machidaさん、書き込みありがとうございます。
ソルトのレシピ「シベリア風水餃子・ペリメニー」では作る側もさぞ面白かったでしょうね。
完成品をイメージできなかったので、見た目フツ−の水餃子になってましたね。(味は良かったようですが)
プロのレシピに素人が挑戦する企画、また考えてみます。
ご期待ください!
http://www.wr-salt.com/recipe/perimeni.html
TKさん、管理人2さん、ご無沙汰してます。
いつも楽しく拝見しています。
僕のロシア料理の思い出は、サモワールのペリメニーです。
ロシア風餃子と、お酢とバターのソースの意外な組み合わせが
何とも美味しかったのを覚えています。
レシピも試しましたし…。
当時の自分の感覚では有り得ない組み合わせだっただけに、
インパクトが強かったですね!
ロシア料理といえば「ボルシチ」が有名。
ビーツが入った暖かで赤いシチューをイメージしますが、
夏向きの冷製ボルシチもあるとか。
以前サモワァールで食べたことがあります。
ロシア料理は基本的に田舎料理らしいのですが、
サモワァールでは上品にいただくことができます。
希少価値のあるいいお店だと私も思います。
本日、サモワァールにランチを食べに行ってきました。
おいしかった。
サモワァールに行くのが初めてというより、
ロシア料理を食べるの自体が初めてでした。
まだいろいろ食べてみていないので一概には言えませんが、
ロシア料理は基本的にシチューがベースなのですね。
なるほど、寒い国の料理だなと思いました。
あと、外から見た感じより、中が意外と広かった。
内装もおしゃれでいいですね。
また行ってみたいと思います。
最近、目にするデザインがつまらなく感じる。
デザインが一人歩きしているようなデザインは特にそうだ。
ちょうど昔、ル・コルビュジェがブラジリアで失敗(私感)したように・・・
デザイナーは表面的で独りよがりのデザインになってしまっていることに気が付かない。
何のため(誰のため)のデザインなのかもっと考えて欲しい。
そんなときは歴史を紐解こう。
その中に答えは必ずあるものだ。
こんばんは。こちらこそ、ご返事が遅くなりました。
確かに、カテゴライズは難しいですね。
どれくらいの大きさの枠でくくるかにもよりますし、
切り口によっても変わりますよね。
せっかく音楽の話題を振っていただいたので、ちょっと語らせてください。(笑)
“クラシック”という表現は、訳せば“古典”であって、
あくまでも、“今”を基準にものを言っているんですよね。
今で言う“クラシック”音楽がリアルタイムで作られ、
“新曲”として演奏されていた時代もあったわけですから。
でも実際に指しているのは、“昔の音楽”というわけではなくて、
音楽というものが生まれ、楽典が今の形にまとまった頃から数百年の間に作られた音楽、
ということになると思います。
同じ感じで、例えば、「古典文学」とか、「古典落語」とか、言ったりしますよね?
だから、今もてはやされている音楽が、ずっと将来になってクラシックと呼ばれるかというと、
そんなことはないわけです。
細かいことを言うと、クラシックの中にもまたジャンルがありますよね。
例えば、スタイルでいうと、交響曲、協奏曲、弦楽〇重奏、〇〇ソロ、オペラ、声楽曲等です。
それから、リズムでいうと、マーチ、ワルツ、ボレロ、ポロネーズ等です。
私的には、こちらの分け方の方が、作られた時代に関係なく表現できるので、好きです。
例えば、映画のサウンドトラックがオーケストラによる演奏だったら、交響曲なわけだし、
それにピアノが加われば、ピアノ協奏曲という感じです。
あと、オペラとミュージカルは一緒でいいのかも。
でも、そんな風にカテゴライズされてCDショップに並べられていたら、
分からなくなってしまうから、商業的には難しいでしょうね。(笑)
何だか取り留めのない話になってしまいましたが、何にしても、
カテゴライズの基準になるのは、何がベースになってるかだと思います。
例えば、ロックバンドのバックにアレンジでフルオーケストラが付いていようと、
ロックはロックだし、ロックバンドがジャズ風なアレンジで歌ったとしても、
それはあくまでも“ジャズ風”なわけで。
そして、どうしようもない時、人は新しいカテゴリーを作る・・・ジャズロック!
それはさておき、料理でも同じことが言えるんじゃないでしょうか。
例えば、ハンバーグは洋食ですけど、デミグラスソースの代わりにおろし醤油をかければ、
たちまち和風ハンバーグだし、逆に、(邪道かもしれませんが、)
餅をコンソメスープで煮て具をちょっと変えて、洋風お雑煮なんて言ったりもしますね。
自分で何を言っているのかよく分からなくなってきたので、そろそろ終わります。
私が本当に言いたかったのは、折衷(せっちゅう)というほどではないですけど、
カテゴリーにこだわらずに、その狭間にあるものも結構楽しいんじゃないかな、ということです。
どんな形だろうと、いいものはいいんです。
そうやって、人類は、新たな発見をしてはまたさらに新しいものを求め、
それらを組み合わせてはまた新たな発見をし、楽しんで来たのですね。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
確かにイタリア料理は誤解されている部分がありますね。
自分も昔はスパゲッティといえば、ナポリタン(日本だけのものらしい)
しか知りませんでした。
同様に、フランスでは日本の寿司がとんでもないかたちで提供されているようですが、
食文化のズレは思っている以上に大きいですね。
以前僕の店で出していたのですが、材料をいつも用意しておく大変さにめげ、
メニューから外してしまいました、でも大好きなメニューなので本物を知って頂きたい料理です
この料理で必要な材料は、第一にクルミオイル・バター・ニンニク、そして一番大切なアンチョビです、
これだけは手間を惜しまず是非自作して頂きたい、
もし必要なら作り方を伝授いたしますので一度来店してください、
瞬く間に日本的な洋食に成り下がってしまった現在のイタリア料理
(これは高級と言われる店も大衆的な店も全てに当てはまります)に
僕はとても危機感を抱いております。
こんばんは。
「バーニャカウダ」で検索していたら4年前のこちらの記事?コメント?に辿り着きました。
今の流行りが4年前に盛り上がっていたなんてさすがですね!
返信かなり遅くなり、スミマセン。
確かにソルトには“うどん”のカテゴリーはありませんでしたね。
片手落ちでした。今は変更してあります。
それにしてもカテゴリー分けというのは難しいです。
「和」の食材・手法を使うフレンチレストランもあれば、
「フレンチ」の手法を取り入れる和食の店etc…など、
カテゴリー分けすること自体に無理がありますよね。
「洋食」というのも、何が「洋食」なのか微妙です。
音楽もそうですよね?
「JAZZ」のカテゴリーなのか「ROCK」なのか分からない曲がたくさんあります。
「クラシック音楽」も「洋食」のように何が「クラシック」なのか分かりません。
それなのに、私も他人には「自分はクラシック音楽が好き」などと言っています(笑)
TKさんはどうお考えですか?
今日、浜松市西区大平台にある、
「いりこ家」といううどん屋さんに行ってきました。
比較的太くてコシがある麺で食べ応えがあり、
こういうのも好きだな、と思いました。
天ぷらとまぜご飯のセットで、いずれもうまかった。
機会があったら、皆さんもぜひ。
で、さきほど貴サイトのトップページを見ていて、
カテゴリーに「そば」はあるのに、
「うどん」がないことに気が付きました。
「日本料理」の中にも「うどん」はないですよね?
たまたま?それとも、意図的ですか?
私の知っている陶芸作家は動力を使わず、円盤を手で回すだけで作っているようです。
その作品は陶芸とはいえ、完全にARTの世界です。
学生の頃からずっと同じスタイル・手法で制作され、一貫した姿勢には頭が下がります。
「趣味と実益を兼ねて…」という言葉はこうしたプロの場合、ちょっと当てはまらないですよね。
料理人の世界も同じで、私もソルトの仕事を通じて多くのプロの方と接し、本当に勉強になりました。
TKさんも音楽が「生きがい」ですから、これからもずっと続けて充実した人生を送って下さい。
最近知ったのですが、轆轤(ろくろ)にはすごい歴史があって、
定かではありませんが、紀元前何千年から存在していたそうです。
ご存知でしたか。最初は円盤を手で回すだけのものでしたが、
その後、はずみ車がついて回転を保ちやすくなり、
足で蹴って回すため両手が使える形のものが発明され、
風力や水力を利用するようになり、産業革命の時代には、
蒸気、エンジン、そして電気で動くようになったそうです。
今のろくろは、電気で動いているのでしょうか。
動力源は変わっても、基本原理は変わっていませんね。
とても興味深いです。(“食”と関係ない話題ですみません。)
管理人2様
今日で連休が終わり、明日から仕事が始まります。
連休中は、いろんな場面で好きな音楽が思う存分にできて、
時間のゆとりがあるって何て良いことだろう、
と思うと同時に、自分は本当に音楽が好きなんだな、
と改めて思いました。やはり音楽は私の生きがいです。
趣味と実益を兼ねてらっしゃる方々にとっては、
仕事そのものが生きがいになるのかもしれません。
“生きがい”とまではいかないにしても、
自分の好きなこと、やりたいことがちゃんとあって、
それができるというのは、本当に幸せなことですね。
遅いレスでスミマセン。
趣味と実益を兼ねた仕事ができればホントいいですよね。
知り合いに陶芸を40年も続けている方がいますが、実に羨ましいです。
でも、それなりの苦労をされているようです。(本人だけでなく家族も)
好きな道だからこそ耐えられるのでしょう。
いずれにしても楽をして通る道はありませんよね。