リソットって全然でない。オーダーされないメニューで、このカワハギのリソットはACQUA PAZZA当時の定番であり名物の料理でした。自分も大好きな料理ですし、こんな料理が作れるように将来なりたいとあこがれる思いで先輩が調理するところを眺めるほろ苦い修業時代を思い出す料理の一つでもあります。
25年前日高シェフが三ツ星レストランのRISTORANTE DAL PESCATOREの川魚のリソットを日本の食材で再構築するにあたりいろいろ試行錯誤をしてやっとたどり着いたのがカワハギだった。と言う創作の苦労話も含め物語のある料理です。料理のルーツがしっかりとしていて、ちゃんと日本に根付くようにいい方向に改良された料理の成功例だと思っています。
料理のバリエーションの少なかったころはほんとよく提供していました。
近年、パスタのバリエーションが増えるとともにチョイスされない方の料理になっていきました。それとこれは想像の域を出ないのですが、時代が下ってくると同時にイタリア料理のレストランも増え続けていますが、一つはすべてのレストランが健全に機能していなかったり、手っ取り早い思い付きでやっちゃっていたりと、リソットってハズレをひいてしまう経験が多い料理のカテゴリーではないのかとも思っています。
イタリア料理=パスタ=スパゲッティ。昔より現在の方がお客様がなんとなく保守的になってきている感じはあります。
あとこればっかりはしょうがないのですが、一回で元を取ろうとするきらいも感じます。どんなお店でも、ましてや個人店ならばお店の癖や料理人のこだわりを食べに行くようなものだと思います。そこに一つの尺度を持ち込もうとする流れが一時ありました。そんなの面白くないのに。
50歳を過ぎた、いろんなことを経験してきて言えることかもしれませんが、振れ幅が大きい方の方が面白いって。ただ、マイナス側の振れを少なくするためにはそれなりの経験をしておかないと。せっかく目の前にあるだろうプラスを避けて通って行くのはちょっともったいないと思って普段過ごしている者としてはそこのところちょっと・・・かなっと思えてしまいます。
あともう一つ言わずもかななことですが、この10年携帯電話の発達とともにそこに携えているという安心感からか?何でも出来る。調べれるから。っていう安心感から人って考えることにブレーキがかかってきているように見受けられます。うちでの経験で言えば、『メニュー見ても全然分からないけれどなんか美味しそうだね。』これが20年前。『すいませーん。全部説明してください。』今です。『そういうこと言う人に限って人の話聞いてない。』これが由貴乃さん。
もし自分がそんな人に当たったら接客止めて帰ってきちゃうけど。なんだかんだ言って由貴さんはやさしい。
あとレストランて、何度か通って顔を覚えてもらって好みとか分かってくれてたりとか(はじめっから調子いい人って二度とこないので。これはこれ)はじめとっつきにくい人ほどお互いに分かりあえるとほんと近しくなれますし、そういう人ほど信頼しうる人間性を感じます。メニュー見ながら料理を想像する楽しみや、それをきっかけにお店の人に質問する・コミニュケーションするきっかけにもなりますし。それが出来るのがレストランや料理屋の醍醐味だと信じます。そういったお店はタッチパネルや、写真付きのメニューでもないでしょうから。
知り合いにイタリア語の先生がいるんですけど彼女も言ってた。『携帯横に持ってるんで、辞書持ってると思っているからやっぱり同じように考えなくなってきていると思います。』
これは余談。
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