東京から美穂さんが帰省。お店に寄ってくれました。
先日連絡があり、『朝は豊橋有機の会にも顔を出します。そのあとお店の方に伺います』とのこと。皆には内緒で朝市に行ったので、自分は行ってはいませんが由貴さんから朝市での盛り上がった話を後から聞きました。
お店でも偶然の再会がありました。ランチにめったに来られないお客さまでがそれも市民病院の検査後、実はランチ営業をかなり過ぎてからの来店でした。そのご夫婦、彼女が東京に引っ越した際にも勤め先の連絡先を聞いてきた方でした。そんな、偶然であり必然的な再開の場面も。なんかそうやって見ると彼女は持ってるって言うか引きの強い子って感じがします。
ホント苦楽を共にしてきた戦友の彼女。また一段と東京に行って聡明さが増しています。・・・彼女がうちの店で過ごした13年間。それに旅立って自分で歩み出したはや4年半が過ぎました。
最近つとに思うことがあります。修行って・・・。自分が(誰しもでしょう!)修業真っただ中、渦中の時代ってホント必死で、周りにかまっている余裕なんかもなく、ホント見えない蹴落とし合いっていうか、仕事・修業を通してわけわからん事や不条理の連続。自分は3年頑張ってそこでドロップアウト。ま。一応”石の上にも三年”は自分に課していたので。ただキラキラした場所の持つエネルギーもそれなりに浴びたという実感も、離れて時間が立ってみるとよくわかりました。
もうそういう時代から20年も過ぎると、今では懐かしく思えますし、もっとこうしとけばよかったであるとか、40歳代の自分であればどんな風に戦えたのか?って言う妄想を描いたこともあります。今でこそわかってきましたが、若い時ってわからんのですが修業時代、目の前に見えているもの、料理やレシピやライバルだけではない。目の前にない目に見えない物事に対してどういうふうに向き合って過ごしているか。どれだけ自分をその場所に捧げれたか。って言うことがその後のその人に大きく影響を与えてくれる可能性を多くするような気がします。今ならわかります。…そん時分かってたらね!誰も苦労しませんが。
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