2019.07.30
新城栗

ゴールデンウィーク頃に強烈な花粉を振りまくように栗の花が咲いていたかと思っていると、気付くともうすっかり毬栗に成長しています。8月末から9月上旬には収穫の時期を迎えます。


2019.07.29
石巻湯

 

 

台風一過の今日。長かった梅雨も明け、一気に夏模様の今日、外ももちろん夏日ですが厨房の中の暑さも結構なものです。朝から仕込みでTシャツ何枚替えたことでしょう。

一人での調理。アンティパストからドルチェ、パーネまですべて自家製で通しているので、一週間の仕込みのスケジュールをざっと振り分けて、その都度減ったものの仕込みもその都度組み込みながらの営業と仕込み、片付けの繰り返し、ルーティーンであっという間に一週間が過ぎてゆきます。毎日20分ほどの昼寝は必ず取るようにはしていますが、もう一段上のリフレッシュタイム、近所の銭湯石巻湯さんでひとっ風呂浴びて、ひと汗流す。って言うのが自分のリフレッシュの一つです。

とは言え、その小一時間がなかなか取れませんが、月に2~3回でしょうか?いい仕事をするため。長く続けるためそのちょっとした体のケアーを心がけています。

お店を始めた20年前にはこの界隈に銭湯が3軒ありましたが、一件は廃業され駐車場になってしまいました。ここが一番近かったんですが、もう1軒はちょっと雰囲気が合わなくって行ってません。一番お気に入りがちょっと距離がありますがいつも行くときは歩いて、リフレッシュもかねて石巻湯さんが僕の定番。

今日は朝からずっと汗まみれで、仕込みの都合もついたので4時過ぎにひと汗流しに行ってきました。今日みたいに暑すぎるとかえってご近所のおじいちゃんおばあちゃんは銭湯に入りに来ないようで、今日のこの時間のお客、男湯は僕一人で貸し切りです。広々とのんびり過ごしてきました。

しっかりとリフレッシュ、充電できました。

湯上りの心地よい心持でお店まで歩いていると、ちょうど信号待ちしていた昨日愛知県高校野球準決勝で至学館といい試合をした桜ケ丘の野球部のレギュラーの二人と遭遇(昨日TVで観戦していて顔だけ覚えていたので)思わず激励の声をかけてしまいました。(本日の決勝戦は誉高校に惜しくも負けてしまいました)『今日の決勝戦は残念だったけれど、昨日の試合TVで観戦させてもらってたんだけれど、高校3年間野球やってきて公式戦であんな試合ができたらこれからの人生の糧になるし絶対いい思い出になるよ』っていきなり見ず知らずのおじさんが声かけたにもかかわらず、『ありがとうございました』って気持ちよく対応してくれました。

※至学館対桜ケ丘戦・・・9回裏2アウトランナー無しから4対4に追いつき、タイブレークになる13回直前の12回裏1アウト満塁でセンターにヒットが出てサヨナラで逆転で桜ケ丘高校が勝利。

 

すっかり身も心も夏にちょっと弾みがつきました。

 

ただちょっと心配なのが銭湯の体重計で計量したら体重が減ったこと。秋や冬、ほかの時期なら嬉しいんですが、これからが夏本番、暑さ本番なので食べれていて呑めていないといけないんです。スタミナがいる時期ですからある程度体にパワーを蓄えれるコンディションを、特に夏は普段にまして気を使っているんですが。ま。でもこれから8月~9月の中旬までが暑さとの戦いです。頑張りましょう。夏を乗り越えましょう。


2019.07.28
休日に

休日の今日、久しぶりに我が家の定番“ルパン”です。

いつものごとく手分けして、可南子さんと自分で詰め物のベース海老と茸と鶏のホワイトソースを仕込みます。これが今日もなた完璧な仕上がりで可南子さんもご満悦。

器用で几帳面な千春さんは食パンを3等分して中を綺麗にくり抜く係。もちろん、くり抜いたパンの中心部分で仕上げに振りかけるフレークも製造します。

今日の“ルパン”はこんな感じ。家族みな絶賛でしたし、こともたちは自分たちで作ってるんですからそりゃあ美味しさ倍増です。

いただきました。ごちそうさまでした。


2019.07.27
イタリア・ロンバルディア州産驢馬骨付きロース

先日、インポーターさんんと世間話をしていて言われたことは、『フラスカティーさん。日本中で驢馬を一番売っている(使用している)お店ですよ。』ですって。

 

以前の売り方、提供の仕方では“骨付きロースのビステッカ”の時はほんとに苦戦していたのですが、骨から外し、軽く炙ってタリアータ風カルパッチョにしてからは2週間でひと固まりがあっという間にオーダーされていきます。

仕入れ始めた1年前の頃には、『エーー!驢馬!』って言うことが多かったのですが、今ではすっかり定着した感があります。

最近短角牛、馬、驢馬とタリアータ風カルパッチョ。同じ調理法で提供し比べてきましたが、一番驢馬の方がマッチしているような気がしていた。自分が納得していればそんなに売れなくても(オーダーされるに越したことが勿論いいに決まっていますが)っていう気持ちで提供し始めてみたら、あれよあれよという間に認知されるようになっていきました。なんか不思議な気持ちです。と。偏見なく、自分の目利きの力と調理の技術をやっぱ信用してもらっているっていう実感を感じます。ありがたいことです。

 


2019.07.26
遠山さんのサンティオ・トマト

数年前から毎年この時期になると頂いている遠山さんのサンティオ・トマト(加熱用のトマト)ですが、昨年に続き今年も収量がかなり少ないようで、例年であれば金曜日の朝市に数㎏づつ入れてくれるはずが、今年は昨年よりまして少なく一袋がやっとのよう。瓶詰めで仕込む量には至らずでこのままだとほんとに希少なフレッシュのトマトソースになりそうです。

旬は十日。ではないにしてもあと二週間ほどが収穫期のはずです。

まあ。自然のものなので今年は今年の、あるがままに。です。


2019.07.18


焼肉でご飯を食べる派?食べない派?

 

海の日を絡めた三連休最終日の昨夜、いろいろな偶然が重なり家族そろって外食することが出来ました。こういう仕事をしていると定休日以外ってなかなか、どうしてものことがないとお店を休むなんてできませんし、ましてや遊びとは言わなくてもちょっとした余暇・リラックスタイムなんて考えも及びません。考えません。

たまに夜の営業の時、来客がなくて早々に帰ることもあります。夜早いうちに自宅に帰れるわけですが、気分や体は本当の意味では休まりません。お店を早じまいしてへこたれて帰ってきているわけですから・・・。

普段の営業で予約なくって7時半以降にフリーなり直前の電話なんてうちではほぼほぼありません。営業前の予約と始まって30分が勝負みたいなもんです。曜日にもよりますが流れのなさそうな日では、普段夫婦二人でひっ詰めてやっているので、そんな流れのなさそうな日にはある程度待って、『今日は料理の神様が自分たちに休みなさいって言ってくれているんだ』って思って、さっと引き上げることにしています。そうでもしなきゃあ、休息なんて取れません。若い時ならつゆ知らず、これからも長く続けていくためにはそういった緩急もつけて行かないとと思えるようになりました。

で、昨夜は、お昼の喧騒もちゃんとあり、夜も数は少ないながらにもちゃんと営業と言うかそれなりの形になり、早々に引けたのでこれはチャンス!と。

それに合わせてと言うわけではないのですが、偶然昨日の日曜日に三女が長女を口説き落として、映画館に車を出してもらえることになり、三姉妹で夕方からお店の近くのコロナシネマワールドに映画に出かけていました。結果的にこれがよかったのですが・・・。実は日曜日に由貴さんに映画行こうと言われていたようなのですが、疲れすぎていて出かけるのはちょっとと言う話になっていたようです。

お店の方が早々に引けて、思った以上に早く片付けも終わり娘たちに連絡を取ってみると『いいけど。どこに行くの?』早い時間とは言え21時近くですとやっているお店も限られます。『町中華か、焼き肉』・・・『焼肉で!』と言うことになり『じゃあ。現地で集合ね。』親になって初めてです。こんなチャンス。

 

久しぶりに行くそのお店は、しばらく前に半年ほどお店を休んでいて、このままだとは再開は無理か?と思っていました。年配のお母さんと、板さんと呼ばれている実直そうな、これもまた年配の男の人の二人で深夜まで営業していてくれる個人店の焼肉屋さんです。師走などホント疲れた時に二人で(昔は青さん誘って三人で)『焼肉に行って充電する?』って。それでも年に2回くらいですが、ここぞっていう時に気合入れに行くお店だったので、そういった年配のお店でここ近年知り合いのそういったお店で一度閉めて再会って、かなり難しいのではないかと思っていました。

実に再来店するのは2年ぶりでしょうか。ただ久しぶりに会うお母さんは一回り小っちゃくなったかも。で。板さんが亡くなられたとのことで、いきなりショックな話。寡黙で、実直そうな彼の人柄がしのばれます。こんな職人気質な板さんなんて地方都市ではほんとに見かけなくなりました。こういう人たちって絶滅危惧種なわけです。あと10年か15年もすると完全にもう無いわけですよ。

でも何より嬉しかったのは、お母さんをサポートするメンバーが彼女の妹さんともう一人パートさんと妹さんのご主人で再開されていて、以前はお母さんと板さん二人で深夜営業の焼肉店と言う通好みの雰囲気だったのが、より含みを持った家族経営的な温かさが出ていてとても気持ちよく、家族でそれも美味しく過ごせて特に自分はこんなことって滅多にないことですし、一人で興に入って福福と酔ってしまいました。

で。以前にも書いたと思うのですが、50年近く前の半田の焼肉屋で自分は育っていて、ま。ほんもんのとんちゃん屋です。言ってみれば、じゃりン子ちえの世界であり。近年の映画だと【焼肉ドラゴン】みたいなお店でした。朝鮮人のおばちゃんが一人で切り盛りしていて、お客はガテンな職人さんかうちのおやじのようなギャンブラーしかいないようなお店で、家族連れなんて行ける雰囲気ではなかったと思います。

そんなとんちゃん屋が僕の焼肉人生のスタートだったのと20代はイタリア半分東京半分で焼肉屋なんて行ったことありません。一回だけアクア・パッツァの食事会で西麻布の叙々苑でシャンパン飲みながら焼いてくれる焼肉!は自分にとってはカルチャーショックでした。もちろん会計の金額を聞いてもう一度吃驚です。

当時小学校低学年で食べ盛り、家でお肉なんて食べることなんてほぼない時代ですから、焼き肉屋って連れて行ってくれるのはものすごく嬉しかったのですが、ご飯なんて置いてない。メニューなんてホルモン(てっちゃん)しかないくらいのお店で、カルビはてっちゃんとてっちゃんの合間にちょろっと箸休めで食べるくらいの食べ方のお店で、お客さんも皆昼過ぎからみんなビールか自家製どぶろく、もしくは酒飲んでるような店。今思うとよく親父ってうちらみたいな子供をそんなとこに連れて行ったと思うようなプロ仕様のお店でした。でもほんとお腹空いてて、こんなホルモン焼いたので白飯掻っ込んだらどんなに幸せだろうって初め思ってお店について行ったのですが、ある時からコーラ飲みながらホルモン食べるのがなんか大人の仲間入りしているようで自分なりに腑に落ちて行ったようです。

 

時は過ぎて、豊橋に来てお店をはじめ、スタッフの慰労を兼ねて深夜営業の焼肉店(先ほどのお店ではありませんが)をスタッフの知っているお店に連れてってもらって、オーダーの際二人の男の子(当時のスタッフ)が同時に『ライスもらっていいですか?』『・・・?』はじめ焼き肉屋にライスあるって知らなくって。後こっちの(豊橋の。もっと言うと今のチェーン店の焼肉屋)焼肉って料理屋さんと言うか?ご飯を食べるご飯屋さんであり家族や仲間とワイワイやるお店で、僕の言葉で言うと石焼ビビンバみたいなしゃれた料理がある焼肉屋さん。実はいまだになれません。肉の種類なんてそんなにいるのかっていまだに思います。美味しいホルモンとカルビ。があればあとちょっとなんか肉か内臓があって美味しいカクテキかキムチがあれば。酒もほんとビールと安い酒があればもうそれで良しです。いまだに日本酒に関しては極端に言うとワンカップをちんちんに燗してくれたのを喜んでいただく方ですから。

あともう一つ余談ついでに書くと、昭和40年ころ道路交通法改定で当時の半田国鉄駅周辺には今の博多のような屋台の文化があったそうで(親父に何度か聞かされました)その屋台は移動できない建物だったらしく、たぶん掘っ立て小屋のようなものだったのでしょう。(子供のころそんな居酒屋がまだ少し残っていましたから)港で働く職人さんや工人さんが駅に向かう途中でみんな引っ掛かりにいったのでしょう。安くって旨くって。パット飲んでぱっと帰れる。一日の疲れを家に帰る前にちょっと置いていける場所だったんでしょう。それがその頃撤去の憂き目にあい、それを機に廃業するお店もあったらしいですが、どこかつてを頼って軒先を借りて再開したお店も多くあったそうです。30年ほど前で半田で親父曰くそういった流れを汲むお店のことを“屋台”って言っていました。初めお店のていをなしているのに“屋台”“屋台”って親父が言っているので、なんでって聞くとそんな半田の飲食店の歴史を話してくれました。

今現在はもうないでしょうね。その息子さんとか娘さんがやっているそんな流れを汲むお店あるんでしょうか。

自分は幸か不幸か遊び人だった親父のそういった強烈な洗礼を子供の頃に受けて今に至っているので、でも、そこには人がいたんだなあって今は思います。大将やお母さんの顔を見ながらふっと一日を振り返る、集う人たちが。個性的な店主とお客たち。

で。一つ思い出しました。そのお母さんも数年前に亡くなったのですが。当時裏長屋でカウンター7か8席と小上がりだけでお母さん一人で切り盛りしていた焼肉屋でした。ここ20年は、半田に帰るとその焼肉屋ばっかり行っていました。お母さん、そんな喋ったりお客に愛想を言うような人じゃなかったんですが、ある時ふっと語り出したことがありました。『今じゃこんなだけれど、昭和の頃は私も若かったし、夜中まで営業していたから(当時の営業時間16時から21時でした)酔客も結構来たりして。女だからって舐められちゃあいけないからって。いろいろあったよ。』って何を思ったか自分に昔の話を聞かせてくれたことがありました。


2019.07.12
旬は10日間

先日も少し触れましたが京都老舗料亭の菊乃井のご主人村田さんが言われていた言葉で『京料理は旬をいただく料理で。物の旬は上旬。中旬。下旬。と言われていて旬は10日です。』はー!まあ。そうなんでしょうが、現実的にそれで商売となるとかなり作りても、食べ手もいろんな意味でハードル高っかー。となります。

とは言え。毎週お世話になっている豊橋有機の会の野菜を通して感じるのはでも同じ。旬は10日。とまではいわなくても2週間。から3週間まではないです。物はあったとしても農家さん曰く『フラスカティさんもうこれは止めときましょう。』はよくある話。具体的に言うと、トマトやキュウリなんてほんと3週間くらいですよ。1年の内!

スーパーに行けば一年中トマトやキュウリ、白菜、キャベツはあって当然。もちろんそれの恩恵に自分もあずかっているのでそれがダメなんて思っていませんが、とは言え、年間通して豊橋有機の会の野菜がベースでやっているのでかえって料理の季節感がくっきりと表れてくれ店の方向付けが出来るようになったのも豊橋有機の会のお陰だと思っています。

で。発入荷、遠山さんの”サンティオトマト”です。早速トマトソースを仕込みます。

初荷なので少しまだ若いかなあ。と思って仕込んだのですが、いやいや。さすが遠山さん。(腕がちがいます)一年ぶりに、香り高いローマのマンマの味がよみがえってくる思いです。

こちらはジェノヴェーゼソース。これも有機の会のバジルが出てきたからこそ仕込みます。

 

で。早速賄で試食しました。

 

“パスタ・アル・ポモドーロ”にしても“パスタ・アッレ・ジェノヴェーゼ”両者とも通年提供できる料理ではあるのですが、ここはあえて顔の見える食材を使ってこそ味わい深いと数回仕込んで終われば終わり。うちらしいと思っています。フレッシュトマトの“スーゴ”に関してはできれば一年持たせる量が確保でいたら嬉しいなあと。は思っていますが。

前シーズンは遠山さんと正木さんの2農家さんを合わせても半年分のトマトソースしか仕込むことが出来ず。年明け早々に終売を迎え、さすがにトマトソースのパスタは出なくても置いておこうと、ホールトマトで仕込んで、ま。これもローマ風と言う形でこの半年はやりくりしてきましたが、これでやっと一安心です。

ふと思ったのですが、ここ豊橋でさえもバジリコの今の時期にインゲンとじゃが芋が同じ時期に出まわっているんです。ジェノヴェーゼもしかりある意味、改めて理にかなった組み合わせなんだなあと。


洋食に憧れて

以前どこかで耳にした言葉、『歴史ある町、もしくは文化レベルの高い街には銘菓と古本屋がある』正しい言い回しははっきりとは覚えていませんが、そんなニュアンスのこと。その後、旅行と言うか知らない街に行った時、老舗の和菓子屋さんもしくは地元で愛されている和菓子(洋菓子)、と古本屋を入らなくても目で追って探している自分がいます。

それともう一つ、今お気に入りのTV番組“迷宮グルメ異郷の駅前食堂”BS朝日と“町中華で飲ろうぜ”BS-TVSで。ついにグルメ番組ここまで来たか!最終形?勿論いい意味で。大好きです。旅人“ヒロシ”さん。いつ観ても美味しそうに食べてない。美味しいんだろうけれど、美味しそうに見えないところが人柄が出ていてとってもいい。

美味しくない料理を美味しそうにレポートしてる番組の方がよっぽどいや。芸人“ヒロシ”さんの人間味が出ていて。それとアジアの怪しげな食堂での振る舞いが見ていてドキドキします。それと玉ちゃんの尋ね歩く町中華もほんと美味しそう。

それともう一つ余談。たまにお客様(お馴染みの)が、東京にによく行かれる方が多いのですが、それなりに予算を組んで行かれる方が多いのですが『なかなか美味しいお店に当たらないから何処かお勧めのお店があれば教えてほしい。』と聞かれることがありますが、2,3自分が好きなどちらかと言うとフレンチが多いのですがイタリアンとフレンチをお教えするのですが、どちらかと力説するのはせっかく東京で食事するのであれば、高い安い(お店)のカテゴリーは置いておいて、せっかくなら豊橋にないジャンル、例えば具体的に言うと職人さんが仕事をしているお店。小さなお店であればご主人が先頭を切ってストーブ前で鍋を振っているお店。ジャンルで言うと蕎麦。鰻。天婦羅。寿司。洋食。小箱のフレンチやイタリアン。ただ経験値が高い人ほどご自身の好みがはっきりとしてきている方が多いので、ましてや東京!老舗や名店がものすごくあるので、それらのお店との相性はご自身たちで見極めてとお伝えしています。

で。長々と説明してきましたが、ホント!地方都市、町中華や駅前食堂なんて壊滅的です。先日も“京都の中華”って本を買って読んだり、知り合いに雑誌を借りて予習して京都に行きました。結局どこにも立ち寄る時間がなかったのですが、お店の層の厚さはつくづく実感しました。地元で何とかとは思うのですがなかなかお店が見えてきませんし、とは言え自分もそんな時間も滅多に取れません。

 

 

 

で。最近では自分で何とか食べたい洋食や、中華は作ろう。と。洋食って、それこそ朝の連ドラ“ひよっこ”のすずふり亭じゃあないですが、あの番組で佐々木蔵之介さんが調理している料理って料理監修の人の技術・見せ方のクオリティーすっごく高いと思っていつも観ていました。日本の食材を西洋料理の技法を使ってご飯(もちろんパンにも合いますが)に合う料理を。と言うコンセプトで長年ブラッシュアップしてきた料理だと思っていて。ただ、自分が修業を始めて頃はこの洋食店って言うのも曲者で、徒弟制度の坩堝だった場所の一つ。怖い先輩いっぱいいたんでしょうが、でもそういう人って物凄く仕事ができるんです。今でこそ。と思える感は自分としても否めません。・・・でもその頃の、昭和の洋食ってもし食べれるんなら食べてみたいなってほんと思いますもん。

前置きが長くなりましたが。“じゃあ自分で作ろう。”でしたね。今回冷凍庫整理もかねて“すずふり亭”だと《ドゥビ・ソース》デミグラス・ソースを一週間くらいかけて仕込んで今日仕上げたのが順番逆になりましたが下のハヤシライス。短角牛のかぶりと新玉葱たっぷりと入れました。

 

上の写真が、カレーライス。やっぱ男はカレーが大好きなんですよね。今はやりのハーブカレーじゃなくって、玉ねぎをオイルで揚げ焼した中にS&Bのカレーパウダーと小麦粉でカレールーをかいておいて、ブイヨンで伸ばし一度濾した中に新玉葱と短角牛のかぶりの切りしを炒め入れて、ウスターソースとマンゴーチャツネで味を調えた本格?的な洋食屋さんのカレーです。子供達も食べると思ってカレーはあまり辛くしていませんが。結構自信作に仕上がっています。

今日の晩御飯は男のカレーです。

追伸 改めて洋食をこうして四つに組んで作ってみて思ったのは、勿論、既製品のカレー粉やハヤシライスの素みたいなものはありますが、こういう気分の時はそんなものには目もくれず。です。

自分もイタリア料理を原材料でしか作っていないのですが、あえて同じように原材料から組み立て洋食を作るとなると、カレーでもちゃんとゴールが見えているか?ましてやハヤシライスってドミグラスソースまでは何とかたどり着けていたと思うのですが、ハヤシライスの到達点って???はっきり言ってちゃんとした洋食屋さんのハヤシライスって今までほとんど食べた経験がなくって、かなり試行錯誤しました。もちろん本にはこうして。こうだよ。って書いてあるのですが、何店舗かのデミグラス・ソースとハヤシライスの調理例が掲載されていて、それぞれのレシピに長所と短所がなんとなくあって、それを自分なりに取りまとめてこんな感じ。ってやったのですが、味のイメージがぼんやりとしているのでゴールが見えずに鍋を煮込んでいる。牛筋や野菜を加えている。と言った感覚がどうしてもあって、その次のステップ。スライスした玉葱と牛肉をソテーして仕上がったデミグラス・ソースを加えてトマトピューレを合わせてハヤシのソールを仕上げる。に持ち込めずにいましたが。デミグラス・ソース:トマトピューレ=2:1って言うことに気付き(デミグラスで骨格を作り、トマトピューレで味の広がりを作りあと玉葱と牛肉はたっぷりとでまとめる)やっと今日の完成にたどり着けました。これで今度からは大丈夫。もうできます。

 

長くなりついでにもう一つ。自分が子供の頃の喫茶店って今思うと娯楽の少なかった当時(昭和40年代前半)って朝はモーニングの時間に始まり、お昼は鉄板で供されるナポリタンやカレーライス、ピラフやサンドウィッチなどの軽食。休日当時のカップルのデートの合間に立ち寄るひと時の憩いの場所であり。子供達には、もし親が許してくれればフレッシュのバナナジュースやケーキをぱくつき。腹ペコガキンチョの自分なんかはやっぱ鉄板で薄焼き卵の上に載ったナポリタンが思い出かな。朝から晩まで、自分もそんなに喫茶店なんて連れて行ってもらったことなかったと思うんですけど、やっぱ一番覚えていることって、すっごくいい匂いがしていたってこと。フレッシュジュース用のフルーツの熟れた香りや、ケチャップやデミグラスソースの何とも言えない深みのある甘い香り。もちろんコヒー豆の香ばしい香り。喫茶店に入ったとたんに鼻腔いっぱいに広がるえも言えぬ香りが子供心をかき立てられました。とは言え注文できるのは一品。覚えているのはクリームソーダかな。親の機嫌がいいとフレッシュのバナナジュース。確か一番高かったんじゃあないかと思います。あと思い出すのはモーニングサービスの厚切りのトースト。忘れちゃいけない自家製ドレッシングのかかったコールスローサラダが名わき役でした。

当時自宅ではトーストと言えばシキシマパンの食パンのみ。喫茶店で使用しているのはワンホールで買ってお店で見たことがないくらい厚く切ってトーストにしてあり、バターが塗ってあるトースト。(当時バターって家にはぜいたくで置いてなかったんで)そのトーストに包丁の切れ目が入っていて、これがいかにもお店でいただくトーストって感じがしたのを覚えています。もう令和の時代そんな喫茶店ないでしょう。

たぶんそんな記憶が自分のどこかに潜んでいて、その記憶の糸がたまにふつふつと洋食を食べたいって欲求につながつて、こうゆう衝動に駆られるんだと思うわけです。

あ。一件思い出しました。喫茶店ではないですが、素敵な昭和の洋食の正しい匂いのする洋食屋さん。刈谷にあります。


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