この新型コロナ影響下で、パソコンに向き合い方が分からなくなり、しばらく距離を置くことにしていました。もともと、自分の心の整理、頭の整理、日々の日常で起こったことの忘備録として、しんどいことや辛いことももちろんありますが、ここにはそういったことは書かないと心に決めてやってきたつもりで、早10数年が経ちました。我ながらよく続いていると思っています。
この、未曽有の出来事にもちろんお店も、家族(子供たちの学校休校など)直撃を受けていますが、それはどの方も多かれ少なかれコロナ影響下にあると思って過ごしています。
仕事が一気に変化しだした4月上旬(約一か月前)から散歩(ウォーキング)を始めました。情報収集のために新聞や朝のワイドショー、帰宅後の夜のニュースを意識してチェックするようにしましたが、どこかのもしくは〇〇の専門家?誰?って言う人たちの言っていることが何言っているか分かりません。良識ありげに?で。今ではTVのそういった番組を避けるようになりました。
ましてや、いつの頃からか、ネットとかそんなに見ない自分でさえ、人々の口から出る言葉が荒れていることに不安を覚えるようになりました。その頃からラジオにシフトしていきました。
山下達郎さんの”サンデーソングブック”、ピーターバラカンさんの”ウィークエンドサンシャイン”、高橋源一郎さんの”飛ぶ教室”などなど。MicroSDに落とし込んで毎日散歩のときに聴いています。目からは里山の原風景。耳からは誠実な言葉がはいってくる。今の時代に立ち向かってくる勇気を貰え元気が出てきます。
これも先日の”飛ぶ教室”の放送で語られていたことですが、『文字には霊がこもっている~文字は使われてこそ意味がある~人の営みに忍び込んで悪さをする~ある意図をもって言葉を操り思い通りの世界を作ろうという人もいる~確かな目と耳をもっていかなければいけない~皆さん用心しましょう』とありました。ここしばらく、4月このコロナ影響下で放送されたラジオを何度も聴き直して思い至ったことは、言葉を生業にしている人たちの良識ある言葉の使い方は心に一服の清涼剤になるということを。ましてやこんな時代になったからこそ。
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