2020.05.10

この新型コロナ影響下で、結構ショックだったのが志村けんさんが感染によって突然亡くなられたことでした。それまでは、とはいえ身近に感じることが実感として伴わない部分があったのですが、一気に、誰が罹るか、感染の恐怖が身近になりました。

で。その後志村さんの追悼番組のいくつかを観て、特に気付かされたのは、バラエティー番組の再放送です。今まで素顔(コメディアンとしての立ち位置の番組は何となく観るくらいでしたが)ってあまり見る機会がなかったのですが、そのバラエティーの再放送などを観るにつけ、すごい芸人さんだったんだなあと、亡くなってから、今更ながら再認識しています。それにこれほど追悼番組が組まれるって言う芸能人って今まで記憶にないです。それだけ業界で愛されていたって言うことを、こうなってみて改めて知りました。

それと並行して先日BSTVでチャップリンの名作3作”黄金狂時代””街の灯””殺人狂時代”と。たぶんちゃんチャップリンをちゃんと観るのは初めてでした。ちょっと今回、今更ながら改めて衝撃を受けました。

今の時代に全く古びていない。普遍的なテーマを、ちょっと神の目線で『人間って。いつまでたっても変わらない。ろくでもないことを喧々諤々やってらあ!』と・・・。

そう思って観ると、志村さんの映像・コント(目線)も一緒で。お二人共道化のキャラを演じていながら目が笑っていない!人間の悲哀を、とっても冷めた目で、それこそ神の目線で、時代は違えど二人の不世出のコメディアンという目を通して語られているように見えました。今更ながらに。

 

自分がことあるごとに思い起こすことがあるのですが、どこかで読んだか聞いたことなのですが、『人の顔って色々な筋肉で作られていて。美男美女って言う持って生まれた先天的なことではなく、その人の生活や習慣、考え方などによって日々使う筋肉、喜怒哀楽などによっても毎日の、そして継続して使い続けるられる筋肉によってその人の表情が形成される!』

決して、この二人の喜劇王は美男と言うわけではないのに覚悟の面構えって感じ。喜劇にすべてをささげてきた覚悟の面構えを感じます。突き抜けた人の達観?日々のもがき続けている人の顔。かっこいいです。

 

 

 


あさの散歩と”飛ぶ教室”

この新型コロナ影響下で、パソコンに向き合い方が分からなくなり、しばらく距離を置くことにしていました。もともと、自分の心の整理、頭の整理、日々の日常で起こったことの忘備録として、しんどいことや辛いことももちろんありますが、ここにはそういったことは書かないと心に決めてやってきたつもりで、早10数年が経ちました。我ながらよく続いていると思っています。

この、未曽有の出来事にもちろんお店も、家族(子供たちの学校休校など)直撃を受けていますが、それはどの方も多かれ少なかれコロナ影響下にあると思って過ごしています。

仕事が一気に変化しだした4月上旬(約一か月前)から散歩(ウォーキング)を始めました。情報収集のために新聞や朝のワイドショー、帰宅後の夜のニュースを意識してチェックするようにしましたが、どこかのもしくは〇〇の専門家?誰?って言う人たちの言っていることが何言っているか分かりません。良識ありげに?で。今ではTVのそういった番組を避けるようになりました。

ましてや、いつの頃からか、ネットとかそんなに見ない自分でさえ、人々の口から出る言葉が荒れていることに不安を覚えるようになりました。その頃からラジオにシフトしていきました。

山下達郎さんの”サンデーソングブック”、ピーターバラカンさんの”ウィークエンドサンシャイン”、高橋源一郎さんの”飛ぶ教室”などなど。MicroSDに落とし込んで毎日散歩のときに聴いています。目からは里山の原風景。耳からは誠実な言葉がはいってくる。今の時代に立ち向かってくる勇気を貰え元気が出てきます。

これも先日の”飛ぶ教室”の放送で語られていたことですが、『文字には霊がこもっている~文字は使われてこそ意味がある~人の営みに忍び込んで悪さをする~ある意図をもって言葉を操り思い通りの世界を作ろうという人もいる~確かな目と耳をもっていかなければいけない~皆さん用心しましょう』とありました。ここしばらく、4月このコロナ影響下で放送されたラジオを何度も聴き直して思い至ったことは、言葉を生業にしている人たちの良識ある言葉の使い方は心に一服の清涼剤になるということを。ましてやこんな時代になったからこそ。


2020.04.06

時節柄なかなかホームページを開くことにためらいを覚えます。何を書いたらよいのか・・・。冷静に。落ち着いて。身の丈に合ったことをしていこうと思うばかりです。

今日から、もやもやした思いを少しでも和ませようと、近所を散歩(ウォーキング)を始めることにしました。あたふたした状況を少しでも自分なりに過ごそうと。

外で感じたストレスをどうやって緩和するか。って話で、以前聞いた話ですが気に入って自分も実践していることなのですが。ストレスには、また新しいストレスをかけてやると前に感じていたストレスを緩和できるって話です。例えば見たくないTVを着けてみると、そのストレスで今まで感じていたことが和らぐって事例を聞いて。あ。そういうことか。と、それから意識してそうするようにしています。

とは言え3月2日?だったか突然の学校休校に伴う巷の空気が一変した時期から早くも一か月が過ぎ、勿論この一か月に刻々と状況の悪化がありました。・・・僕が改めて書くことではないので止めます。

で。この一か月それなりに過ごしてきましたが、初めの頃はうだうだ。あらがってもと言う思いがありましたが、さすがにちょっとこれはいかんなあ。と思うに至り、それと、先日何気ないところでずっこけて指を脱臼するというアクシデントもあり。しばらく前からかかり付けの整形外科のドクターにも『忙しいだろうけれど、なんとか時間を作って下半身を少しでも鍛えなさい』と何度か言われていました。ちょうどいいきっかけだ。と思うに至りました。

自営業の友人で、朝ウォーキングして自分の体をケアーしている友人がいるのでちょっとアドヴァイスを仰ぎ、昨日歩くルートをチェックした地元の田舎道を少し早起きして散歩することにしました。

 

久しぶりに見る小学生の通学風景。当たり前だったことが改めて見ると、なんかとても新鮮に見えます。

今日は雉を二羽確認することが出来ました。


2020.04.05

空なんて久しく眺めていなかったんだなあ。と改めて気付きました。

すっごくいい天気!


何気ない構図ですが、ちょっと懐かしい風景です。

子供の頃、一度小学校が建て替えになり、引っ越しをしているのですが、建て替え前の旧板山小学校(絵にかいたような木造の校舎でした)の校庭にはグランドを囲むように桜が植わっていて、当時のこの時期には、学校で花見が行われるくらいの風情がある学校でした。

その頃勿論子供たちは、野球を学校ですることが毎日のルーティーンでした。こんな感じで、当時子供には立派に見えていましたが、今思うと小さなバックネット、こんな感じです。桜もこんな感じに咲いていました。

自分にとっては懐かしい風景。

どうしてもここのところ、少なからず入ってくる言葉が強かったり、誠実そうに見せていて真実味がなかったり、何を言いたいのかわからなかったりと、嫌な言葉が世の中に溢れているように感じています。

久しぶりに『竜馬がゆく 司馬遼太郎著』を読もうとカバンに潜ませてはあったのですが、3月までに読み始めていればよかったのですが、このところのそんな雰囲気の中でちょっと足踏み。

どちらにしても新しい本を手に取るにはちょっとエネルギーがいるので、本棚から偶然手に取ったのがよしもとばななさんのエッセイ。

ほんの何気なく手に取り、久しぶりに読み進めていくと優しくて、相手のことを思う言葉。勿論その行間には、もがいたりあらがったりした形跡は感じますが、それはそもそも創作の証の痕跡。

もともと女性作家さんの筆致はなぜか自分は避ける傾向にあるのですが、ばななさんはオッケイのようで、一度読み終わった時にこの作家さんならばほかの作品も読める。って思ったことを思い出しました。

久しぶりに再読しているのですが、こんな時期にはちょうどうってつっけの本でした。言葉がささしく、でも芯がある。骨格がしっかりしてる言葉たち。伝えたい思いが詰まっているからなのでしょうかキュッと中まで入ってきます。ちょっとビタミンになる今の自分にはタイムリーな本です。

その中の一節

“雨にはあめのしあわせがあり、

寒くても空気が澄んでいるのを味わい、

寝不足なら寝るのを楽しみにしよう。

その場の楽しいこと、

美しいことを数えよう。”





2020.03.22
大根の花と菜の花

嵩山の風景

久しぶりのほっくりする風景を!


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