人は一生の間、実に多くの人との出会いがある。しかし心に滲みいるほど感化され、影響を受ける人は稀(まれ)にしかいない。
日本のフランス料理の父と呼ばれた「山本直文先生」は、“三鞍の山荘”の今井克宏シェフにとってそんな忘れ得ぬ 人のひとり。


「きも吸」

写真はイメージです

 今は、スローフードや地産地消などの言葉が反乱して、さかんに食品の安全性をアピールしているが、先生の食品に関する言葉は、絶えず「安心」が第一であり、肉や魚の加工品の中に入る添加物を、事のほか嫌っていた。本当かどうか私にはわからないが、先生は「ブルチーズの中に添加物が加えてある」と云って、この種のチーズを買う場合、フランスのロックフォール以外は買わなかったように思う。「たらの子」も、色つきでないものを選んだし、「いくら」も「うに」も必要以上に添加されていないものを買い求めていた。

 軽井沢で留守番をしている、奥様からのお遣いの時もあるが、食品に関してはお二人共、同じお考えをもっていたようだ。デパートの中を先生について歩きまわり買い物を済ませると、先生お好きの「うなぎ屋」に入る。この店も必ず決まっていて「弁慶」という「うなぎ屋」に行くである。弁慶はそれから十数年後、軽井沢にも店を出したが、本店の味ではないと云って、一度も、軽井沢店の「うなぎ」は食べさせてもらえなかった。先生には「うなぎ」の食べ方が決まっていた。「いつものを」というだけで店の人たちは、先生の注文どおりの「うな重」をつくってくれる。

 まずフタをあけると同時にすばやく山椒の粉をふりかけ、すぐにフタをする。待つこと10〜15秒ぐらい。そこでフタをあけて食べ始める。これが、早くても遅くてもいけない。「10秒待つのだぞ」という顔つきをして、私の動作をみている先生には、いたずらっぽい子供のようなところがある。

 「私が〈化学調味料〉を認めるのは、このうなぎを食べるときの〈きも吸〉だよ。これには入っていないと吸物の味がしない。〈うなぎ〉の味は、きついんだな」。先生はこう話しながら、化学調味料が、たっぷりと入った「きも吸」をおいしそうにのんでいた。「うなぎ」は、先生の大好物だったのである。

 

山本直文(なおよし)先生のプロフィール
 明治23年(1890年) 東京生まれ
 大正6年(1917年) 東京帝国大学文学部卒業
 大正10年(1921年) 学習院教授
 昭和26年(1951年) 東京学芸大学教授 フランス語講座主任
 昭和46年(1971年) 日本エスコフィエ協会名誉顧問・パリ司厨士協会
 昭和47年(1972年) エスコフィエ名誉弟子
 昭和50年(1975年) 第一回食生活文化賞大賞受賞
 昭和52年(1977年) 殊勲三等(瑞宝章)
 昭和57年(1982年) 歿 享年92才
 フランス語・フランス料理関係の著作・翻訳は多数に及ぶ。


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