2021.10.14
”ノマド”

映画を観て感銘を受け、同時にショックも感じました。

あの映像のもの悲しさやどこか達観した人達の一つの生き方に興味を持ち、どんな言葉がつづられているのか原作を購入。


2021.10.13
魚介とフレッシュポルチーニ茸のリソット

2021.10.10
新城遠山さんの田んぼ

2021.10.09
お祝いのお食事会

2021.10.03
オールドヴィンテージのワイン

久しぶりに古酒(オールドヴィンテージ)のワインを仕入れました。

近年高騰しているワイン市場の相場。ちょっと名の知れたワイナリーの物は入手困難であったり、高すぎてレストランで提供するには二の足を踏むような時代になりました。

お店を始めた約25年前では、ワインを飲んでいただくのも一苦労でしたし、イタリアワインのネームバリューもまだ全然!な時代でした。まだ知られていなくてイタリアワインも当時イタリアワインに造詣のあった人達は手ごろな値段でイタリアワインが楽しめた時代だったと思います。(だだ、それをちゃんとわかって提供できていたお店がどれだけあったか?も含めて、ま。バランスは摂れていたのかもしれませんが。)

現在も悪いことばかりではないと思います。情報も多い分ワインの球数も多くなり、ちゃんと勉強していれば選びやすい時代になっているような感じがします。だだ食材もしかりですが、ネームバリューや知名度だけでぼっていってしまうとどうかのかなぁ?と思うことも多々あるような気がします。どの世界も努力と勉強は必要なのかなぁと。

これらのワインでもオ-ルドヴィンテージとしては安い方ですが、ふらっと来て注文できる値段ではありませんし。その前に普通に来た人には言いません。

だって日本に何本も、もっと言うと世界に何本も(なん十本か?)もないはずですし。お金だけでは開けたくないという思いが正直ありますし。

この上の写真のODDEROのBAROLOは思い出深いワインで、先日書いたAlbergo del soleで、ある時期毎日`64年のBAROLOが出ていて、この店どないなってるんだって思いました。でも今になって思えば、わざわざ、遠路はるばる食事に来るわけですから、ご主人の薦める料理と薦められたワインを素直に『じゃあそれをいただきましょう』って、すっと言えるスマートさってレストランを利用するお客としての心構えと言いますか、度量の深さって思いますし。教養の高さのような気がします。そういうのを目の当たりに若いころにできたことは幸運だったと思えますし、自分もお客側になった時にはそうあるようにしたいと思うようになった印象深い出来事です。

 

あとこういったワインの良いところは、コルク一つ隔てて何十年と言う時の隔たりを熟成したワインの味わいと共に感じることができることだと思っています。ある時お世話になった方に当時持っていてODDERO のBAROLO‘58をお出ししました。それじゃあ悪いからと言われてもう一本確か`70の同じODDERO のBAROLOも抜栓されました。そのとき奥様の言われた言葉は忘れられません。

ご主人曰く『この‘70物はこれ単体でいただいてれば十分美味しいけれど、こっち(`58)と並べちゃうと見劣るね』

奥様『`58は私と一緒で色っぽいでしょ!』

ご主人『確かにこの‘58のBAROLOは色っぽいというか、艶っぽいね。いいね』

奥様のバースデーヴィンテージだったのかもしれませんが、ちょっとそこのところの記憶があいまいですが。

こういったワインをくゆらせながらそんな洒落た会話をし、今まで歩んできた人生をちょっとだけ振り返ったり、懐かしんだりできる呼び水になることができるのもこういった古酒の持つ力のような気がしています。


2021.10.02
料理・食材も秋らしくなってきました。

真鱈の白子も徐々に始まってきました。

”Pate di Fagiano”

久しぶりに仕込んだジビエ(今回は雉)のパテです。

以前にも書いたとは思いますが今回これを久しぶりに仕込んでみようと思うきっかけになるご予約が入ったことを絡めて当時を思い起こしながら綴ってみます。

20歳代前半の約5年を過ごしたRomaとFrascati(共にLazio州)を思い切って離れるきっかけになったレストランLombardia州マレオ村にあるAlbergo del soleに働かせていただくことになった料理の話です。・・・その当時渡航して彼の地で頑張っている料理人たちの集い。言ってみれば”日本人会”がミラノで開催されることに際し、お誘いをいただき、お店にお休みを頂いて参加しました。それはまたとても刺激的な集いでした。今みたいに情報も少ない中でわざわざイタリアまで身一つで修業に出かけてくるような料理人たちが集結するわけです、熱くないわけがありません。またその話はまたいつか。

 

で、確か二日連休を貰って出かけてと思いますが、せっかくの連休です。ちょうどローマ~ミラノ間鉄道沿線で行ってみたいレストランがありました。

当時料理のメッカはPiemonte州を筆頭に北イタリアを中心に有名レストランが軒を連ねていていました。最南端はToscana州がぎりで、それより南は料理未開の地(我がRistorante Caccianiは南下すること約300㎞!当時で言えば料理未開の地ローマを控えるラッツィオ州ってことになるのかも?)もちろん当時の査定の基準はもっぱらレストランガイドを基としてですが。その頃はそういった気運が大多数の時代でした。

その日本人会でも何人かの料理人に「そんな南に居なくてこっち上がってくればいいじゃん!」って誘われました。

自分はそんなに日本人がうようよいる所には興味なく(もちろんそんなことは言いませんが)前から興味があったAlbergo del sole に会の次の日のお昼に伺いました。

前の日の痛飲で若かったとはいえ結構ヘロヘロ!でまたマレオ村はまた辺鄙なところにあるので、お昼の営業に間に合わせようと思うとミラノ駅発の結構早い時間から電車に乗らないと間に合いません。

初めての土地で、レストランの昼にめがけて行くのはそれなりに一苦労でした。でもなんとかそこは在イタリア約5年の経験と若さと必死さで、無事たどり着けました。

食事の段になりまず吃驚したことは、オーナーの故フランコ・コロンバー二さんが直々にそれもそのレストランは長テーブルで食事をするのですが、横に座って「さあ。何にしようか?」ってとても気さくに話しかけてきてくれたことです。まずそこで驚かせられ注文して出てきたのがこの料理のベースとなった皿”Pate di beccacia”(ヤマシギのパテ)でした。甘口のデザートワインと合わせて提供されたパテを一口食べてまた吃驚です。・・・のっけからここはどんなレストランだって思いました。

次に出てきたのがPasticcio d‘ortiche(イラクサのパステッチョ/言ってみればラザーニャのような料理)これもまたびっくりするくらい美味しいの。今まで食べたことのない、見えないところから球が飛んでくるような感覚でした。

メインは覚えていませんが、ドルチェはSabbiosa(うちの定番!うちのお客さんならば言わずと知れた”サビオーサ”です)もうノックアウト、メロメロでヘロヘロでした。で思ったことが『勿論自分はそんな仕事できなかったんですが、ポジションは与えられなくてもこんな素敵な料理を生み出す調理場で立ち働くスタッフの傍でその息吹を感じるだけでいい』って思いました。

その後しばらくして働かしていただくことができ、その後しばらくして結婚ご夫婦でまたお世話になるというご縁をいただきました。

 

で。今回初めて来店のお客様がこのお店の先輩筋にあたるシェフで、先日友人(彼の修行先、お世話になったシェフと言う関係)で今回それぞれのご夫婦の4人でご予約をいただきお任せいただくと言うことだったので、せっかくならば同じ研修先の思い出の料理を組み込んだら思い出話にも一層盛り上がるのではないかと言う思いからでした。

で。結果はこのパテもそうでしたが、魚介のマリネ”シュエ・シュエ”や”西浦漁港魚介のマリネ”などそのまんまイタリアを感じる料理と言っていただき、食後の歓談も時間を忘れるほど楽しい時間を過ごしました。

 

ましてや、当時皆20歳代。早30年も経ってしまいましたし、もちろん皆それぞれに全く持って平坦な時間を過ごしたわけではないと思います。時は経ってみないと分からないことをそれぞれに感じながら過ごすひと時に、何とも言えぬ温かさを感じつつ過ごすことが出来ました。

仲間とか先輩後輩って言うだけでなく同じ時代を戦ってきた戦友と過ごしているような。って言ったら大げさでしょうか?


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