2019.10.07
マジックアワー

高校生までは部活に明け暮れていたので夕焼けを見ない日がないような生活をしていました。飲食業界に入って住み込みのアルバイト学生時代はもう夕方外に居ることはほぼない一年を過ごし、これからはこんな生活が一生続くのか。なんて思ったものですが、幸か不幸かその後すぐ渡伊!それもヨーロッパって夏は北欧なんて白夜になるような地球の傾き。イタリアでさえ夏至の時期だと23時ころまでぼんやり明るいくらい。ましてやRis、Caccianiは高台にあったので仕事しながら夕焼けが見え得る様な雰囲気の元仕事ができるというほどの調理場環境でした。

ま。ちょうど今日、体調のバランスがなんとなくよくなく、出かける予定も申し訳なかったのですがお断りして、家で体を休める。何も考えない時間にしよう。と。で。映画を観ることに。それも疲れないやつで。と言うことで久しぶりに三谷幸喜さん監督作品2本“マジックアワー”と“有頂天ホテル”!

久しぶりに“マジックアワー”を観たのですが、改めて観てみると監督の三谷さん、そして個性的な出演者の俳優たち、それぞれから発する映画愛に溢れる演出にストーリーも含めぐっと来てしまって、劇中綾瀬はるかさんの台詞『なんか映画の中にいるよう』美術・種田洋平さんのセットとか、わざとセット感丸出しの演出で、その演出にマッチした裏方役が多く配置されていてるなと改めて感心し観終わって温かい気持ちになれました。

 

 


2019.10.05
玉葱のロースト

賄い イタリア料理屋とは言え弱った時には・・・

イタリア修行中フラスカティRIS,CACCIANI時代のこと。お昼の一斉賄はシェフのステファノがスタッフ20人分の肉料理を一気に仕上げてみんなでワイワイガヤガヤ、イタリア人らしいひと時、楽しい食事の時間でした。たまに自分も友人と飲みに行ったりしたりして、ついつい飲み過ぎたりすると20歳台で若いとはいえお昼にオリーブオイルで料理した肉料理はちょっと入って行かない。って言うことがありました。そんな時RISO(お米)は許可を得れば使って調理した食べてもよかったので、一応シェフに『昨日、飲み過ぎたのでRISO食べていいですか?』って『またか。まいいぞ。』って許可をいただいて“RISO BIANCO”言ってみれば“ご飯”です。とは言えイタリア米なので少し水分多めでオーブンで炊くのですが、日本のご飯のようにはいきません。が、まあ。まあ。それなりにはですが、贅沢は言ってられません。

それを嗅ぎつけて調理場に入ってきたホテルの従業員のおばちゃん(映画グランブルーでジャン・レノのマンマがホテルでパスタを作ってる場面がありますがそんなイタリア女性)”ルチア”!曰く『HIRO,私もちょうど、ちょっと食べ過ぎで胃が重いからRISO BIANCO頂いていい?』で。スコデッラ(パスタ皿)に山盛ご飯をよそってオリーブオイルとパルミジャーノをたっぷりとかけて『今日はさっぱりしていてダイエットにちょうどいいわ!』・・・もう何も言うことはありませんでした。

この3日ほど季節の変わり目か?夏の疲れか?たぶんその両方でしょう。ちょっと体調が落ちています。ほんの少しですが微熱も。いつもなら発熱すると一気に38度越えなのですが、今回は体の芯はそんなでもなく、まあ普通には動けるので何とかとか週末の今日は乗り切れそうです。で。賄いですが、さすがに体が弱ってくるとイタリア料理屋ではありますが日本人って言うことを思い知らされます。どう転んでもRISO BIANCOにオリーブオイルとパルミジャーノって発想にはなりません。そこはやっぱり醤油っ気がどうしても欲しくなります。食欲も少し落ち気味なのでそういう時こそ、ちゃんと食べないと。ってなります。

最近気に入っている“煎餅汁風 今日は蕎麦”に。茸やこんにゃく、牛蒡に白菜、油揚げ餅ふなどなど、具沢山に。煎餅(きりたんぽも)はスーパーで売ってなかったので(まだ鍋の時期には早いか!)車麩を購入。だし汁引いた中に(自分で引きますよ!)、しょっつると蛎醤油と味りんで味の雰囲気だけは何となくいいんじゃないかと言うあたりに。ほぼ鍋なのですが、そこに蕎麦を入れて。三つ葉をかけます。なかなかの出来じゃあないですか。

 

いただきました。


2019.10.04
魚介のナポリ風”シュエ・シュエ”

美穂さん

東京から美穂さんが帰省。お店に寄ってくれました。

先日連絡があり、『朝は豊橋有機の会にも顔を出します。そのあとお店の方に伺います』とのこと。皆には内緒で朝市に行ったので、自分は行ってはいませんが由貴さんから朝市での盛り上がった話を後から聞きました。

お店でも偶然の再会がありました。ランチにめったに来られないお客さまでがそれも市民病院の検査後、実はランチ営業をかなり過ぎてからの来店でした。そのご夫婦、彼女が東京に引っ越した際にも勤め先の連絡先を聞いてきた方でした。そんな、偶然であり必然的な再開の場面も。なんかそうやって見ると彼女は持ってるって言うか引きの強い子って感じがします。

ホント苦楽を共にしてきた戦友の彼女。また一段と東京に行って聡明さが増しています。・・・彼女がうちの店で過ごした13年間。それに旅立って自分で歩み出したはや4年半が過ぎました。

最近つとに思うことがあります。修行って・・・。自分が(誰しもでしょう!)修業真っただ中、渦中の時代ってホント必死で、周りにかまっている余裕なんかもなく、ホント見えない蹴落とし合いっていうか、仕事・修業を通してわけわからん事や不条理の連続。自分は3年頑張ってそこでドロップアウト。ま。一応”石の上にも三年”は自分に課していたので。ただキラキラした場所の持つエネルギーもそれなりに浴びたという実感も、離れて時間が立ってみるとよくわかりました。

もうそういう時代から20年も過ぎると、今では懐かしく思えますし、もっとこうしとけばよかったであるとか、40歳代の自分であればどんな風に戦えたのか?って言う妄想を描いたこともあります。今でこそわかってきましたが、若い時ってわからんのですが修業時代、目の前に見えているもの、料理やレシピやライバルだけではない。目の前にない目に見えない物事に対してどういうふうに向き合って過ごしているか。どれだけ自分をその場所に捧げれたか。って言うことがその後のその人に大きく影響を与えてくれる可能性を多くするような気がします。今ならわかります。…そん時分かってたらね!誰も苦労しませんが。

彼女は13年間うちに居てくれたわけですが。特に後半。ま。前半にも一個でかいのがありました。いろんなふうに関わってくれました。ほんと彼女には今でも頭が上がりません。よく叱られましたし・・・。一緒に働く・過ごす時間は由貴さんの次で、子供達より過ごす時間が必然的に長くなっていて、よく当時言っていたのですが『年の近い娘か、妹みたいだな』って。だって後半の6~7年なんて、数少ない連休である夏休み、我が家の家族旅行も一緒でしたから。娘達もなついてるし・・・。ほんと従業員をはるかに超えた関係を築いてくれました。

だから久しぶりに再会すると、まさに今日みたいな再会の場では自分ははじめ顔なんか観れません。でも、実際娘たちがこれからもっと成長していって社会人になり家から巣立ってゆき、帰省した時なんてこんな感じなんだろうな。って予行練習の気分を模擬体験してるんだ。なんて思ってみたりもしています。

 

ま。それはさておき。東京の大きの娘が返ってきてくれて、季節の変わり目。夏の疲れも出始めていましたが、かなり気分がよくなりました。周年記念に彼女が送ってきてくれたシャンパンで再会を祝してです。


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