2019.01.25
今日のごちそう

これも言ってみれば“モンテ・エ・マーレ”(山の幸と海の幸)です。3段くらい上にはなりますが、伊勢海老とフレッシュポルチーニ茸のパッパルデッレです。

どうやったって美味しいに決まっています。

10月から使い続けている真鱈の白子。うちのこの季節の定番で、短角牛と同じようにお客様方がそういったポジションに引き上げて頂いたお皿になります。

もう、2月になると終盤も終盤で提供できる日も秒読みに入ります。


初物の三河湾産浅利を使ったスパゲッティ・ヴォンゴレ。

軽く燻製にした本メジマグロ、有機野菜のマリネを添えて。

奮発しました。三重県産の鮑。


今日の厨房より

豊橋有機の会の元気野菜たっぷりのミネストローネの仕込み。

 

イカ墨のクロスティーニ。

三河湾の浅利。今年初物。


2019.01.24
Pappardelle ai monte e mare

年末までに大量に仕入れておいたポルチーニ茸。半分はドライポルチーニにして冷凍ストック。半分はオイル煮にしてフレッシュポルチーニとして各種料理に多用しています。

甲殻類との相性がいいこのポルチーニ茸、パスタではやはりこの海老と合わせてローマ風の“モンテ・エ・マーレ”(海と山の幸の組み合わせ)です。


pacco 国際郵便EMS

日本に住んでいると当たり前すぎて気付きにくいことの一つが食事の多様性。朝食の食卓にはトーストに卵料理あり、シリアルやヨーグルト、味噌汁にご飯に納豆。お昼は蕎麦にラーメンはたまたパスタ。晩御飯は、ハンバーグ唐揚げ豚カツ。鍋に。八宝菜。麻婆豆腐。すき焼きしゃぶしゃぶ、お刺身。書き出せばきりがありません。何気なく普通に和洋中とバリエーションに富んだ生活の中に浸透した家庭料理があります。

今日も自分が家を出る時にばばが『今日の晩御飯何にしようかな。魚か。肉か。って言っても、この辺のスーパーじゃあいい魚売っていないし。食べ盛りの孫たちはやっぱり肉の方がいいだろうし・・・。』で。結果今日の晩御飯は豚カツでしたが・・・。

イタリアに住んでいた30年前、当時の一般のイタリア在住の日本人家庭事情を聞いた記憶では、料理上手な主婦の人たちが自宅でいろんなものを作っていたと聞きます。例えば味噌。豆腐。もやし。納豆。家庭菜園でイタリアにない野菜白菜。葱。大葉。胡瓜やナスは品種が全く違ったりと。調味料なんてかなりやりくりされていたと思います。味噌醤油なんてとても貴重。帰国するたびに必需品として持ち帰るのにも生活レベルで考えると結構かさばりますし。何せ重い!

この豚カツを作るにしてもパン粉がイタリアにはありません。カツレツミラノ風に使う目の細かいパン粉なら売っています。もっと言うと食パンがない。唯一打っているのがパンカレと言うぱさぱさのちっちゃな食パンに似たパン。そこから違います。もちろん豚カツソースなんてありません。マスタードはあるけど辛子もありません。豚カツ一つとってもそういう状況でした。

自分が勤めていたローマの商社日伊興産は当時ヨーロッパでいち早く日本米を現地の農家と提携してコシヒカリを生産させてイタヒカリと言う銘柄で販売していました。だだ一般の流通はまだなく、当時の在住者は日本人の主食であるご飯(お米)でさえメルカートで数ある外米の中でうるち米に近い品種のを探してきて家庭で食べているような状況でした。

その日伊興産の経営する和食部門のバックヤードであるセントラルキッチン部門に当時勤務していた自分の仕事は、レストラン東京とにっぽん屋と言う二軒のレストランで使用する豆腐。こんにゃく。厚揚げ。ラーメン。うどん。豆腐。などの製造。たまに入荷する地中海鮪の加工。また、社内別部門である観光部門で働く販売員の女性たちと営業の男性社員の賄用弁当製造を自分んともう一人の厨房のスタッフで賄っていました。そんな当時のローマではかなり日本食材を潤沢に使用でき、日々摂取できた環境でしたがやはりソールフードと言うか食べたい料理や懐かしい食べ物の話は尽きません。当時の同僚たちとなけなしの小遣いで安くて美味しいトラットリアやピッツェリアでワイワイやった帰り道なんかでお酒が入るとそういった感情が特にわいてきます。当時よく話したことは,『ねえ。ねえ。日本帰ったら何食べたい?』です。当時自分は秋になると大根おろしをたっぷり添え醤油を考えずにひたひたにかけた秋刀魚の塩焼き。居酒屋のカウンターでビールを飲みながら焼き鳥、土手焼。和菓子。日本のパン屋のクリームパンやアンパン。などでした。

あと自分の勤務していたセントラルキッチンはポポロ屋と言う食料品店を併設していました。そこが当時ローマで唯一の食料品店でしたが、カップラーメンが一つ500円。味噌や醤油は約1000円。自家製の豆腐も500円くらいしたでしょうか。新鮮なモッツァレッラが250円くらいだった時代です。当時のトラットリやピッツェリアでワインを普通に飲んで一人2000円から2500円と言う物価でローマの日本料理店では4000円近くかかります。1.5倍から2倍のイメージ。自分は当時から休日は安いお店でいいから現地の料理を食べると決めていたので、一度も自腹では日本料理店に入ったことはありません。どうしても醤油っけの料理が食べたくなると華僑の人たちの経営する中華料理店に行っていました。2000円くらいで食べれたので。

そんな状況がその後30年でどこまで日本食材が増えているかは今の食環は分かりませんが、その後もずっとイタリアに住み続けている二人のお世話になった方、一人は当時のポポロ屋の店長さんで現在はローマ六甲と言う日本料理店のオーナーの佐々木さんと綿貫画伯のお二人に今週少しですがこちらのものをお年賀として送りました。JAに出ている地元農家さんの自家製漬物。ちりめんじゃこ。ちりめん山椒。塩辛。鰹昆布。ゴマ豆腐。お茶づけの素。アンパン。などなど。セーブしながらなるべくバラエティーに富むようにとパッコ(荷造り)を構成。国際郵便のEMS小包約4㎏でイタリアまで9000円也。高いか安いか?また別の話。

日頃のご愛顧、思いが1万円弱で届くと思えは安いもんです。日本を離れて海外で生活しないと分からない思いだと思います。数日食卓が華やげばとの思いですし、海外で生活していると何げないエアメールの便り(自分は経験したことはありませんでしたが食品や書籍などの小包)が届くことは想像以上に嬉しいものです。

これでやっと自分の年末年始、正月の公私ともにすべての行事・やんなくちゃあいけないことがすべて完結です。晴ればれとした気分です。これでやっとほっとできます。

追伸 一週間後の昨日1月28日、営業終わりの10時半ころ(イタリア時間2時半)に先に発送しておいた綿貫さんから電話が入りました。月曜日に発送した荷物が次の週の月曜日でした。30年前の笑い話。イタリア人の友人が隣町に手紙を出したら2週間かかって、手紙が届く前に本人と会っちゃった。そんな話は当時普通のイタリアがです。時代の進歩とイタリアの変貌はすごい。

で。綿貫さん、電話からも笑顔が伝わってくるような喋り口で『しゃかきばらしゃん(柳川の人なので)なんかいろいろ珍しいものありがとう。』『すいません。パパっとスーパーで見繕ったんですが、イタリアではたぶんないものだと思いますし。漬け物なんか農家さんの自家製ですし。晩酌にもいいと思って。』『ふん。ふん。ありがとね。』『で綿貫さん。アンパン見ました?』『アンパン!開けてすぐ食べた。』『あ。よかったです。』そんな会話がありました。


2019.01.19
ピレネー産仔羊(Abacchio)

お付き合いしている業者さんに、『榊原さんおすすめな食材が入荷してきました。ご意見もうかがいたいので。是非。』とのことだったので、『じゃあ。一度もらいますか。』となって届いたのがこのアバッキッオ(乳吞仔羊)です。実は半信半疑で、まあお付き合いもあるかと。今まで20年でほんとに気に入ったアバッキッオは、タイミングがあった時の北海道産のもので、それももう何年も前で、それも一度とか二度。何度いろんな業者さんから自分の本意ではないものを仕入れたか。

ただ誤解がないように書いておきますが、美味しくないと言うことではなく、自分の思う味。ストラクチャー。じゃあなかったというだけで、綺麗にロゼに焼き上げて仔羊のジュをかけてりすればおいしかったり。やれるかもしれないけれど自分らしくない方向の料理に向く味の食材だったことが多かったです。

でもローマのアバッキオはそんなんじゃあなく、綺麗で洗練された料理じゃあなく、もっと素朴でおおらかな肉々しい味で、オーストラリア産。ニュージーランド産。フランス産。アイスランド産。などとはまた違うので近年はそういった食材、料理があることでさえ考えないようになっていました。ただ唯一北海道産の仔羊はおんなじ方向性を持った仔羊だと思っています。

今回もまた来たか。ぐらいの気持ちで”お試しで”っていう言葉に応えるくらいの気持ちで購入しました。ところがです!

自分は、新しい食材が入った時特にお肉の場合は、パックを開けて特によくない部分、例えば端肉、首の付け根とか、あばらの先とかをペティーナイフでチョンと切り落とし、軽く塩をして熱した焼き網にのせてぱぱっと炙ります。それを味見してこの個体の肉の方向性を判断します。

それをしてみたらちょっと次元の違う味が口の中に飛び込んできてびっくり。これはもしかして・・・もしかする?です。

試作で、結構大らかにじゃが芋などの蒸し野菜と一緒に焼き付けて実食してみました。

何年振りかにローマで食べるアバッキオと同じ方向性の乳吞仔羊に出会いました。

ちょっと言い過ぎかもしれませんが、イタリアを離れる時に置いてきた料理がいくつもありましたが、この20数年という時の流れの中で、再現できる。作っている自分がイタリアの風が吹くように感じれる料理を構築できる食肉がこれほどまで日本に入ってくる時代が訪れるとは思ってもみないことでした。

いつも考えていることがあります。イタリアにあって日本にないもの。またはその逆もしかりで、50%:50%だと思うようにしています。長年の経験もありますが今ではその50%がかなり膨らんできているよう感じます。よく言う『調子のいい時のバッターがボールが止まって見える。はたまた、縫い目が見える。もっと言うと、ボールの芯が見える。』…志ん朝さんの落語のまくらですが。そんな気分が少しします。

ちょっと買いかぶりすぎでしょうか?

それはさておき美味しい食材です。今後本格的に仕入れて行きます。お楽しみに。


2019.01.17
個性的な料理たち

正月が明けると本当にパタパタっと料理が変わってきます。

真っ先に代わって、出てくるのがそら豆のパスタ“ローマ風”です。

これもうちでは定番で人気なパスタの一つ。半年ほど続きます。

ま。これは本当に肉料理の定番にお客様たちが押し上げて頂いています。

先日、夏ころ来店されたイタリア人の男性のお客様がいたのですが、その時偶然帰国の直前に来店され、『じゃあまた豊橋に仕事でこられることがあればぜひ。』とお伝えして半年もたたない11月末ふらっと同僚のイタリア人と二人で再来店され、お肉はこの短角牛の炭火焼をそれぞれが注文され、帰る際に『Buono carne・肉旨かったよ。』って肉の国の人に褒められたのはそりゃあ嬉しかったです。

Colatella ai carciofi

北海道産仔羊の内臓とカルチョーフィのソテー“ローマ風”


2019.01.11
映画『ボヘミアンラプソディー』

高校生の頃は時間が取れると一日映画館にこもって二本立てとかの映画を2ローテーションとか朝から最終までどっぷり浸かるように観続けたことを思い出します。もちろんそんなのに付き合ってくれる人なんていないので一人で思う存分自分のスタイルで過ごしました。

調理師学校時代は、こん時も友達いなかったので、一人で難波だったかの古い映画を1000円で上映している名画座みたいな映画館に何度も通いました。『卒業』とか『フィールドオブドリーム』『黄昏』とか観てたな。

イタリア時代も一人だったんで(そう思うと結構寂しい青春時代です。今気付きました)それとイタリア語を勉強したくって、映画館だと嫌でもイタリア語を浴せらせるし、向き合わざるを得ない環境に持っていけるので。第一にもちろん映画が大好きなので。渡航したばかりの頃なんて、二時間映画館で座っていて分かる単語が3つとか4つ!それを「イタリア語の勉強をせねば」と自戒の念を持ちながら又次の映画って過ごしていました。懐かしい。

ローマ修業時代一番印象に残っているのはカンポ・ディ・フィオーリ広場に面した古い映画館。こここそ映画に出てくるPARADISO映画館のような。そんな映画館で観た『Nuova cinema Paradiso・ニューシネマ・パラダイス』ここで観といてほんと良かったって今思います。

東京で働き始めたらもう全く映画を観に行かなくなりました。当時、修行の大変さでたぶん町の喧騒の中の雑踏に身を置きたくなかったんです。大阪とかイタリアでは孤独感を感じなかったのが東京ではものすごく寂しくって、楽しそうなカップルの間で映画を観る気になりませんでした。

その後結婚して子供もでき、今度は自分の時間が無くなっちゃった。ただ子供と過ごしていることは大好きだったので、またいつか自分もしくは夫婦の時間ができた時で、それからでいいや。って思って過ごしてきました。家族ファースト!

それこそ最近では大きくなって、それにこれまでの教育が功を制して、子供達とレストランに行ったり、ボーリングをしたり、この間までは遊園地や動物園からランクアップ!とはいえ遊園地や動物園なんかも何十年ぶりかに子供を伴って行けた時はとても新鮮でしたし、親になった実感を味合わせてもらいました。それはそれで楽しい思い出です。

で。最近は少しずつですが、夫婦二人で合間を見て出かけることも年にほんと一二度ですができるようになってきました。

で、年末年始の激務の明けたこの月曜日にお休みをいただいて(半分仕事で棚卸はしましたが)午前中モーニングショーの時間,朝一放映分で『ボヘミアンラプソディー』を観てきました。

12月頃いつも聴いているラジオや周りから信頼できる情報としていいよ。と、いくつも入ってきていたので、これは今日行かんで、いつ行くの!と。

‘80年代はもろリアルタイム中・高校生で毎日FMレコパルとにらめっこしながら今日のエアーチェック番組のシフトを考える日々。カセットテープ当時高かったんで。

深夜のTV。小林克也さんのベストヒットUSAとクロちゃん(女性のパーソナリティー)でなんでしたっけ?この2番組を必ずチェック。ちなみに東京時代二人にそれぞれ別の機会ですが遭遇したことがあって、しゃべれなかったですがすっごい嬉しかった思い出があります。

当時は情報もない時代。それに輝いている部分だけに興味があり、誰のどの曲がいいとか。何位にチャートインしたとかの方ばっかりに興味があり。ロックの雑誌を買うお金もないし・・・。ゴシップやグループの大人の事情とか、そっち側には興味はなかったですし。ですから伊藤政則さんとか湯川れい子さんとか渋谷洋一さんとかつい最近知りました。

ロック少女だった由貴さんの方が伊藤政則さんとか湯川れい子さんを知ってましたし・・・。

 

今回大好きだったフレディー・マーキュリー率いるクィーンが当時どういうふうにもがきながら曲を作り、バンドを運営していたかっていうのを改めて目の当たりにしながら演奏を聴いてみると、当時からたった今までただかっこいいグループで楽曲としか感じていなかったのが、一瞬にしてまた違った意味で虜になってしまいました。

そりゃあ。自分も物を創る人間のはしくれとして改めて、楽曲が発表されて40年もたっているのに、いまだに古びずに聴き続けられる強さってただ天才がぽっと創っただけじゃあない。もっといろんな力がこもっているからこそのものでしょうと。改めて考えさせられました。

ただスポットライトの当たっている場所と影のコントラストの激しさに、やっぱそんくらいのことでもないと前に進む推進力にはならんのか。と。観終わって思わず拍手したくなりました。(してませんが)で、初めてクイーンの曲を聴いて涙が出ました。それもラスト。つーっと一筋。

そんでもって。あまりに興奮冷めやらないのと、この一か月人間らしい時間がなかったので、ちょっとは休んでもよかろうと。予約のなかった水曜日に早めにお店を仕舞って、レイトショーに行ってきました。二度目がこれがまた良かった。

も一回行ってもいいかな!

 

 


2019.01.06
まだまだ修行が足りません!

三味線(長唄)を始めて6年になるのですが、長唄ってその名の通り一曲が長いんですね。入門したての頃の出来事で、ちょうど自宅を出る時からNHKラジオ番組“邦楽のひと時”とかを放送中でアナウンサーが『ただいまから〇〇〇(曲名)をお送りします。』で始まりました。車を運転しながら何気なくラジオから流れてきた長唄。習い始めたばかりで、右も左も全く分からない頃でしたので、へーこんなんなんだ長唄って。なんて暢気に構えて何気にラジオのチャンネルをそこに留めたまま(入門前ならチャンネルを変えるかCDに切り替えていました)お店に用事があったので約40分のチャンネルをそこに合わせたままでいました。お店についてもその曲は終わりませんでした。通勤時間を超えても一曲が終わらない楽曲にいきなり遭遇して、えらいものに手をかけてしまったかも。と、三味線を習い始めたことを少し後悔したことを懐かしく思い出します。

で。それから6年半が過ぎようとしています。今お稽古中なのが【越後獅子】っていう曲でなかなかの大作。一曲が約20分ほどになります。で。長唄のすごいところがこの曲だと15ページとかの譜面になるのですがメトロノームで表現されるテンポではなく“間”なんですね。ですから一曲20分からの曲のすべての手の間を体に入れて行かなくては曲が弾けません。これが一つ。もう一つは、譜面の中に同じフレーズがほぼないことリフレインがない。ですから15ページの曲なら何十行も一度も繰り返しや重複のない曲調が書かれていると言うことです。ですからお稽古の時でも一曲と。自分が弱い箇所(聴かせどころの三味線の手の早い中盤から最後まで)の一曲+半曲でちょっと息を入れたりしていると小一時間あっという間に過ぎてしまいます。それにそれ以上は集中力がもちません。

自分みたいな末席の弟子でも、6年もそうやって結構な仕事では使わない部分での集中力を要するお稽古をしてきたことで、いつの間にか仕事の方での集中力も近年良くなってきている実感を持つようになりました。

で。ここらから本題です。師走の忙しさもボティーブローのように効いて来ていた先日、些細なことで奥さんに言わずもがなな一言を言ってしまって夫婦げんかに。お互い疲れもたまっていたのでわーってなって、その後も忙しさにかまけてまあ表面上はまあ。まあ。・・・?で。また朝車を降りる時に自分がこれまた言わずもがなの一言が口をついて出てしまい・・・。

商売柄24時間365日ほぼ一緒に過ごしていて、やっぱりお互い生身の人間だから調子のいい時悪い時。そりゃあありますわな。

最近気付いたんですが、それこそある女優さんが言っていましたがフランスに暫らく生活されていてルームシェアをしていた時によくフランス人に言われたことが『あなたはどう思っているの?』ちゃんと自分はこのことに対してこう思うんだけれど。ってお互いの感じた思いを伝えあう習慣が身について帰国して、これまでのように仕事に復帰した時に、そういったはっきり意思表示をするようになった時に、フランスに行って変わったね。(ネガティブ意味でそんなにはっきり言っちゃうのって日本ではそれは通用しないよ)って言うことが結構あって改めて日本とフランスとの人と人の付き合い方、距離の取り方を感じました。と。・・・同感です。でもその違いに気付いたのは自分は最近のこと。ですから結構自分はそのことで怪我はしました。経験としてそれはそれで今思うとよかったのかも?と思うようにしていますが。

【お店での出来事】 自分も初めスタッフに一応愛情をもって怒ったり指導してきたつもりでしたが、修行当時の経験として、イタリアでは皆結構口で言いたい放題に言い合いをしていても、賄いの時間になると、さっきまでのお互いの剣幕が嘘の様に晴れて、楽しそうにサッカーやF1の話に興を咲かせていました。それを昔の指導経験の浅いころは同じ人対人。イタリア風で通じるもんだ。と思って指導していました。もちろん後半部分(事後・指導後)、賄は水を打ったような静けさでした。そのことに気付いたのはつい最近のことです。

で。夫婦喧嘩のことに戻りますと。やっぱやるときはやっていいんじゃあないかと思います。お互いそれまで言うに言えないことやストレスって溜まっていると思うんで、ガス抜きって思うようにしていますが、向こうはそうは思っていないかもしれませんが、パーってやって。思うことをバーッて出しちゃう。でも大事なのが仲直りの仕時と仕方じゃあないかと思っています。

喧嘩後のケアー。それこそ数年前までは、喧嘩をすると一週間くらい口を利かない。当時は青さん(ご迷惑をかけました)がいたり、自分も精神的体力や意地も張れる元気もあったのですが、もう最近ではそんなエネルギーがあったら別のところ(仕事や余暇)に使いたいです。それにある時の仲直りの中での会話。『こんな無駄な時間をするために結婚したんじゃないから。』と。我ながら明言?自分の中から出たコトンと腑に落ちる言葉でした。

ま。喧嘩をしないが一番ですが。その後無事に。つつがなく年末年始の営業を過ごすことが出来ました。

師走の忙しさでお互いピリピリしていましたし、バタバタの中で疲れてるし言わずもかななことをつい言ってしまうんですね。これがまた・・・。まだまだ修行が足りません。ということですね!

今年もお付き合いよろしくお願いいたします。


2019.01.01
謹賀新年

待ちに待った我が家のお正月です。

おかげさまで。っていうくらいこの年の瀬は忙しく、それもレストランを楽しめるお客様が多く、その分大変な量の仕込みもやりがいをもってクリアーできました。ただ何せ二人とヘルプのマイちゃんの2人体制と3人体制のミックスでのやりくりの日々、ほんとに綱渡りでした。

でもなんとかつつがなく?新年を迎えることが出来ました。

大晦日のシャンパンでお互いの一年の慰労をし、一夜明け新年一発目が、これも10年続く浜松弁いちさんのおせちで幕を開けます。

子供たち。もちろん我々大人たちもこれがなくっちゃあ年が明けた気がしません。初め購入することが決まった時は“え!3万円ですか。”で始まったのですが、初めて頂いた直後からいえ。いえ。安い安い。にすぐ代わり、今日まで約10年我が家のお正月の食卓を飾ってくれています。

ま。毎年子供たちが限られた数のそれぞれの料理のチョイスする決定権があるのと、子供達にこそこういったちゃんと仕事がされた日本料理を食べておいてほしいと思って毎年の恒例にしてきました。

我が家恒例ばばの“甘々茶碗蒸し”。最近では可南子さんが早朝よりばばの助手として立ち働いてくれています。そして毎年恒例甘々茶碗蒸しの甘さ加減で茶碗蒸し占いと言うのをやっています。で。今年の出来は、そんなに甘くなく、初めて食べた時目がちかちかする甘さだったのですが、今年はだしの味が判別出来るくらい上品な?甘さでした。とは言え、下手なプリンより甘いですが。

で。これも可南子さんが餅を焼き餅にしてくれた我が家では初めての焼き餅入り雑煮です。自分も生まれて初めてこの焼き餅入り雑煮を食べたのですが、これはこれで美味しくてびっくり。お代わりしました。

 

我が家は僕がマスオさんで、おやじさんとお母さん(じじとばば)が北海道で、年越しは家の中で料理とお酒をたんと準備して過ごす。っていうのを冬の雪の中ではしていたようで、それをこの土地に来てからも、ましてやぼくらも初め嫁としてもらっておきながらしばらくして孫付きで帰ってきて、そしてさらに孫も増え、東京のさおちゃんも帰ってくる。っていう家なのでそういった彼らの故郷の風習をいつの間にかぼくらも一緒になって楽しむようになっていました。子供達もやっぱりこういった年越しが楽しいようで皆で団欒を構成するというルーティーンにうまくなっています。いくら家族とは言え大人も子供も3日間家に居るよう予定を開けるってことなのと、皆健康でなければ足並みがそろいません。それでもここ10年以上こんな感じで過ごせてきていますし、子供たちが大人になった時故郷を思い出すとてもいいことだと思っています。


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