で、確か二日連休を貰って出かけてと思いますが、せっかくの連休です。ちょうどローマ~ミラノ間鉄道沿線で行ってみたいレストランがありました。
当時料理のメッカはPiemonte州を筆頭に北イタリアを中心に有名レストランが軒を連ねていていました。最南端はToscana州がぎりで、それより南は料理未開の地(我がRistorante Caccianiは南下すること約300㎞!当時で言えば料理未開の地ローマを控えるラッツィオ州ってことになるのかも?)もちろん当時の査定の基準はもっぱらレストランガイドを基としてですが。その頃はそういった気運が大多数の時代でした。
その日本人会でも何人かの料理人に「そんな南に居なくてこっち上がってくればいいじゃん!」って誘われました。
自分はそんなに日本人がうようよいる所には興味なく(もちろんそんなことは言いませんが)前から興味があったAlbergo del sole に会の次の日のお昼に伺いました。
前の日の痛飲で若かったとはいえ結構ヘロヘロ!でまたマレオ村はまた辺鄙なところにあるので、お昼の営業に間に合わせようと思うとミラノ駅発の結構早い時間から電車に乗らないと間に合いません。
初めての土地で、レストランの昼にめがけて行くのはそれなりに一苦労でした。でもなんとかそこは在イタリア約5年の経験と若さと必死さで、無事たどり着けました。
食事の段になりまず吃驚したことは、オーナーの故フランコ・コロンバー二さんが直々にそれもそのレストランは長テーブルで食事をするのですが、横に座って「さあ。何にしようか?」ってとても気さくに話しかけてきてくれたことです。まずそこで驚かせられ注文して出てきたのがこの料理のベースとなった皿”Pate di beccacia”(ヤマシギのパテ)でした。甘口のデザートワインと合わせて提供されたパテを一口食べてまた吃驚です。・・・のっけからここはどんなレストランだって思いました。
次に出てきたのがPasticcio d‘ortiche(イラクサのパステッチョ/言ってみればラザーニャのような料理)これもまたびっくりするくらい美味しいの。今まで食べたことのない、見えないところから球が飛んでくるような感覚でした。
メインは覚えていませんが、ドルチェはSabbiosa(うちの定番!うちのお客さんならば言わずと知れた”サビオーサ”です)もうノックアウト、メロメロでヘロヘロでした。で思ったことが『勿論自分はそんな仕事できなかったんですが、ポジションは与えられなくてもこんな素敵な料理を生み出す調理場で立ち働くスタッフの傍でその息吹を感じるだけでいい』って思いました。
その後しばらくして働かしていただくことができ、その後しばらくして結婚ご夫婦でまたお世話になるというご縁をいただきました。
で。今回初めて来店のお客様がこのお店の先輩筋にあたるシェフで、先日友人(彼の修行先、お世話になったシェフと言う関係)で今回それぞれのご夫婦の4人でご予約をいただきお任せいただくと言うことだったので、せっかくならば同じ研修先の思い出の料理を組み込んだら思い出話にも一層盛り上がるのではないかと言う思いからでした。
で。結果はこのパテもそうでしたが、魚介のマリネ”シュエ・シュエ”や”西浦漁港魚介のマリネ”などそのまんまイタリアを感じる料理と言っていただき、食後の歓談も時間を忘れるほど楽しい時間を過ごしました。
ましてや、当時皆20歳代。早30年も経ってしまいましたし、もちろん皆それぞれに全く持って平坦な時間を過ごしたわけではないと思います。時は経ってみないと分からないことをそれぞれに感じながら過ごすひと時に、何とも言えぬ温かさを感じつつ過ごすことが出来ました。
仲間とか先輩後輩って言うだけでなく同じ時代を戦ってきた戦友と過ごしているような。って言ったら大げさでしょうか?
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