MALEOからどこかに行くための最寄り駅がコドーニョで、何度か街で買い物もしました。とはいえ、最初に発症者が出たって言うこと以外その後に起きたことはどこも同じです。

 

当時ローマから特急と急行列車を乗り継いでCODOGNOの駅に降り立った時は、えらい辺鄙なとこに来てしまったなあ。と思ったことを思い出しました。で、実際MALEOまで行き方が分からず、バスを1時間以上待ったことや、着いたら迎えに行くから駅から電話しなさいって言ってくれてはいたものの、休憩時間の頃到着してしまい連絡がつかず、個人タクシーもつながらず、諦めてスーツケースをゴロゴロ引きずってその10㎞弱の道のりを歩いたこともありました。その頃思っていたことがこのCODOGNOって街のことなんて日本のガイドブックにも載っていないし観光地でもないですし、MALEOのRis,Albergo del soleに研修に来る日本人くらいだろうと。食事に来る日本人は現地の友人の車で来るか自分の車かレンタカーで来るでしょう。あまりにも不便だからです。まさか今回のコロナ禍である意味負の意味で脚光を浴びるようになってしまっていたとは本当にショックでした。それまでは日本の一般の人、もっと言うと世界の人々にとっても今までは名前のない町だったわけです。今回のことで現実味をもって我々に、ある意味カミュの小説ペストのオラン市になったわけです。

でも今は終息し落ち着きを取り戻し始めていると番組は締めくくられていました。今でもお世話になった友人が何人かいます。僕の半分はイタリアでできています。本当にお世話になったし、僕を育ててくれた場所だからです。

いつまでもイタリアのことを思っています。


2020.07.06
PANNA COTTA

イタリア料理のドルチェのバリエーションはとても豊富です。ナッツを使ったもの、フルーツを使ったもの、粉をベースのタルトのバリエーションんも地域ごとに。勿論ジェーラートやセミフレッドなどの氷菓も本場ですし。

自分の修行時代の、特にローマのレストランでは、自店でドルチェを作るって言うレストランは半々くらいのイメージで、出入りの美味しいパティスリーの物を仕入れて売るというレストランもままありましたし、TRATTORIA・OSTERIA・TAVOLA CALDAなどのカジュアルなレストランや食堂的なお店ではほぼ自家製のドルチェは提供されていなくって、大手のラクトアイスみたいなものを揃えている店も多くありました。

その仕入れているレストランの考え方と自家製造しているレストランもイタリア(フランスもだと思いますが)では同じ考え方で、専門職が作ると言うこと。自家製造できないお店は専門店からそのノウハウをもってつくられたものを仕入れる。自家製造しているお店は、その専門職の職人を雇って製造していると言うこと。

方や日本では、個人店ではそんな専門職を雇えない事情から、皆で手分けしてどんな作業もこなすといった考え方が主流です。そして自分としては将来は自分でお店を持とうと早くから思っていたので、そのポジションになっていなくても自分の手が空けば(とはいえ、そんな時間はめったにありませんが)少しでも手伝うようにして少しでも経験値をあげておくと思って過ごしていました。

で、一つ。レストランのドルチェとパティスリーで作られる菓子は製造するうえでのロジックが違います。まず、パティスリーの菓子は持ち帰るのが前提で構築されているので、リキュールやゼラチン、グラニュー糖、もっと言うと焼き方まである程度日持ちさせるため、もしくは数時間の移動を考慮してのテクニックで製造されています。今ではお持ち帰りできない菓子も売られているお店も増えましたが。

方やレストランのドルチェは基本すぐサーヴィスしてすぐ食べて頂けるので、その場でココットから出すのでゼラチンもぎりぎりで仕込めますし、その場でクレームブリュレなどはカラメリゼしてジェーラートをトッピングしたりもできます。その場でカットして盛り付け、アングレーズなどのソースを添え粉糖やミントでデコレーションもできます。パティスリーにはできない発想の自由さもあると思います。もちろんどちらがいいとか優位と言うことではありません。それぞれの特性です。

とは言え、今現在は一人で調理すべてを担っているので、極力シンプルでイタリアらしいドルチェ、何度食べても飽きないものを心がけて作っています。ただ常連のリピーターも多いので季節もののドルチェも一品は置くようにしています。

料理もそうなのですが、一人で調理って言うことだけではなく伝統的な料理や菓子がもともと自分が好きなこともあり、それと現実面で言うと小さなマーケットの中である程度認知されるかリピートしていただくためには印象付ける仕事を提供していないと流されてしまうと思っていて、自分が経験したことと新しく学んだことを総動員して、いかにシンプルで美味しいものを提供するかって言うところに情熱をつぎ込んでいます。そこに燃えるんですね性格的に。

で、久しぶりに仕込んだパンナコッタ。このレシピは当時旅行で訪れたピエモンテの書店で偶然手に取った、地元のシェフが提唱するピエモンテ野郷土料理の本をぱらぱらとみていて作ってみたドルチェです。何年か前にピエモンテのワイン醸造化が来店されたことがあって、このパンナコッタを食べて帰り際に、結構興奮して『このRicetta(レシピ)はどこで習ったんだ』って聞かれました。どうしてそんなに興奮しているのか聞いてみると、老舗のワイナリーのオーナーってことはいろんなレストランとの交流があるはずですが、ご多分に漏れず彼もまさにそうで、彼曰く、地元の郷土料理をかなり専門的に蔵書も収集して研究していて日々の生活でもレストランで過ごすことも多いでしょう。今ピエモンテでもこういったパンナコッタを出す店が亡くなっていてなぜこんな日本でそれも豊橋みたいな地方都市でそんなパンナコッタを出している店があることに興味を持ったと言うことでした。

ただ自分は、ピエモンテは唯一、一度だけ数日滞在しただけで、レストランも10件ほどしか経験ありませんでしたが、今まで食べた中で一番おいしかったパンナコッタをその中の一件で出会った幸運と、偶然にしても旅の途中でその本を購入したこと。その後10何年もして読み返し、そのレシピに目がとまり、再現がちょうどうまくいったことなど。いくつもの幸せな偶然が重なったことをお伝えしました。

仕事柄いろんな方と出会いますし、また仕事柄色々なイタリア料理やドルチェに取り組みます。食材との出会いがきっかけとなることもかなりありますが、今までこうやって過ごしてきて本当に出会いって必然だなあ。と感じることが多くあります。幸福な出会いです。


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