人は一生の間、実に多くの人との出会いがある。しかし心に滲みいるほど感化され、影響を受ける人は稀(まれ)にしかいない。
日本のフランス料理の父と呼ばれた「山本直文先生」は、“三鞍の山荘”の今井克宏シェフにとってそんな忘れ得ぬ 人のひとり。


「先生とラモーさん」

写真はイメージです

 エスコフィエ博物館長ラモーさんご夫妻をご案内して京都、神戸、長野と旅をした。

 ラモーさん自身は三度目の来日で、奥様をフォローしながらの、のんびりとした旅であった。ラモーさんは、日本のことを知りつくしていて、京都にいたっては、ご自身で見学するところを選んでいた。歩くのがきついところは避け、また人の多いところはコースに入っていなかった。この役目を引き受けるにつけ、小野(正吉)会長からは、ラモーさんと相談して好きなようなスケジュールをつくるようとのことであった。約八日間、終り一日が軽井沢に行くようにとの決めごと以外は何もなく、朝食のときに「今日は、どうしましょうか?」というような、いたって楽なつきそいであった。おつかれで朝食は部屋でとることもあった。昼食や夜の食事をこちらで用意しなかったときは、ルームサービスやカフェテリヤの単品を好んで食べた。

 来日して、すぐに、「てんぷら」や「すきやき」「ヤキトリ」など東京で食べられたとみえ、私には食事の打ち合わせの都度「〈すきやき〉は、もう食べているからね」と笑いながら、おっしゃった。あの醤油煮と、油っぽい「てんぷら」は一度でよいということであった。そば、うどんも一回でよかったし、醤油味は「もういいよ」ということであった。

 京都地方の当時のホテルではなかなかフランス料理をおすすめできる店がなかったのと、私の知識もうとかったので、「さあ食事」となると困ったのである。はじめのうちは、ご遠慮されていると思っていたのであるが、ラモーさんとはニースのエスコフィエ博物館を訪ね、アンティブのラモーさんの住まわれている町でしばらくホテル住まいをしたこともあり、気心は知れていた。だから、私には遠慮なく、思っていることが云えたはずである。見学も一日二、三ヶ所。ゆっくりの旅は続き、クライマックスは軽井沢、山本先生宅訪問となった。

 東京へ一旦戻り、定宿ホテルオークラに一泊したので、すっかりお二人ともリラックスされたようであった。オークラには小野会長はじめ、大庭(巖)氏が、なにくれと面 倒をみられるので、それを気づかっての外交的な元気かと私には思えたがそのようではなく、オークラというホテル全体にいやされたようである。「ピザ」が食べたいなどと昨夜は元気だったし、ワインも少しおのみになったのである。気力が回復して軽井沢への旅となった。

 この何日間の旅行中、ラモーさんは何回も「山本先生は、どうしているの」「いつ逢うの」としきりに私にたずねた。ラモーさんは、山本先生に逢うのを楽しみにしていたのである。それなら最初から軽井沢を訪ねるコースをとればよかったのに…とつい付き添いの「グチ」も出たが、会長から大庭氏へ、そして私に伝達された今回のラモーご夫妻の「日本の旅」は、それに従うしかなかったのである。

 私たち一行が、先生宅を訪れたときには、先生ご夫妻は外までお迎えに出て、日仏友好の絆が結ばれたのである。会話ははずみ、いつまでも家の中に入らず、庭先でのシーンが二十数年たった今でも、私の脳裏によみがえってくる。先生のはっきりとした大きな声のフランス語の発音にあわせ、ラモーさんのフランス語もいつものニースなまりではなく、パリの上流フランス語であった。スイスなまりの私のフランス語の入る隙間はなかったし、その日、私たちは何を食べたのか、いつ帰ったのか、まったく記憶には残っていない。ただ、旧友が親しく話しあっている姿があまりにも印象が強すぎたことには、間違いないのである。

 その後、先生とラモーさん亡き後、山本先生の奥様が、ラモーさんの墓のあるニース近くの△△△村まで行き、フランスでも珍しい「本の形」をした墓標の前で、日本から持っていった石の像を供えて祈られていたのが、私にはさらなる落涙を誘ったのである。奥さまはこのためにツアーに参加し、その足でニース駅からパリへの夜行列車にのり、翌日、日本へ帰ったのである。

 

山本直文(なおよし)先生のプロフィール
 明治23年(1890年) 東京生まれ
 大正6年(1917年) 東京帝国大学文学部卒業
 大正10年(1921年) 学習院教授
 昭和26年(1951年) 東京学芸大学教授 フランス語講座主任
 昭和46年(1971年) 日本エスコフィエ協会名誉顧問・パリ司厨士協会
 昭和47年(1972年) エスコフィエ名誉弟子
 昭和50年(1975年) 第一回食生活文化賞大賞受賞
 昭和52年(1977年) 殊勲三等(瑞宝章)
 昭和57年(1982年) 歿 享年92才
 フランス語・フランス料理関係の著作・翻訳は多数に及ぶ。

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