|
写真はイメージです
|
旧軽井沢の駅を降りると、今の駅前とは異なる風情のあるタクシーのりばに向う。乗降客がホームにあふれかえるシーズン中は、ほとんど私たちの軽井沢行きはないので、静かな軽井沢を訪ねることができる。タクシーに乗り「山本直文先生宅」と名前を告げると、間違いなく山本先生宅まで連れていってもらえる。
浜松に移ってからは、秋田純平さんと一緒に出かける事が多くなり、富士川から山梨にぬ
け、清里から望月、小諸を通って軽井沢に入る。このコースは高速道路やバイパスが出来たりして多少の変化はみられたが、通
いなれたるドライブコースであった。スイス時代の仲間でもあった秋田さんとは、この道中がとても楽しく、毎年の欠かさない先生宅訪問の一つであった。軽井沢の中でもひと際簡素な場所にある先生宅は、タクシーで行けば間違いないのだが、こちらが探して行くとなると大変である。慣れればどんな場所でもわかるのはあたり前であるが、年に一、二回では、ついうっかり見落としてしまうのである。手入れの行き届いた杉の木立ち、車道と舗道に分かれているのでさらに静けさが伝わる。舗道から十メートル程のところに「山本」とだけ書かれた表札がある。まったく目立たないから、車で探すとなるとつい見落としてしまう。行きつ戻りつはよくあることで、毎度のことであるが表札を見つけるとホッとする。高さ三十センチぐらいの木に「山本」とだけ書かれているから、目立たない表札である。お屋敷はその奥、三十メートルぐらいのところにある。手入れの行き届いた庭木にも、軽井沢特有の静けさが感じられる。
車の音を聞きつけた先生ご夫妻は、玄関まで来て迎えてくれる。先生の大きな身体が玄関をふさぎ、来客のもてなし方が家中に広がっているように感じる。先生は誰に対しても同じようにして迎えてくれる。決して多くの言葉は語らないが、先生の「やあ、こんにちは」で半年間のご無沙汰が「サーッ」と消えていく。
先生と奥様が迎えてくれたあの軽井沢の「山本邸」は今はない…が、私のまぶたにはいくつになっても消えない、師の面
影である。
|