2020.08.21
本棚の整理

お盆明けの8月の後半は予約のみの営業に切り替えました。残りの二週間平日は休業することに。思い切って普段できない大掃除やらちょっとした見直し、今後10年後のフラスカティを見つめて、そして自分たちがどうやって居たいか。それに向けての改修の打ち合わせなどなど。いったん立ち止まってみると、やることは山の様に見つかります。ざっと毎日少しずつ振り分けるように作業内容を紙に書きだし、そのメモを冷蔵庫に張って・・・、今日は奥にある本棚の整理です。

 

 

 

よくある話ですが、今回も丸一日使ってここだけをやっつける段取りでしたが、案の定、寄り道ばかりに結果なってました。・・・片付かん。片付かん。

あ!こんなメモが、やら。本の間からこんな昔の小っちゃかった娘(可愛かったころ)の写真が!やら。趣味と実益を兼ねた新聞の名言なんかを切り抜いた二山ほどを発見し、途方に暮れるやら(頃合いを見て読み返し、整理しようと思っています)などなど、玉石混交。性格でこれがなかなかバッサリと捨てられないのが自分の難点。

でも、まあ何とか着地地点は見えてきました。ふーっ。


2020.08.10
新日曜美術館“無言館の扉”

昨日の新日曜美術館は、”無言館の扉語り続ける戦没画学生”でした。長野県上田市にある戦没画学生の遺作と遺品が展示されている美術館で、まだ行ったことはありませんが、以前から興味がある美術館です。

ただ、10年ほど前に豊川の桜ケ丘ミュージアムに巡回展として開催された折に拝観したことがありました。作品から本当に無言のうちに伝わる何でしょう?・・・上手く言葉にできませんが、その時こんなことがありました。三姉妹の娘たち10年前なので真ん中の可南子は幼稚園でしょうか。親が連れて行くので三人ともついて来ていましたが、ある展示室(遺品が展示されている小さな部屋)の前で母親につかまり、いやいやって言いまだしました。・・・大人でもその美術館の中に展示されている作品やその遺品から発せられる何かに普通とは違う状態になっていました。何も知らされていない子供たちは、それを彼女たちのセンサーで感じ取ったようでした。その後は展示室の外で待っていました。

子供も大人もないんだって知る一つの経験になりました。

自分にはそれともう一つ近い経験があります。うちの母親が鹿児島の知覧出身で、そこは特攻隊があった地。地元には特攻隊の遺品を展示した知覧特攻平和会館があります。高校生の時に一度、その時は小さな展示館でしたが、8年ほど前に行った時今の場所に広くきれいに移転していました。

母親の実家がある鹿児島とは言えそんなに頻繁には帰れません。暫くぶりに法事で帰省、空いた時間に特攻平和間に連れて行ってもらいました。親戚の人には〇時に迎えに来てくれるようにお願いして一人で来館しました。

チケットを買って、エントランス正面に特攻機が展示してあります。もうそこから空気が違いました。後はもうボロボロ、涙が止まりません。嗚咽まで出てきてまばらな人ですが人目を避けるように拝観したことを今でもはっきりと覚えています。

 

ここまで書いて、どうしたもんじゃろかいと。この8月の何とも言えない漂う閉塞感に癖幣。メンタルだだ落ち。書いている内容に普段なら書き終わりに向かって書き進めている感じなのですが、こんなことは滅多にありません。

この夏のっけから、夏休みの予定で久しぶりに計画した岐阜の付知の渡合温泉の予約もキャンセル。追い打ちをかけるように愛知県独自の緊急事態宣言!お盆も、うちの営業が云々と言うより、店の外から見える町の夜の雰囲気が閑散とした中、仕事終わりに佇んでいることの方がしんどかった。

GO TO。不要不急。と心がけてこの5ヶ月を過ごしてきましたが、ほんとにちょっと無理な、もごもごした状態に陥っていることに気付き。イエローからレッドのその辺りに自分がなっていました。

『誰か蹴ってくれ。違う景色が見たい』って誰かの言葉を久しぶりに思い出しました。愛知県独自の緊急事態宣言もひとまず解除。ドアtoドアでなんとか行けんもんだろうかと画策。で。無言館さんにも問い合わせして。県外からの来場者を受け入れはしていることと言うことだったので、思い切って出かけました。

無言館を知って20年。訪れたタイミングもある意味こんな時代だからかえって良かったのかも。

打ちっぱなしのコンクリートのシンプルな建造物である”無言館”。館内は上から見るとちょうど十字架にデザインされた展示室のこじんまりして窓もなく、足元に窓の代わりの切込みがあり、美術館を囲む林の木々の生え際が意識しなければ視界に入らないように配置されています。そこから人のまばらな(うちら夫婦ともう一組熟年カップルのみ)館内に静かに聞こえてくる蝉の声が、戦没画学生の展示されている作品に遠くから寄り添い、鎮魂の念を送っているようでもありました。

静かに自分と向き合う時間、こんな時間この数年ありませんでした。あえてこんな時期にとは頭の隅に引っ掛かかりながら、思い切ってやって来ました。帰る頃になってやっとずっと出かけることに対してもやもやしたわだかまりが付きまとっていました。でもやっぱり思い切って出かけてきてよかったかなと。

質の良い時間って日々の生活にかまけて居るとなかなかそんな時間って感じることってありませんし。またこれからを乗り切っていくためにも。必要な時間だったと思えるためにも。

 


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