イタリア紀行 '09 Page 1 Page 2 '07 Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 '04 Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 Page 5 Page 6 '02 Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 Page 5 Page 6 '01 Page 1 Page 2
翌日モンタルチーノに向かいました。世界に知られるモンタルチーノという街はどんな街なのか、10年前に一度食事をするためだけに来た事があるだけで、中心街は初めて。ワクワクしてます。
バスですとフィレンツェ-シエナに一度向かいます。
そしてシエナに来たらば絶対に寄りたいトラットリーア。トラトリーア・パペイ
飲んだ分だけ支払う、デッラ カーザ ロッソ。うまくないけど、うまいんだなあ。
外のテラス席にて
シエナと言えばピーチ(Pici)!!これを食べたくて食べたくて。手延べうどん、いやパスタ。
イノシシのラグー
でもこれは飲みます。
サービスで出してくれたヴィン・サントとカントゥッチ(食べちゃいました)。
カメリエーレの男の子がやたら日本語がうまくて、楽しませてくれました。八王子に友達がいるとか。
で写真を撮ってくれました
両側にカップルがいまして、かたや男女、かたや男男。この男性同士のカップルがとても優しく話してくれて、彼らは朝ローマからここに着いたのだとか。丁寧に話を聞いてくれて(下手なイタリア語を)、ゆっくり答えてくれて。笑顔と仕草は女性でした。貴重な出会いでした。
トラットリーア パペイでのんびり気分になって気が緩みすぎバスの時刻をすっかり忘れてしまった。14:00過ぎたらとたんにモンタルチーノ行きのバスが減るのだ。油断したあー。で、2時間待ち。
バス(TRAM)の窓口のおあばさんと一悶着(省略)あり、バスに飛び乗ったのだ。イタリアは長距離バスも時刻表が違っているのか?それとも印刷ミス??はたまた古いままなのか???いろいろ考えても事実は一つ。ここはイターリア。それが自然(笑)
このバスはボンコンヴェントという街でモンタルチーノ行きに乗り換えなくては行けない。あらかじめ運転手に伝えておいた。「俺が声かけるから?」みたいな事を言ってくれた。これでひと安心。か?気は抜けない。
半分ほっとしながらモンタルチーノに思いをはせると、ゆっくりとボンコンヴェントの街に入って来た。乗り換えがあるからソワソワしてくるが、いっこうに運ちゃん声かけてくれないし、友達とベラベラ話しているし。不安急増。
無事バスに乗車。 僕、妻、シィニョーレの3人のみ。 どんな田舎に行くんだ??
かなり暗くなって来た。
何カ所かのバス停でゾロゾロ人が降り、更に不安が、、、、。よし!自分を信じるしかない!!と変な思いになってくる。よし、ここだっ!(なんで!?)と思い他の乗客と出口にそそくさと向かうと、ここで運ちゃん「違う!!次だ、次っ!!!。」ええっ???。視野広いねえ?、見えてるのかよ。忘れてないじゃん。
相当にソワソワしていたんだろう、隣のおばあちゃまが「いいかい、そこにいるシィニョーラはモンタルチーノに帰るから彼女の後について行けばいいよ、わかった?そのシィニョーラよ。」「オ カピート、グラツィエ シィニョーラ。」ううう、いいおばあちゃま。
さらに、「モンタルチーノ行きのバスはこのバスが着いたら出発するのよ、バス停で必ず待っているから、わかった?」「はい。」と、とあるバス停(っていうか案内板が一本あって寂しい感じのとこ。)でポツンと一台のバスが待っている。で、件のシィニョーラが席を立ち、運ちゃんも「ここだっつーの!!」とは言わなかったが、やさしく教えてくれた。Grazie。にっこりと笑顔で見送ってくれた。やっぱり優しいな。
PM6:00過ぎ到着。中心のPiazzaを通り抜け向かうはHotel Il Giglio(ジリオ)の別館。マンマ アンナは意思が強そうな素敵な方。
←テーブルのセッティングも気持ち良い。アラカルトでオーダー。
前菜は一つに。 チンタセネーゼのラルドでスペルト小麦を包んだもの。
うちの店が’99の開店なので、その年のブルネッロを飲もう!と言うわけでサービスのお父さんとも相談して決めたのがこれ。シーロ パチェンティと迷ったんですが。お父さんが手頃な値段で、このリセルヴァは今飲み頃と。
こてこての郷土料理、ではなくてこういう料理を食べると、東京のリストランテで食べているようだった。いろんな意味で東京のリストランテ イタリアーノはスゴいなあ、と感心した。
この後、時差ぼけか、眠気に襲われ暴睡。
カフェ
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