2019.12.31
大晦日

いよいよ大晦日です。ご予約のオードブルの段取りに普段より早起きをして最後の仕事に出勤です。

3時間ほどですべての調理と片付けを終え、これをもって一年の仕事納めです。

これもここ10年近くになる年末の恒例行事。浜松”弁いち”さんにおせちを取りに行き、友人のミケーレさんに一年の挨拶と来年の再会を伝え。後は年末年始、年越し用ワイン(シャンパン)と子供たちの飲み物を買ったらすべての年内の予定は終了です。浜松からの帰り道三ケ日にある濱名惣社神明宮に一年の無事のお礼のお参りに。

これでほんとにほんと。すべての行程が終了です。後は自宅に帰ってシャワーを浴び、さっき調達してきたシャンパンを口きりに年越しの祝宴に入ります。

 

 

今年も1年お世話になりました。


2019.12.29
街道沿いのお店

怒涛の12月の営業も残すところあと1日半の今日、師走も押し迫った日曜日で、臨時営業の予定でしたが、今年の12月は今までにないちょっと変則的な人の流れ。で、夜の予約が入りません。ネガティブな話ではなく、『こりゃ。夜休めるか』です。

明日の30日は年内最後の営業日で、この12月に溜まった疲れを少しでも癒そうと臨時休業に切り替えて少しリフレッシュの時間にあてました。

由貴さんは『自宅で子供たちの顔でも見ながら過ごすから』と言うことで、思い思いの時間を過ごすことに。自分はほんと根をかなり詰めてやってきていたので、山の温泉にでも浸かって少しでも充電しようと一人奥三河、東栄温泉に。

例年であれば疲れもピークの時期で、こんな一瞬なんて考えもつかない状況で毎年過ごしているのですが、今年はほんの一瞬思いがけない隙間が出来ました。このリフレッシュのひと時があったので翌30日の最終営業日はかなり精神的、体力にかなり目減りしていた部分が充実した!とまでは復旧しないまでも、かなり余裕をもって1日の営業をやりきることが出来ました。

近頃は、そんな休日とは言えどこかに行く。ってこともほんと少なくなりましたが、長女がまだ小さかったころは本当によく長距離ドライブに出かけていました。今思うに、自分が子供のころ家には車がなかったことと、当時はそれでなくてもそんなにどこかに出かけるってそんなにしない時代だと思います。その後イタリア修業中は、そんなに使えるお金がない中でも勉強であり見聞を広げるって名目でイタリア中ざっとは旅行することが出来ました。その後東京修業を経る中での抑制された生活の反動もあり、日本のことをほとんど知らない。って言うことに気付き、お店始めたばかりで余裕もない中で泊まりの旅行はできないけれど、日帰りならガソリン代と高速代だけだろうと、結構若さに任せた長距離ドライブをその頃していました。

休みの朝、普通の時間にぼーっと起きだして『高山に行こっか』であったり『乗鞍の日帰り温泉に行こっか』って年に2回は衝動的に行ってました。現地に着くと3時とか4時で、観光もそこそこに早めの晩御飯を食べて、もしくはお風呂に入ってとんぼ返り。それでも距離が距離なので帰宅すると深夜12時ころなんてざらでした。若かったです。

そんな飛騨高山や乗鞍の帰り道で印象的だった思い出は、山間の国道を走っていると日の暮れも早いので6時過ぎたり7時ころでも交通量も少なかったり、民家もまばらだったりと、8時にでもなれば山間の国道を走っていると深夜のような深い闇に感じました。そんな通り過ぎていく、自分には名もなき村々のように感じてしまうような街道沿いの小さな集落、もしくは村はずれにポツン一軒家で取り残されたように佇む食堂やホルモン屋のぼんやりと灯っている看板を見ると、怖くてよう入りませんが、どことなく哀愁を帯びた佇まいにどこか後ろ髪を引かれるような思いにとらわれることがよくありました。

今日も東栄町からの帰り道、国道151号線、普段でさえ夜9時過ぎにそんなに交通量なんて多くありませんが、一層こんな年の瀬が押し迫った29日なんてほとんどすれ違う車もありません。そんな街はずれ、商店街の外れにポツンと食堂か今風なカフェ居酒屋のようなたたずまいのお店の蛍光灯ではなく電球の柔らかい、夜なので木漏れ日ではもちろんありませんが、木から漏れる陽ではなく、家から漏れる光が遠くからでもなんかそそられる感じです。

いつか立ち寄ってみたいとは思いますが、今日はまっすぐ帰ります。明日と31日の大晦日、半日仕事がまだ残っていますから。


伊勢海老と自家製ドライポルチーニ茸のパッパルデッレ

鮃とジロール茸の“モンテ・エ・マーレ”

 

短角牛野炭火焼フレッシュポルチーニ茸添え


師走も押し迫ってきました。

カーサレッチ風アンティパスト

雲丹のスパゲッティ

 

 

自家製ボッタルガとモンヴィーゾチーズ、あやめ雪のプレート

真鱈白子のムニエル ローズマリー風味


2019.12.22
休日に 其の二

いつの頃からか駅伝を大好きになりました。今年はばっちり。京都で開催される全国高校駅伝女子、男子を観れます。

昔は、マラソンや駅伝、約2時間半じっとTVの前で観続けるなんて信じれなかったのですが、今では12月に入ると今年はいつこの高校駅伝が開催されるか、その日は予定が空いているかが気になります。

今は体力的に西浦漁港に行くのは止めていますが、その頃、豊川高校の前を通ると朝6時ころに何度も駅伝チームのメンバーの早朝練習を目撃し、全国で戦うことってそういうことなんだな。って。先日開催されたラグビーの選手も『この4年間すべてをこの日の為に捧げてきました』と言われていましたが、こんな身近なところでそういった熱い思いを持った場面に触れると自分も頑張らんと。って勝手にエネルギーもらったつもりになれます。

 


休日に

年の瀬最後の休日の今日、疲れもピークですがもうあとひと踏ん張り。泣いても笑ってもあと9日です。この残りの年内の営業は言ってみれば通知表を貰う時の気分を味わう子供の時の気持ちになります。365日週一日の休日を差っ引いて(休日とは言え、どの自営業者の経営者は休日であって休日でないような生活だと思います)そういった意味では差っ引かずに、一年の内、350日は最後の10日ほどの為に日々努力しているような感覚を持っています。

一年のうちで最も忙しくなる繁忙期ではありますが、売り上げの高より(勿論売り上げは現実的には欲しいのですが)内容!って、いつの頃からか思うようになりました。20年前はスタッフもいたので彼らの為にイタリアンおせちと言う形で少しでも年末に売り上げを作ってボーナスとは言えなくても少しでも渡せるようにといろんな試みをした時代もありました。その分年末の営業に集中できない時代がありました。

いつの頃からか、店内を見渡すと、この時期来店されているお客様たちがとても華やかにさんざめく、何とも言えない雰囲気で過ごされていることに気付きました。その後この時期に来店されるお客様。言ってみれば年内最後の食事を誰と何処でするか?そのレストランにうちの店を選んでいただいている。と言うことにどれだけ貢献できるかって思うようになりました。

年の瀬に限ったことではないのですが、レストランって場所ってお客様を迎えるまでは(お迎えして接客。調理。お見送りをすることはこちらの仕事ではありますが)過ごされているお客様が最後の雰囲気づくりを担っていると言うことです。

楽しむ雰囲気を作られるお客さまで満たされたフロアーから伝わってくる好い気を感じれる日は、それまでの苦労がさっと忘れてしまう喜びを感じ、レストランを営んでいてよかったと思える瞬間です。自分たちだけで楽しんでいるグループや、騒いだり、あらさがしに来る人など。となかなか日本人ってレストランの使い方が下手な部分が多い中、こんな地方都市でも、いやいや!こんな素敵なレストランを愛する人たちがいますよ。って胸を張って言える日がすごく増えてきました。その集大成がこの時期です。そういったいい気を持ったお客様たちが楽しみに来店られるお店になりたい。って残りの350日を過ごしているわけです。とは言え泣いても笑ってもあと9日です。今日ゆっくり休んで(夜は家族そろってクリスマス会です。数年前に甲斐路軍鶏が外に出していてなくなった。ってことがありましたが今年はリベンジでPollo arrostoを焼きます)明日からラストスパートです。


2019.12.03
あこがれの料理 短角牛のテール赤ワイン煮

もう25年くらい前のことになりますが、東京修業時代、勝どきの倉庫街にクラブ・ニュクスと言うレストランがあり、友人の紹介でそのレストランを知りました。当時付き合い始めた由貴さんと奮発して食事に行きました。

それまで東京生活1年ほどは数名の上京組の何人かは、東京で就職した子もいるでしょうが、当時高校を出て調理師学校からイタリアの約6年、全く誰とも文通とか連絡を取ることをしてなかったため、ほぼ誰も知る辺もなく孤独な東京修業時代の休日を過ごしていました。その頃一人飯はどうもさみしさ倍増するような気がして、愛車(YMAHA/SRX400)で何時も奥多摩や鎌倉などに出かけ、周りが家族団らんの頃あいを避けて帰宅して、酒を飲んで借りてきたDVDの映画を見ながら酔っ払って寝る。と言うような生活を送っていました。

で。恋人が出来て一番うれしかったのは、食事に行けるパートナーが出来たと言うことでした。

イタリア時代、田舎暮らしで回りに日本人がいないような生活をしていた割には、それなりに日本人同士で連絡を取り合ってなんだかんだと食事に行く機会はありました。帰国してみると東京生活1年ほどほとんどどこにも食事に行った記憶はありません。由貴さんと付き合い始めたのをきっかけに、当時話題のお店や、あこがれのシェフのお店、勉強になりそうなお店とフレンチとイタリアンとジャンルは限定していましたが(由貴さんが当時蕎麦食べれないと言っていたので。今は美味しい蕎麦なら大好き。っていうところまでなりました)それまで鬱積していた思いを月一回の食事に出かけるって自分に課して過ごしました。・・・一回の食事代が目安3万円!と決めていたので、シェフの知り合いのレストランの場合はその旨を伝え向こうのシェフに電話してもらっていました。そうするとワイン白と赤と見繕って出してくれ、フルコースの料理で勉強させていただけました。高いようで安い(お値打ち)にやっていただきました。

東京修業3年のうちの後半の2年ほどはフレンチとイタリアンしか行っていませんが、限られた予算と時間の中では我ながら、それなりに経験できたんじゃあないかと思っています。

とは言え、薄給の身で、食事代はこちら持ちのため、その月一回の食事デート以外のデートもしくは、日々の帰ってからの食事はかなりセーブしていました。吉野家でさえ毎日帰りに寄るとなると出費がかさむと言うことで給料が出た日の帰りにの月一回!帰宅途中に食べる晩御飯としての三軒茶屋の吉野家はこれもまた別の意味で自分へのご褒美でした。

毎日のように深夜帰宅途中のルーティーンは、これも三軒茶屋にある富士そばでした。蕎麦の煮かけを頼み、トッピングはいつも春菊天とごぼ天が定番。それで確か360円かそこらでした。それを数分でどんぶりの蕎麦をかっ込んで、バイクで狛江まで帰るとちょうど満腹中枢が効いてきました。後は自宅でビールを一本飲んで寝る。休日以外の25日はそんなでした。

そんな生活をしていたので、今でも結婚当時の写真を家族が見ると、パパ細かったね。っていつも言われます。

 

で。”クラブ・ニュクス”、当時売り出し中の現”アンフォール”オーナーシェフの五十嵐シェフがお店を任されていて、スタッフの一人として“ル・ブルギニオン”オーナーシェフの菊池シェフも在籍されていました。

その時に飲んだのはジュブレ・シャンベルタンで(当時フレンチどこ行ってもジュブレ・シャンベルタンでした。なんとかの一つ覚えです)、食べたのがオードブルが鰻のカレー風味(その後五十嵐シェフのスペシャリテになっていったお皿)メインがオックステールの赤ワイン煮でした。これが2皿とも衝撃的に美味しくってフランス料理の奥深さをまざまざと感じる出会いでした。

いつか自分でも作ってみたいと思い続けていた料理です。

テールと言うと、内臓のカテゴリーになっていて精肉とはルートが違います。今これだけ焼き肉店がありブームとなっているのでなかなか入手が困難な食材になってしまいました。それに結構値の張る食材です。ただうまく調理すると料理しがいのある食材なので、料理人みょうりに尽きると言いますか、そういった意味でもやりがいのある食材でもあります。

それにローマを代表するCoda alla vaccinara(牛テールのお肉屋風)と言う郷土料理があり、カッチャー二の名物でもありました。そこにテールの真ん中から下を使用します。(赤ワイン煮にできるのは付け根から第3関節までなので、その先の細くなっていく部位をヴァチナーラ風にすればよいので、ただしその分テールを3本ほど貯めないとそれぞれの料理一回の仕込みが出来ません)そうしてやっとのことで何年かぶりに牛テールの赤ワイン煮を仕込むことが出来ました。

これから寒い日にはこういった手の込んだ料理が美味しくなる季節です。

 

 


2019.12.01
幸せな場所

レストランを営んでいていつも思うことは、本当にいつも地道な作業の繰り返しと言うことです。9割はそうかな。ただ、その反面ぱっと一輪の花が咲いたような束の間の一瞬(一夜)も存在すると言うことです。

どのテーブルも楽しそうに過ごされていて、店内華やいでいて大らかで、帰り際に皆幸せそうに過ごされた方々をお見送りできる幸せを感じることができるそんな日があります。例えば12月30日は、ここ10年ほどそんな感慨を持って迎えることが出来ています。もちろんそれには理由があって、師走も押し迫った、気持ちも高揚していると言うこと、近しい人と年内最後の外食を楽しもうという、繋がりはないにしてもお客様同士の意識が一致しやすいことも大きな理由でしょう。

レストランって、言ってみれば演奏会やロックなどのライブのようなものだと思っていて、奏者の、勿論準備を整えて観客をお迎えするわけですが、観に来る来客もそのライブに向けていろいろな準備をしていくのと同じで、僕らレストランもある意味そういった方向性を持った現場であると。今まで、お客様からのお言葉もあるのですが、その立ち振る舞いから教えられることがたびたび起きてきました。例えば、『最近着物の着付けを習い始めたから、練習を兼ねて今日は着物を着てきてきました』であったり『最近慌ただしく過ごしてきて、やっとひと段落着いたので今日食事に来ました』もちろん春は、子供さんの就職や入学祝などです。あ。そう言えば店内でプロポーズされたカップルも3組いました。

ま。ただ日々忙しい現代生活の中で、やっぱお時間がないって言う方もそんなには多くありませんがいらっしゃいます。でもそうじゃないんだよな。っていつも思ってしまいます。なんで時間ないのにレストラン来るの!もうそれで結構へこみます。だってうちが使っている食材って皆生産者の方々手間暇惜しまずより良いものって思って美味しいモノづくりをしている人たちの食材を僕らは預かって料理させてもらっているのに、そんな人が来ると一気にテンション下がります。町内に住んでる人じゃあないんだからうちに来るまで何軒お店を通り過ぎてるんだろうって思ってしまいます。まだそこに関してはレストランや料理店の使い方は日本は遅れてるように思います。

いつも思うことがあって、最後の味付けをするのはお客さんだと思っていて、どんないいライブでもお客さんが盛り上がってムードを作らなかったらそれはいいライブだったことにはならないのと一緒で、TPOを合わせていろんなことがパチッとはまった時の華やいだレストランの雰囲気って、大人だなあ(子供さんがいても。年齢じゃあないんですね。大人が楽しんでいるテーブルのお子さんは概して。下手をすると大人よりレストランを満喫していたりします)。レストランて素敵だなあ。ああ!続けてきてほんと良かった。って思います。

昨夜はほんとそんな一夜でした。皆さんほんと楽しむために来店されたお客さまばかりで、豊橋でこんな時間が流れているレストランってなかなかないよなって。この雰囲気を東京にそのまま持って行っても全然恥ずかしくない。って胸を張って言えます。苦節22年いろんなことがありましたが、近年そういったぴちっといろんなことがはまった日の営業を迎えることが増えてきました。単体で見てもこのお客さんだったらどこで食事されていても素敵な雰囲気をお店に与えてるんだろうな。って。うちらも精進していきますが、共によりよくしていこうって暗黙の共通認識を持って居る。一体感を感じれるような相互関係になれたら素敵だと思います。それは一長一短には構築できないこともわかっています。

いいお店ってどんだけいいお客様に来店していただけているか。ってことだと思います。ほんと財産です。

 

 

レストランは自分の作品


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