四角四面の世の中にちょっと風穴を開けてるれるような言葉だとおもいます。
ただ、ちょっとだけ書き足すと、職種は違えど自分も物を創る人のはしくれとして、昔と違ってレストランや飲食店は入ってきやすい業種になりました。でもそこが落とし穴で、誰でも出来る分生き残っていくことが難しい。入口は広いけど・・・ってやつです。半年一年は話題性で行けるんですが3年5年・・・10年、20年となると様子が違ってきます。毎日コンスタントにいい時も悪い時もコンディションをキープできるかです。
ある経営者は、調子いい時はイケイケどんどんでしたが多店舗でつまずき捨て台詞を言い去っていきました。いい時は誰でも出来ます。いかに悪い時にやり過ごせるかです。そこに人間性が出ると思います。でも、晴れた日もあり雨の日もあるからこそいい店が出来ると思います。木の年輪と一緒!
人は見ています。そこにその店の味が出ると思います。店の中にそれらの人達の気みたいなものが漂っていい店になると思っています。そうなりたいといつも願っています。
自分は駆け出しの若いころ言ってみればよくて△であり、✕でした。いつも怒られていて仕事も遅いし、性格もとがっていて自分でもどうしたものかと思って過ごしていました。
でも当時の先輩や知り合った今もお付き合いしてくださっている方々は、自分のことを✕や△だとしても”値しない”と言う見方ではなく”分からない””悪くない”と言う見方をしてくれていたのかなぁ。と今になって思います。ありがたいことです。時間が立たないと分からないことって多いですが、〇✕△をそう読み解ける人になれたらと今更ながら気づかされました。
長くなりついでにもう一つ。同じ”高橋源一郎の飛ぶ教室”より、『変わり者って1000人に一人なんだけれど変わり者一人見つけるとその周りには変わり者がいっぱい群れている』ってこれも先々週の放送での話。ちょっと極端な言い回しかもおしれませんが、自分の若い時の人との出会いは、✕や△をそうみなさない人たち、ルビを振るなら✕は、ばつではなく分からないであり、△は、それほどでもないではなく、考慮すべきもの。であり悪くない。自然にそんなふうにとらえれる大人との出会いが今思うと大きかったかも。個性を丸ごと受け止めてくれる人たちとのかけがえのない幸運な出会いは今の自分の支えとなっています。
ふーっ。 完
|