「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

「出雲蕎麦から島根のみそ玉丼の話になりました」

 翌日は、今回の目的地である出雲大社に向かいました。一畑鉄道(画像①)でゆっくりと宍道湖の朝靄を観ながら、出雲大社駅前(画像②)に到着しました。そうそう、この電車は平地にもかかわらずスイッチバック式、室内は最大限木質化(画像③)されていて全国的にも珍しいのだそうです。どちらも鉄道模型ファンとしては嬉しい経験でした。今年の出雲大社(画像④)は、平成の大遷宮よりも世紀のご婚礼へのお祝いで賑わっておりました。お二人が奉納された夫婦兎の像の周辺にカメラマンたちが集まっていましたが、撮影は御遠慮致しました。隣接地にある島根県立古代出雲歴史博物館で、平成12年に出土した本殿の巨大柱を拝見できました。平安時代には、本殿の高さは48m(現在の14階ビル相当)であった模型を目に前にして、遥かな出雲王国がイメージされて興奮してしまいました。実は、昨年1月に岩波新書から「出雲と大和(村井康彦著)」が発行されました。この本で出雲王国に興味を持つようになり、本物を見てみたいと思い、今回、念願がかなったのです。観光客たちの混雑状態の中で、一軒の蕎麦屋で「出雲蕎麦」を昼食にすることができました。満席で席待ちの客が次々という状況でしたので写真撮影はしてありません。後で、拙宅でお土産蕎麦を撮影したのが、釜揚げ蕎麦(画像⑤)です。日本三大蕎麦というのがありまして、ご存じだったでしょうか。この出雲蕎麦と岩手のわんこ蕎麦、そして戸隠蕎麦なんですね。さて、その出雲蕎麦、食された方はおわかりだと思いますが、「割子蕎麦」と「釜揚げ蕎麦」の二種類があります。出雲大社の門前で食べたのは割子蕎麦でした。筒割形の三段の盛られた冷たい蕎麦です。つゆは器に直接かけて、蕎麦はゆっくり噛んで食べます。そのためゆで加減は少し固めです。関東の方には、好まれないようです。また、釜揚げ蕎麦は、釜揚げうどんのように出されます。そのそば湯にダシを入れ薬味をのせて食します。本来は、新蕎麦や初蕎麦の時期に、そばの風味と蕎麦湯を楽しむための食べ方のようですが、こちらも関東の方には評判が悪いようでした。私は、この食べ方にはまったく抵抗がありませんでした。それよりも、蕎麦本来の喉ごしと出汁の味がよくわかって味わい深かったです。
出雲大社からの帰りは、また、一畑電鉄で松江に戻り、お堀巡り船(画像⑥)に乗ることにしたのですが、乗船は16時までという営業時間だったので最終コースになったのですが、中国からのグループが定員オーバー、席を譲って特別に追加していただけることになりましたので、何と、貸切になってしまいました。そのため、通常のガイド以外のお話を伺えました。やはり、隣に境港市があるため大型客船の観光客が増加していて、たいへん忙しいとのことでした。下船後は昨夜と同じ、松江城へ行って学生たちのイベントを観て、屋台(画像⑦)から地ビールと肴(画像⑧)を買って楽しんでおりました。この日は、武家屋敷の中庭は無料開放であったのでお堀周辺を散策してから、本日の居酒屋を探しました。日曜日の夜は営業されていないお店が多く、歩き回って、「おいでやす おおきに屋」(画像⑨)という京のおばんざいと炙串焼きの店に入ることができました。昨夜と同じメニューで、「刺身の盛り合わせ(画像⑩)」「いちじくサラダ(画像⑪)」「串焼きの盛り合わせ(画像⑫)」に地酒を頼みました。「地酒三種(画像⑬)」です、島根の地酒で「出雲誉」「隠岐誉」「不昧公」の三品です。私の持論なのですが、お神酒は元々神様に奉納するお酒です。酒造りの神様は存在しています。ですから、日本国内で、大きなお社のある場所では、優れた日本酒が造られ、高度な技術も引き継がれてきたはずなのです。伊勢神宮、諏訪大社、春日大社、いずれにも銘酒があるように、この出雲には間違いなく銘酒が存在しているのですよ。竹下本店の出雲誉、國暉酒造の不昧公、そして隠岐酒造の隠岐誉、素晴らしい日本酒でした。
 翌日は、午前中のみでしたが、再び、松江城の天守閣に登り、小泉八雲記念館(画像⑭)と小泉八雲旧邸(画像⑮)を見学し、お堀の周りをゆっくりと歩くことができました。ラフカディオ・ハーンという名前と「怪談」を読んだのは中学生の頃だと記憶していますが、この記念館の資料で、松江滞在はわずか一年三か月であった事、彼の身長は約160センチと、当時の日本人の平均よりも低かったことを知りました。また、地元の観光案内所では、直系のひ孫にあたる小泉凡氏が現在、島根県立大学短期大学部の教授として赴任されており、何と奥様は松江の方という事実もわかりました。焼津市民は、よく御存じなのですが、焼津市立図書館の隣に焼津小泉八雲記念館もあって、静岡県とも深い関わりがあったのですね。
 今回の宿泊先は、旅館ではありませんでしたので、いわゆる宍道湖七珍は、いただきませんでした。これは、宍道湖で獲れるスズキ、モロゲエビエビ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミのことで、頭文字から「スモウアシコシ」と呼ばれていると、一畑鉄道のガイドさんがアナウンスされていました。松江からの帰りも岡山駅で駅弁を調達したのですが、お昼の時間帯で、あっという間に売り切れたらしく、島根一文字家の牛肉の「みそ玉丼」(画像⑯)しかありませんでした。奥出雲醸造味噌と地酒のたれが甘辛く、とろとろ玉子とからめると黄身の甘さが加わって、癖になる一品でした。
 松江は、松江城の城下町で、お堀と堀川、宍道湖からなる水の都でした。夜遅くまでの歓楽街はありませんが、老舗のいろいろなショップを廻りながら静かな街を歩くことで、永い文化都市を感じさせてくれました。日本全国の街で、活性化のためにいろいろなイベントを企画・開催されています。浜松もその一都市ですね。以前にも書かせていただきましたが、私は、「浜松っ子」ではありませんので、第三者としての目と耳で他の都市と比較できます。公共の補助金を活用されて単発のイベントを多発されるのも結構ですが、中長期的に街の活性化と文化向上に寄与してきたのでしょうか。毎週末限定でもいいので、一年間、その場所、その商店街へ行けば必ず出会えるイベントをどうして企画されないのでしょうか。もう一つ、いらんこんの意見です。私は、今でも三分の一は関西圏の人間です。言葉や食べ物の嗜好も含めてです。浜松市は合併拡大、政令都市化されて何年経過されたのですか。海外からの住民も増えてますが、国内のいろいろな他県からの住民も増えているはずです。東北も関西もです。ネット環境、アクセス環境も全国レベルで充実してきましたね。味噌・醤油・ソース・出汁・スープのお客側の好き嫌いは、個人の嗜好ですからいいのですが、飲食店側の仕込み・知識として、関東圏から少し広げていただけませんか。これは和食のみでなく、エスニックにもフレンチにもイタリアンにも中華にも当てはまると感じてきました。この「ちりとてちん」は、11年以上続けさせていただいております。今回も、遠州地区に限定できない内容で申し訳ありませんが、すべての食材・飲食店関係者にお願い申し上げます。
画像① 画像② 画像③ 画像④
画像⑤ 画像⑥ 画像⑦ 画像⑧
画像⑨ 画像⑩ 画像⑪ 画像⑫
画像⑬ 画像⑭ 画像⑮ 画像⑯

2014.11.24 清八


38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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