いつもは遠山さんの奥さんのお手製塩結びとおこわ握りの二種類のおむすびなのですが、今年は先日自分も参加させてもらった稲刈りで収穫した新米を直火炊きで炊いて来てくれた“釜めし”でした。初めての試み。気の利いた趣向。これが旨い絶品です。
この新米のお米がこうやってご飯になるのに自分も3日(田植え、草取り、稲刈り/はざかけ)と関わらせてもらったので美味しさもひとしおです。とは言え『旨い。旨い。』としょっぱなから駆けつけ3杯白飯だけで平らげました。
皆から、もうそんなにご飯だけ食べてる。って言われて思い出すことがありました。
中学2年の時だったと思うのですが林間学校と言うかキャンプ合宿の時、それぞれの班で自炊のカレーと飯盒でお米を炊くのを作るんですが、先生方も持ち回りで生徒の班に交じり一緒に夕食を摂ります。なぜだか印象深く覚えている一場面があります。その前後は覚えてないんですがそこだけはっきりと印象的に記憶しています。・・・新任の保健の女の先生で当時男子生徒から結構人気があった優しい先生でした。うちの班に来てその先生飯盒のご飯だけ食べてるんです。笑顔で『美味しいね。ご飯ほんとに美味しいね』って。当時食べ盛りで今ほど豊かな時代でもなっかったですから、食い意地も張った食べ盛りですから、ご飯(飯)は腹持ちがいいしご飯食べた気がしないたちだったので2杯3杯とご飯は食べていましたが、おかずがあって初めてご飯が美味しいものだと思っていました。その時代にご飯だけパクパク食べてにこにこしているその女の先生が当時不思議に思えて、その場面今でもふっと思い出されます。
この年になり、こういう仕事にもつき素材本来の味って言うことに向き合うようになりました。それと以前読んだ【味覚極楽 子母沢寛著】に出て来る一節《しかしこの時にきいた、飯の味は冷飯が本物だということは間違いない。…絶対熱い飯は喰わない。いや、喰えなくなってしまった。》と、この一節が35年以上たって実感を伴って分かるようになりました。
|