初めて飛行機に乗ったのが‘86年で、アエロフロート(ソビエト航空)でした。
夜通しユーラシア大陸上空を縦断していく中で、窓から見下ろすとつーっと細い一本道があります。飛行機で何時間も飛行してきていてのそんな場所です。上空から見下ろすと、舗装してあるのかどうか定かでないような場所に、パラパラと数件建物が見受けられ、ガソリンスタンドや商店なんてあるのかなあ?ましてやホテルなんて無い様な、町とも言えないような場所を発見した時なんかはホントにわくわくしました。できるものならそこに降り立ってみたいとも思いました。
10年ほど前に偶然手にした【深夜特急 沢木耕太郎著】当時ドキドキワクワクしながら読みました。沢木さんがユーラシア大陸をアジア側からバスを乗り継いでイギリスまで走破するというドキュメンタリータッチの経験談を下敷きにした小説です。自分が渡航した`86年。小説の時代と下ること約8年くらいでしょうか。多分時代背景は70年代後半でしょう。何も知らずに過ごしていたイタリアでの当時の空気感をどことなく留めていているような、ヒリヒリした感覚がよみがえってくることがこの本を手に取っている間ずっと続きました。
この小説をずっと一貫して覆っている焦燥感。どこから来るのか。
アジアからインドそしてネパール、パキスタンなどは当時かなり物価も安かったんでしょうが、治安もかなり悪かったと思います。それに交通の便や流通の悪さも次元が違うと思います。イタリアでも当時日本から行くとカルチャーショック受けましたから・・・。でも小説から受けるそのヒリヒリした空気感や焦燥感もピークでドキドキするのはは中央アジアまでで、日本人にもなじみがありげな地域のトルコやギリシャ、スペインそして我がイタリア~フランスそしてゴールのイギリスと終盤はあんまりヒリヒリもしませんしペンの圧もゆるく感じていきました。
それは何かと思うに、やっぱり、ぎりぎりの感じで過ごすことの多い中央アジアが当時の青年沢木さんにとって緊張し続けている日々が、ある意味充実していたのじゃあないかと思えます。たぶん毎日がぎりぎりの精神状態、崩壊しそうになりながらぎりぎりのところで保っているって感じがページの端々に感じます。
日本じゃあほんとの意味で実感を伴う感覚として感じたことのない言葉”カオス”!今思うと当時のローマ、トラステベレ地区にあった今はどうなっているか知りませんが、ポルタ・ポルテーゼの蚤の市は初めて行った時には吃驚しましたもん。町の中、アパートの建物の廃墟のような所にごみ貯めのようになった一角があり、その中に蚤の市がたっていて、いかさま博打はやってるは、ごみのようながらくたがビニールシートの上に商品として並べられています。美品のように見えるものは盗品だって。もし何かを盗まれたらポルタ・ポルテーゼに行けば見つかるとも言われていました。
イタリアでも当時そうなんですから、EU統合とかグローバル化してきている現在とは当時は空気感が全く違うと思います。沢木さんが確か1年ちょっとをかけて移動してきた大小ひっくるめた町や村、もし自分に時間とお金があったとしても、ほぼ絶対行ったりしない、ある意味自分にとっては名前の無い町や村の様なもののように感じます。
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