2020.06.30
これからの話をしましょう。

 

6月よりお昼の営業に際して完全予約制とすることにさせていただきました。

以前から、漠然とではありますがそれに近い話が上がっていたのですが、踏ん切りがつかずにいました。

4月、5月とそれに続く6月と一日ごと、一週間ごとと変化しながらコロナ禍の中を過ごして来ました。

特に真っただ中の4月5月。勿論自粛期間中です。細々と営業している中来店してくださるお客様方がありました。とは言え、お昼御一人とか。ご夫婦とか。あって2組。よくて3組。もちろん0も普通でした。夜はもっと↷です。言わずもがな、当たり前です。その中、特に志村さんが亡くなってから1ヶ月半の間、唯一ゴールデンウィーク確か5月4日だったかお昼1組、夜一組がお顔と名前が分からないご新規のお客さまでした。それ以外すべてお顔と名前が分かるかたばかり。何人もの方が、帰りがけに言われたことがありました。『もし自分たちがコロナの陽性のキャリアーだったらお店に迷惑がかかるので迷いました』そこまでして応援に来てくださりました。一生忘れないと思います。そんな日々が続きました。

それにここも忘れてはいけないと思っています。このコロナ真っ只中、取引先ももちろん掛け算で飲食店を抱えているわけで、頃合いを見て注文がなくても電話して近況報告や励まし合っていました。例えばモッツアレラの北海道白糠酪恵舎さんとかは売れなくても注文掛けていました。売れなきゃ食べればいいと思って。よっぽど暇な頃は通常10個注文するのですが、とりあえず送料とかもあるので、でも8個にしたりしながらとか、あと注文の周期を毎週を、中10日にずらしたり。とりあえず細々とでもお付き合いを共に乗り切ろうと繋げてきました。

岩手山形村さんの短角牛も月1本のサーロインをいただくのですが、取り続けました。一時期サーロインが3本溜まりました。ちょうどそのころ牛の屠畜が急激に減っていると耳にしたころです。それでも、うちの奥さんもお金のやりくりが勿論あったのにこの期間中一切ぼくのやり方に口をはさみませんでした。

ほんと頭が下がります。

6月になり少しずつですがお昼の営業に関しては戻る兆しを感じています。夜の営業は、ま。もう少し時間をかけて。と思っています。それはどこも同じだとも思います。

それで。自分も今年で54歳になり、今回新しい借金もできました。あと20年とか現役でやるためにどうするか夫婦の話題にちょくちょく上るような年齢になりました。お客様からもいつまでもやってね。って言われることが増えました。

このコロナで時間が出来、二人で話し合う機会も増え、うちを普段から支えてくださっている優良な生産者の方や、小規模でよい食材を入れてくださっている輸入業者の方々。それにこんな中でお店がつぶれないようにと、言葉にはされませんが来店されて方々にどれだけ励まされたか分かりません。そういった同士の方と長く営みを続けるためにはどうすればよいかと考えるに付き、特にお昼は12時にひとまとまりとなってご予約の方が来店されるにつけ、そこでフリーの方も、となるとちょっとご予約された方にベストが尽くせないのは(尽くしていますが)ちょっと違うんじゃあないかと思うことに二人の意見が一致し、どうせ暇なんだからいっそこの時期に改編をすれば。と言う結論に至りました。あと、それに伴いご予約を当日の12時少し前までとさせていただくようにもなります。12時ころに電話を外しますご了承ください。

どうぞそういうことで末永くよろしくお願いいたします。

 

 

FRASCATIさかきばら


2020.06.15
調理場の改修工事

この場所で移転オープンしてはや19年!

そもそも、調理器具のその大半が、前の店から持ち込んで移設しての再スタートでした。早いもので19年と言う歳月が流れ、いくら業務用としてもとっくに耐久年数は超過していました。一部のエアコンやコールドテーブル、アイスクリーマーなどは買い変えましたが、調理場の心臓部部分は以前のままでなんとかやりくりしてきました。特にこのオーブンコンロなんかは以前の店の前のオーナーが設置したものを、店舗を購入した時に内装込みで購入して、その場所で3年半営業後、今の場所に移転して使い続けてきましたから、多分35年物でしょうか?

これまでに何度も『お金ないんで、なんとか修理で直してください。お金出来たら必ずおたくでやりますから』と、ごまかしごまかしやりくりしてきました。

今思えば、うちに入っていた道具はほんと当たりで、こんなに壊れないのって珍しいって修理に来た業者の方にも何度も言われました。親孝行な道具たちでした。

今回コロナ禍の中、国の融資(国民金融公庫さん)の申請を思い切って申請することにし、こういった状況下で融資の申請もおり、今回事業資金のうち運転資金と設備資金の両方を借り入れることができ、晴れて、思い切っての調理場の心臓部分のテコ入れと言う形で改修工事が出来ることになりました。

実に19年良くやってくれました。

コロナ禍の中、気分が晴れない部分はまだまだありますが、こういう機会だったからこそ、融資に踏み切れましたし、運転資金にとどまらずに、踏み込んで設備資金までお願いするきっかけになりました。

禍々しい時代ではありますが、ピンチをチャンスに!と夫婦で話し合っての決断でした。その融資のお陰で今回の調理場の改修工事が出来たのと、ずっとほしかったフランス製ラギオール社の肉用のナイフを少し購入することが出来たり、店内の改修に少し手を加えることが出来たりと、だいぶんへたってきている部分をこの機に少しずつテコ入れすることにお金が使えそうです。ありがたいことです。

今までも気持ちはあっても、どうしても仕入れに全力だったので、そのほかの場所には、なかなかお金を回せずにいたもどかしさがありました。

常連さん方は味があっていいよとは言っていただいていましたが、そうも甘えていれないのもわかっています。

とは言え限られたお金の中で、ガラッと、一層とはいきません。出来る所から少しづつです。

昨日は自分が休日出勤して一通り掃除と取りまとめをやっておき、今朝から業者さんが入って入れ替え作業中です。今日中には終了夕方から少し仕込みを始めます。

本格的に稼働するのは明日からになりますが、コロナがなかったらある意味こんな思い切ったことはやれていませんでした。心機一転明日からまた頑張ります。

新しい調理器具も入るので楽しみです。徐々にその新しい調理器具(グリラー)を使った料理もできてくるといいと思っています。

 


2020.06.12

頂き物”大判焼”

蛇が苦手

これも散歩つながりの話。

ぼくらが小学生の、こと田舎のガキンチョ達の夏の楽しみはカブトムシやクワガタ採集でした。いつもは朝苦手なのに、ことカブトムシ採りとなると、不思議と朝5時とかでも目が覚めました。その山は他校の小学生も採取に来る地元では有名なカブトムシ山で、少しでも早く雑木林に分け入って誰よりも多くカブトムシやクワガタを捕まえてやると鼻息荒い子供たちのメッカでもありました。

ぼくも当時その中の一人で、勇んで雑木林に分け入ったある日、目の前の倒木をしゃがんでくぐろうとした目の前の倒木の上をひょいと見ると、なんと大蛇の横っ腹がぐにょぐにょと這っていくさまがほんの目と鼻の先にありました。

ほんとに腰を抜かしそうになり、悲鳴にならない悲鳴を他の雑木林に入っている小学生に聞かれては。と気が動転していたと思いますが瞬時に頭が働き、ごくん。と悲鳴を飲み込み後ずさり。その後は自転車に飛び乗り一目散に家に帰りました。

自転車こぎながら、心臓バクバクで、それまでそんな心臓の鼓動聴いたこともないくらいでした。

それがきっかけかどうかはさておき、いまだにもって蛇は苦手。

 

そこ数年は新城に住んでいても(冬は冬眠中なので)年間5回くらい、よく見るのは道を横切る蛇。惜しくも道を渡り切れずに轢かれてしまった蛇です。

ここのところ朝の散歩を始めてからと言うもの、毎日のように蛇に遭遇します。

早朝から、ぎゃあぎゃあと叫びはしませんが、ああ。吃驚した。って思っているうちに鳥肌にぞわぞわとなっていきます。

ある人にそんな話をしたら、蛇って縁起がいいんだから。そう思えばいいんじゃない。って言われて。気は持ちようようか。って思うようにしています。が、道端で突然遭遇するとやっぱりびくっとなります。


2020.06.11
挨拶

イタリアに住んでいる時、ローマ以外は小さな町(村と言っていいくらい)の何か所かに住みましたが、かえってその小ささの風通しの良さなのか、それともイタリア人気質(ラテンな人々)の気質に由来?研修先はどうしても就業ビザや保健所などの手続が必要とされるため、その町を代表する有名店、フラッグレストランとでも言いましょうか、彼の地ではRESTORATORE(レストラン経営者)とくに有名店の経営者は、その町の有力者とのつながりのパイプが太かったり、いろいろと融通のつくポジションの方が多いような気がします。そのためか、自分たちみたいな東洋人なんてほとんど見かけないような田舎のレストランのような場所で働くGiaponeseと、ある程度町の主だった住人や商店主にそういった状況を認知されていたとこが幸いしてか、市内のメルカートやアリメンタリー(食料品店)、バールなどで買い物をしてもイタリア人ならではの人懐こさで”チャオ””ボン・ジョルノ“”ボナ・セーラ”と挨拶を普通にかわしていました。

先日、イタリアに電話してみると、言われてびっくりしたのは、ハグしているのを見つかると400EURO(4万円強)の罰金だそうです。

ある時などは、おじいちゃんが近寄ってきて、『お前はGiaponeseか?それならKUROSAWA(黒澤明監督)を知ってるだろう』って突然話しかけらりしたこともありました。

いま世界中で、人種差別的な暴動を伴う行動が頻発していますが、当時のイタリアはそういったことがあまりなく、(アフリカ系の移民には何となくありましたが、当時日本はヨーロッパEU統合前夜で、日本製!のソニー,ホンダ、トヨタ、キャノン、ヤマハなどオーディオ機器、カメラ、バイク、車など最先端の技術とデザインが輸入されていませんでした。彼らはそういったモノづくりのできる日本人に対して好意を抱いていました)そのおかげか、差別はほとんどなく、友好的な関係をもって過ごすことが出来ていました。なので、今こうしてイタリア料理を通して当時お世話になった良い思い出を胸に恩返しをしているところがほんと、多分にあります。

その後帰国して、東京で働くようになって初めの頃に経験したことで今でもはっきり覚えていることがあります。

寮が目黒区(碑文谷)にあったのですが、そこで生活し始めたほんの間もなくのある休日の日曜日の夕方、何かの用事を済ませ、帰宅途中。寮だったアパートの目の前、近所で子供を遊ばせていた三家族(お母さん3人に複数の幼児)が路で井戸端会議、お母さんたち3人が四方山話をするすぐ横でちびちゃんたちが三輪車か何かで遊んでいました。夕方の食事前のひと時でしょう。横を通り過ぎる間際に、『こんばんわ』と何げなく声をかけて通り過ぎようとすると、ちょっと異様な雰囲気を感じ振り向くと、大げさかもしれませんがそんな空気を感じ、何気なく振り返ると、お母さんたちが怪訝な顔でこっちを向いていました。何かしでかしたのかなあと思いながら数歩歩き過ぎて気付きました。あいさつはしないんだ。と。大勢住んで、いつまた入れ替わるかもわからない地域で、ましてや家持のその一団の人は、そういう概念がない人たちなんだ。

その時、東京に移り住んでほんの間もないころに、自分の住む場所じゃないんだ。と突き付けられているような経験でした。

23年前に、豊橋でお店を自営することになり、新城の実家に定期的に帰っていましたが、より密に帰省するようになっていました。ちょうどそのころ長女が生まれたばかりで、夕方早い時間、ちょうど地元の子供たちの帰宅時間でした。(その後娘たちが次々とお世話になることになる八名小学校、八名中学校)の小学生や中学生たちが子供を抱きかかえて歩く自分に『こんにちわ!』『さようなら!』と声をかけてくれました。

初めて声をかけてくれた時には、まさかそんな習慣が残っている地域がまだ日本に残っているのか。って吃驚してしまってしどろもどろで、やっとのことで気持ちを立て直し返事を返し、次回から散歩の際、向こうから小学生や中学生が歩いてくると心を整えていつでも返事が返せるようにと思ったものです。

その時感じたことは、これからこの地に生活のベースを移すにあたり、子供達がまだ純朴さを残しているこの土地で(もちろん半分は学校の先生に言われてやっている部分はあるのかもしれませんが)自分の子供たちを育てられることは幸せで、安心できることだという思いを持ちました。その思いは今も変わっていません。

ちょうどこのコロナ禍の中5月下旬より学校が再開の準備が始まり、ぽつりぽつりと小中高校生の通学風景を見かけるようになり、6月に入って毎日の風景に代わりました。ちょうど朝の散歩途中に小学生の通学団と行き会う個所があり、久しぶりにそういったシチュエーションに遭遇することになりました。その後何年も経っているけれどどうかなあ。って思いながらすれ違おうとすると通学団長さんから順番に『おはようごさいます』って声をかけてもらえました。勿論こちらも負けてはいません。

この2ヶ月ほど、これまでの生活やそれに伴う日常の風景が一変していましたが、少しづつ新しい生活に戻りつつある中で、朝のその出来事は今日これから始まる一日にとっても力をくれる出来事でしたし、たぶんその小学生たちも、恥ずかしいと言うことよりも、今までの通学風景に戻れてうれしさが勝っているようにも感じれました。

何しろ嬉しい朝の一コマでした。


2020.06.09
振草川の天然鮎

2020.06.08

2020.06.06
季節のドルチェ

ヨーグルト風味のクレーム・ダンジュ、豊川産苺のセミフレッド

クレーム・ブリュレ、フィオルディ・ラッテのジェラート、パッションフルーツ添え

ココナッツのパンナコッタ、バナナのセミフレッド、パッションフルーツ風味


2020.06.05
賄い

 

4月から始めた朝の散歩。その少し前の3月下旬から右足のかかとがしくしくと痛む日が続きました。かかり付けの整形外科のドクターのところに、本当は4月中旬頃に検診(この間脱臼した右の薬指を見せに)に行く予定が、このコロナで1ヶ月半ずれて先日伺い、指の検診のついでに、かかとの件を話すと早速レントゲンを撮ってくださり診察の結果、右足のかかとの骨がささくれ立っていることが分かりました。

いつものことなのですが、『仕事柄しょうがないと思うけれど(うちのお店のお客さまでもあるので仕事の内容や職場状況は把握済み)少し体重落とすように努力してみるか』とのこと。

自転車とかスイミングプールでのウォーキングがいいとのことだったのですが、自転車はさすがに20㎞通勤してきて、それから13時間の調理場での立ち仕事はさすがにオーバーワークです。プールもクラブは今やってないでしょうし、それのクラブ入るってまでっていうのも・・・。それにせっかく始めて続いている朝のウォーキングを何とかして続けたい。ひとまずダイエットでしょうか?・・・ところで何度目?

友人に2ヶ月で8㎏落として、今半年と言う現在進行形の成功者がいるのでアドヴァイスをもらい、ちょっとこれからしばらくかけて減量にチャレンジです。

暫く前に、NHKサラメシだったかと記憶していますが、歌舞伎の修行中の若手の賄で、肉じゃがにカレーのルーを入れる和風カレーと言うのを見て、早速チャレンジして好感触を得て、自分の賄いのレパートリーに入れたという経験がありました。

先日これもなんかのTVで、中華料理店の賄で中華風のカレーと言うのをやっていて、その時ちゃんと見ていなかったのですが、なんか適当に今日作ってみました。八角や山椒の香辛料を入れて、醤油やオイスターソースを入れた牛肉と新玉葱の炒め物の中にカレールーを投入。肉じゃがカレーで好感触を得ていたのでこれは行けそうだ!とチャレンジしてみました。なかなかの出来で食が進みます。

 

・・・そういえばダイエット中なのに・・・。

言いわけではないのですが、4月5月は営業が急速にトーンダウンして、ウォーキングも始めて食欲は出るわ。早い時間に帰宅するわ。で、ちょっと健康的ではあるものの、不摂生がたたって体重増加となったという理由もはっきりしているので、それがいま少しづつ元に戻り始めていて。今が切り替え時。

今後朝ごはんとお昼をしっかり食べて、しばらくは夜を一日おきに食べる日と、食べない日を交互にやってみてどうなるか?って考えています。

あんまり無理するとつづかないので。で。お昼は食べたいものを冷蔵庫の在庫と相談しながらなるべく作ってたべて、夜をセーブする。と言う作戦で行ってみます。


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