日本に住んでいると当たり前すぎて気付きにくいことの一つが食事の多様性。朝食の食卓にはトーストに卵料理あり、シリアルやヨーグルト、味噌汁にご飯に納豆。お昼は蕎麦にラーメンはたまたパスタ。晩御飯は、ハンバーグ唐揚げ豚カツ。鍋に。八宝菜。麻婆豆腐。すき焼きしゃぶしゃぶ、お刺身。書き出せばきりがありません。何気なく普通に和洋中とバリエーションに富んだ生活の中に浸透した家庭料理があります。
今日も自分が家を出る時にばばが『今日の晩御飯何にしようかな。魚か。肉か。って言っても、この辺のスーパーじゃあいい魚売っていないし。食べ盛りの孫たちはやっぱり肉の方がいいだろうし・・・。』で。結果今日の晩御飯は豚カツでしたが・・・。
イタリアに住んでいた30年前、当時の一般のイタリア在住の日本人家庭事情を聞いた記憶では、料理上手な主婦の人たちが自宅でいろんなものを作っていたと聞きます。例えば味噌。豆腐。もやし。納豆。家庭菜園でイタリアにない野菜白菜。葱。大葉。胡瓜やナスは品種が全く違ったりと。調味料なんてかなりやりくりされていたと思います。味噌醤油なんてとても貴重。帰国するたびに必需品として持ち帰るのにも生活レベルで考えると結構かさばりますし。何せ重い!
この豚カツを作るにしてもパン粉がイタリアにはありません。カツレツミラノ風に使う目の細かいパン粉なら売っています。もっと言うと食パンがない。唯一打っているのがパンカレと言うぱさぱさのちっちゃな食パンに似たパン。そこから違います。もちろん豚カツソースなんてありません。マスタードはあるけど辛子もありません。豚カツ一つとってもそういう状況でした。
自分が勤めていたローマの商社日伊興産は当時ヨーロッパでいち早く日本米を現地の農家と提携してコシヒカリを生産させてイタヒカリと言う銘柄で販売していました。だだ一般の流通はまだなく、当時の在住者は日本人の主食であるご飯(お米)でさえメルカートで数ある外米の中でうるち米に近い品種のを探してきて家庭で食べているような状況でした。
その日伊興産の経営する和食部門のバックヤードであるセントラルキッチン部門に当時勤務していた自分の仕事は、レストラン東京とにっぽん屋と言う二軒のレストランで使用する豆腐。こんにゃく。厚揚げ。ラーメン。うどん。豆腐。などの製造。たまに入荷する地中海鮪の加工。また、社内別部門である観光部門で働く販売員の女性たちと営業の男性社員の賄用弁当製造を自分んともう一人の厨房のスタッフで賄っていました。そんな当時のローマではかなり日本食材を潤沢に使用でき、日々摂取できた環境でしたがやはりソールフードと言うか食べたい料理や懐かしい食べ物の話は尽きません。当時の同僚たちとなけなしの小遣いで安くて美味しいトラットリアやピッツェリアでワイワイやった帰り道なんかでお酒が入るとそういった感情が特にわいてきます。当時よく話したことは,『ねえ。ねえ。日本帰ったら何食べたい?』です。当時自分は秋になると大根おろしをたっぷり添え醤油を考えずにひたひたにかけた秋刀魚の塩焼き。居酒屋のカウンターでビールを飲みながら焼き鳥、土手焼。和菓子。日本のパン屋のクリームパンやアンパン。などでした。
あと自分の勤務していたセントラルキッチンはポポロ屋と言う食料品店を併設していました。そこが当時ローマで唯一の食料品店でしたが、カップラーメンが一つ500円。味噌や醤油は約1000円。自家製の豆腐も500円くらいしたでしょうか。新鮮なモッツァレッラが250円くらいだった時代です。当時のトラットリやピッツェリアでワインを普通に飲んで一人2000円から2500円と言う物価でローマの日本料理店では4000円近くかかります。1.5倍から2倍のイメージ。自分は当時から休日は安いお店でいいから現地の料理を食べると決めていたので、一度も自腹では日本料理店に入ったことはありません。どうしても醤油っけの料理が食べたくなると華僑の人たちの経営する中華料理店に行っていました。2000円くらいで食べれたので。
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