2019.07.09
今日の厨房より

なんとなく定着した感のある“ホロホロ鳥のディナおばさん風”。

“Monte e mare” うちの定番、海と山の幸の組み合わせで、今回は真鯛とジロール茸を合わせてメインデッシュに。

新城正木さんの茄子が始まりました。早速茄子のグラタンパルマ風を付け合わせように仕込みました。

 

“北海道産仔羊の炭火焼き、季節の野菜を添えて、カルチョーフィのローマ風”


“振草川の鮎のタリアッテッレ ノルチア風” 毎年この料理が始まると夏を感じます。ま。その前から調理場はすっかり夏ですが。

“クラテッロのパッパルデッレ”

サマートリュフもぐわし・ぐわしと毎週仕入れています。

 

これも大好きな食材ジロール茸を定番ラグーに仕込みます。


ギフト

20年前こんなことがありました。

まだお店を始めたばかりの頃でした。豊橋にも何となくなじめず、自分の方向性も見えず、ただ毎日のルーティーンを繰り返すような毎日を過ごしていました。ただ自分も若く、有り余るエネルギーとこの地にイタリア料理を根付かせるぞ!という若いが故の“根拠のない自信”みたいなものが唯一自分を支えていた時期でした。

そんなある日一人の外国人が来店してくれました。イタリア人でした。

心に刻んだ言葉で、今もいつも迷ったときに思いおこす言葉があります。『料理って、誰でもできる中で、自分らしさをどうやったら織り込めたお皿になるか。なっているか。ちゃんと自分のバックボーンのある料理をしているか。』って自問自答の日々を過ごしてきました。

お店を始めて初めてのイタリア人のお客様でした。豊橋ってイタリア人来るんだ。って思って。それまで東京時代も含めてイタリア人のお客さまって来店経験がありませんでした。彼に聞いてみると。車関係でイタリアの技術者・デザイナーの方で、その時2ヶ月くらいの出張だったらしく、来日して暫くした頃、うちの店を同僚の日本人に聞いて来店されたそうです。20年前ってネットも今ほどではなかったので口コミでホテルの周りやら同僚に聞いて、数日いくつかのお店で過ごされたのでしょう。初来店から2、3日続けて食事に来てくれました。よくよく聞いてみると、社食がほぼ食べれず、昼食は日本滞在中あきらめていたようで、何とか夕食一食くらいはちゃんとしたものを食べたいと思っていたとのことでした。(イタリア人は朝食は軽くて、自宅で食べる人もエスプレッソかカプチーノとクッキーくらい。自分はイタリア時代BARでカプチーノとコロネット。ほぼ大抵のイタリア人の仲間もそんな感じだったので、ホテル滞在だった彼は朝食はま。何とかなっていたようです)

で。その数回目に来店された頃だったと思いますが、食事を終え帰られるときに『明日も同じ時間に一人で来るから。』って言ってくれるようになりました。で、こちらから『もしよかったら、お店のメニューももちろん頼んでくれていいけれど、自分がイタリアで教えてもらった家庭料理を仕込んでおくので、もし気に入ったらそっちの方が毎日食べるならリラックスできるかも。』って提案しました。“ミネストローネ”“パスタ・エ・ファジョーリ”“スペッツァティーノ(仔牛とじゃが芋のトマト煮)”とかあと、何かシンプルなパスタやカツレツなんかも作ったかもしれません。確か2週間ほど毎日夕食に通ってくださいました。帰国の際、飛行場へ向かうその足で、お店に立ち寄ってプレゼントしてくれたのがこの絵です。その後額装してお店に飾ってあります。

で。今日。外国人のカップルが来店されました。初め英語圏の人に見えて、由貴さんどうやって説明するんだろう。って思っていたのですが、しばらくすると帰ってきて、『イタリア語でお願いします』って、イタリア人だったんだ。って気を取り直してテーブルに。Cosa facciamo?(いかがしましょう?)Tu sei Hiro?(あなたはヒロさん?)・・・・・・・???なんで自分の名前知ってるんだろう?

よくよく聞いてみると、その20年前来店してくれた彼・ミケーレさんが会社の上司で、今回の来日に際して、豊橋に行ったらここを訪ねてくれと伝言。当時の記念写真を携帯に添付して、それと今現在の彼の写真も一緒に携えて来店し、見せてくれました。・・・その写真を見ると20年の歳月を感じました。お互い年を重ねました。

初め何が起きているのか分かりませんでした。オーダーを伺いながらこの額装したミケーレさんが当時描いてくれた画を二人に見せて、彼のサインもしてあったのですぐに確認もとれ二人もちゃんと店にたどり着け、大役の荷を下ろせてほっとしているようでした。

まさか、その当時必死に、でも一生懸命対応させてもらって、こちらも快く過ごせてもらって、久しぶりにイタリア人との会話もできそれだけでも嬉しかったことを覚えています。まさか20年も経って、こうして後輩を紹介してくれるなんて思ってもみませんでした。なんでも長く続けてみるもんですね。

毎年のように年一度か二度ほどうちの店にイタリアの方が食事に来てくださいます。ある時から(そのミケーレさんとの数週間のやり取りがきっかけになっているのですが)自分んも30年前、極東の日本から言葉もそんなに喋れない中でいきなり訪ねて行って、お店で研修させてくれたレストランのオーナーさん達や職場の仲間や先輩にどれだけよくされたか分かりません。その彼らイタリア人の恩を日本の豊橋うちの店に偶然食事にしに来てくれたイタリア人の方に少しでもその時のお礼を気持ちと料理でおもてなしをしてお返ししよう。と思うようにいつしかなっていました。少しずつですがそんな心のキャッチボールが出来ているような気がしていましたが、今日の出来事はまさに自分にとっての大きな“ギフト”でした。少しでも当時自分がイタリアから受けた恩恵が返せてるのかなあ?って思える出来事でした。

 

覚えていてくれてありがとうMicheleさん!

 

 

 


2019.07.01
フランス(ブルターニュ地方)産仔牛骨付きロース

肉ブームと言われてはや何年たつでしょう。国内各地でいろいろな生産者の努力を目にすること、耳にすることも多く、自分が修業を始めて頃から激変していることの一つとこの頃改めて感じます。その経験値は食べてのお客さまにもかなり顕著にみられます。

ある程度大きな塊で提供しようと思うと、若いころは躊躇したり、売れずにへこたれたれ、紆余曲折いろいろありましたが、ある時点から開き直って(一つにはしばらく前からあまりにもちっちゃいポーションの料理・・・と言うか、不自然なカットや小ささ・・・と言うより生き物の摂理に反したカットの仕方、例えば牛肉の焼けた回りをけっずってしまってロゼに焼けた中心部分だけお皿に盛ったりする料理。周りって焼くための部位?って思わず眼をそむけたくなります。)カットするのは家禽類ならばできれば丸一匹で調理(ジビエ以外なかなか難しい)もしくは1/4骨付きもももしくは胸で調理。四つ足の仔羊や仔牛、豚などはなるべく骨ごとの塊で。さすがに牛は骨付きは難しいですが。

だって、トスカーナのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(ステーキ)は1㎏以下では『そんなのフィオレンティーナじゃないから、食べれないなら別の肉にしときなさい』っていわれます。普通の200gからのサーロインやフィレのステーキあるんで。やっぱりその厚さや大きさでカットして調理しないと味わえない風合いってあるので。やはりそれなりに食肉の歴史にさらされてブラッシュアップされて生き残ってきた料理法だけのことはあります。自分も一度だけフィレンツェでフィオレンティーナ食べたんですが、いまだにその時のことは忘れられない食事になっています。

昔は、お客さんの言いなりな部分もあったので『あ。そうですかじゃあ小さく切りますって。』でもそれって今思うとかえって親切じゃないんですね。

それなりの価格の食材をそういうカットにすれば値段は上がりますが、そうゆう理由の元で成り立っている料理なので、それを分かった人が食べればいいんじゃあないかって。それとは別に普通のポーションで美味しい料理を用意すればいいんだと。

それにイタリアでさえフィオレンティーナを食べに行くときは、ほかの注文を控えてオーダーして、肉を食べ終わってから様子を見てパスタやチーズを食べればいいんですから。もちろんコントルノの野菜もたっぷりと食べ、ワインも飲むでしょうからそりゃあイタリア人だってそうめったやたらに食べれるもんじゃあないですから。

で。うちでは一番人気なのは岩手短角牛の炭火焼なんですが、個人的にはこの仔牛肉は骨付きのLボーンと言うこともあり、ある意味短角牛よりも焼きごたえがあり、焼き具合も“レアー”よりも若い“ブルー”で焼くと本来の仔牛のミルキーなな甘さが際立つのでそのように焼くようにして、シーズン中はトリュフをサーヴィスで削っています。

以前はなかなかオーダーされにくい仔牛でしたが、最近少しずつ認知されてきているのかなあ。食べればわかってくれるんだけどなあ。って。まあ継続は力なり。でぼちぼちと行きます。


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