ほんと。二人でやってると喧嘩できないし。空気悪くなるんで・・・。とは言えスタッフいる時なんてこっちも若かったし血気盛んだし結構所かまわず。って感じでしたし。スタッフにも厳しくしてきました。ただここだけは誤解がないように、書いときますが、やっぱ愛情がないと真剣に向き合えないし。怒れません。もちろん時と場所ってこともありますが、食べ物っていくらでも嘘つけるんで。自分に嘘をついていたり。ごまかそうとしていたり。そんな作業を見つけるとやっぱり許せませんでした。それがこの仕事だと1秒無いとかの感覚なので、その怒ってしまった子の経験値を見れなかった自分の若さも今では反省はしています。それとその子の10年後のことを考えて怒るというかアドヴァイスのつもりでと言うのもありました。自分がそういった厳しいが人間味のある先輩たちにそういった指導をされてきたため。当時は理解できなかったそういった子たちも、その後10年とか経ってから訪ねてきてくれたりすると、あ。間違ってなかったんだなあ。と最近そういった再会が時々あります。
それこそ先日の新聞にあった【あかんやつ】って隠語で呼んでた生レバー出してたりって、いくらでも手を変えりゃあごまかしやそこらはあると思います。
先日もラジオを聴いていたら今の若い人は(若い人に限らずだと思いますが)コスパで物を図りすぎるような気がする。って言っていて。あなんかそれってなんとなくわかる気がするなあって。
自分は若い時から現在に至るまで料理修業と言う現場は真逆で、そういった環境でやってきた人間なので、そんな性格だったら楽なのかなあ?とは考えなくもありません。
ま。若いころなんて経験値もない中で上からこうだ。ってやられたら従うかやめるしかないようにしか思えない環境で過ごしてきているので、当時の自分は今はこの中でやっていくんだ。と思うようにしてきましたし。今、ある程度色々失敗して成長してきた経験値で物を見ているのですが、数々の失敗の数の分経験値が確実に上がっていますし。今は失敗はあまりしません。今思うとしんどかったけど振り返れるようになって初めてこれはこれでよかったんだと思えるようになりました。ただこの記憶があってもう一度同じ人生歩めますか?って言われると???かな。・・・それに料理って言うことだけではなく、人って突き詰めていくと最後はコスパじゃあないでしょう。
でも、現在この経験値を構築できるまでのこれまでを踏ん張ってきたからこそ、今の感覚で料理できていると思うし、まだまだ道半ばではあるのですが、今まだの部分までは自分をほめてあげたいと。
体にも結構無理させてるし負荷かけてます。もしいつか自分が死ぬとき自分の体に『お前よくやったな。』って声かけてやりたいと思えるようになりました。どこまで走り抜けれるか。と。
ぶきっちょだから、このぐらいでよしとこう。とか出来ないんで。まあ。行けるとこまで行っちゃおう。みたいな性格なんで。それにせっかく生まれて来て人生一回なんで、ちょっとぐらい無理したほうが見える景色違ってくるじゃあないですか。それに長年愚直にやってて。ふと顔を上げるといい人がけっこう周りに居ることに気付いたりすると嬉しくなります。ましてや豊橋に来た時には誰一人知り合いもいない中からのスタートだったので、今の自分の見ている風景はかなり幸せな風景だと思います。
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