清八でございます。ごぶさたしております。本年もよろしくお願いします。
この「ちりとてちん」を書かせていただいた2003年は、一年に19本書いておりました。その13本目に今回のタイトルで、「飲食業は、清掃業である」と書かせていただきました。当時、浜松市内の読者からのリアクションは無かったようですが、他県で営業されている友人・知人からは「飲食業の基本」だと言われました。ご興味のある方は、バックナンバーで読んでみて下さい。
バックナンバー13「異論・反論・オブジェクション、待ってます?」
今回は牡蠣料理と鰻料理について、客単価と調理内容について
「異論・反論・オブジェクション」です。
正月明けの5日、夕方にSBSテレビで「所さんお届けものです!」の放送があり、昨年12月に白須賀宿と新居宿の名物と宿場町を取材されたとの情報でテレビの前で待ち構えていて観ました。結果、編集の都合という理由からか?白須賀宿では「勝和餅」(柏餅)の現物が紹介されたのに、新居宿では関所内のみで「あと引き製菓」さんは店舗の外観だけで「あと引き煎餅」そのものは登場しませんでした。なぁ~んだ、これだけ?と、がっかりしていたら、舞阪宿へ車で移動、浜名湖牡蠣の養殖が取り上げられていました。牡蠣むき場所で電子レンジ加熱で試食、その感想までは良かったのですが、新名物として「牡蠣カバ丼」が紹介されました。牡蠣の新メニュー化、鰻の高騰化による鰻屋さんの新メニューとして、2010年頃から浜名湖周辺の飲食店メニューに加えられた事は、ご存じだと思います。だから、養殖牡蠣からの流れで新メニュー紹介という流れは不自然ではありません。しかしながら、「舞阪宿」のテロップのまま、老舗鰻店での牡蠣カバ丼を試食シーンに移りました。「舞阪宿」のテロップのままです。今でも同番組のサイト内には「舞阪宿」の牡蠣カバ丼となっています。実は、このお店は舞阪町内をいくら探してもありません。確かに浜松市内ですが、舘山寺にあるお店です。
次に、浜松宿に移りました。浜松宿名物「鰻」が紹介さたのですが、ここでも宿場からかなり離れた老舗の鰻屋さんでした。しかも普段このお店にはないメニューが新メニューとして紹介されたのです。合併して浜松市は広くなったし、番組のタイトルに「老舗の新名物を探る東海道53次の旅」となっているので、否定はできません。下請けの番組制作会社の独自のお考えによる編集でしょうが、???の視聴時間でした。ここまで正月明けのどうでもいい愚痴を書きまして、すんません。
私は、もうすぐ戸籍年齢66歳になるのですが、浜名湖の牡蠣は60年以上食しております。子供の頃、牡蠣をむいている小屋に行くと、そのまま生で二、三個口に入れてくれました。「生食用」ではないと知ったのは、高校生になってからでした。 家では焼き牡蠣、牡蠣鍋、牡蠣の天ぷら、その天ぷらを使った天丼、お酒を飲むようになってからは、牡蠣フライ(画像①)、酢牡蛎、キムチ牡蠣、牡蠣グラタン、牡蠣飯などいただいてきました。浜松市内の居酒屋さんでも20年位前までは酢牡蛎やキムチ牡蠣といったメニューがあって(浜名湖産であったのかどうかは、わかりませんが…)定番の肴になっていた記憶があります。ところが、和、洋、中、フレンチ、居酒屋、殆どの店で当たったお客様がいて、それから浜松市内から牡蠣フライ以外の牡蠣メニューが一斉に消えたようです。うちは奥様と二人で牡蠣大好き人間なので、夏でもふるさと納税で北海道や東北から缶一杯を取り寄せたり、東京都内で焼きガキ食べ放題の店が出店した頃は、店長さんが「大丈夫ですか?」と心配された程、お代わりした事もありました。
牡蠣フライ(画像①)
ところで、あの「牡蠣カバ丼」ですが、登場した頃は1300円+αだったのですが、今シーズンは1700円+αの価格になっていました。今シーズンの浜名湖牡蠣の収穫は、平年の1/3とも1/4とも伝わってきます。「ぶり丸」という新居町のブランド牡蠣ですが、粒がそろわないようです。其の為、天ぷらや牡蠣鍋、ガーリックバター炒め(画像②)、味噌煮にするとさらに小さくなってしまって困っているようです。私の独断と偏見による意見なのですが、牡蠣カバ丼の1800円の客単価は見直していただけませんか。浜名湖丼研究会メンバーの開発・販売・普及に費やされたご苦労は十分理解しているのですが、東北や伊勢、関西での牡蠣を使った丼はこの価格まで至っておりません。いろいろな付加価値をつけられてお客様にご満足していただくためのレシピも盛り合わせ、セット等もわかりますが、ビール飲んで2500円って、ついこの間、鰻が高騰後、鰻丼とビールで2500円になった頃を思い出します。
浜名湖牡蠣のガーリックバター炒め(画像②)
東海道五十三次の時代、「鰻蒲焼」は新居宿の名物であったことを御存知でしょうか。舞阪宿は「魚料理」、浜松宿は「鯉鮒料理」でした。私は、復元された現在の新居関所・大御門の道路を隔てた南側にあった家で生れ、小学四年生まで暮らしておりました。家のすぐ裏に、その町内で唯一の井戸があって、我が家がその管理をしていたようです。隣家が酒屋さんでお店の裏で「角打ち」をされていて、相撲中継や野球中継のテレビを見ながら、漁師さんたちが飲んだり食べたり楽しんでおられました。鰹、鯖、鯵、鯛、太刀魚、ぼらなどが取れると一本持ってきては、その井戸で捌いて井戸代として「アラ」をいただけました。時には、鰹の節をいただけました。当時は、天然鰻(画像③)の漁師さんも多く、取れた時には、この井戸で捌いて「肝」や「頭」「尻尾」を井戸代として置いていかれました。「はいっ、口あけて…」って言われて「生肝」を薬食いさせられた記憶もあります。養鰻業が盛んになって養鰻池が増設された頃なので、養殖鰻も魚屋さんに置かれるようになるのですが、池から逃げた鰻や出荷できないサイズ、品質の鰻も大量に出回っていました。わざわざ鰻屋さんに食べに行かなくても、普通に家庭で食べられたのです。
天然鰻(画像③)
新居町内だけだと思うのですが、「鰻の蒲焼」は「鰻の蒲煮」(画像④)でした。一般家庭にあったアルマイトの鍋で白焼きの鰻を醤油・砂糖・味醂など各家庭の調合で煮ました。三代前からの「蒲焼のたれ」は存在しませんでした。当時の漁師町に嫁入りされた女性は、この「鰻の蒲煮」「たれ」を習われたようです。「鰻の白焼き」は酒の肴でした。粉わさびやチューブのわさびが流通する前は、にんにく醤油で食しておりました。
「鰻の蒲焼」は「鰻の蒲煮」でした。(画像④)
1970から80年代だったと思いますが、当時、お中元・お歳暮に鰻というと、9本とか12本入りの白焼きが木箱に入れられておりました。毎年でもありませんが、いただいたものの三日間鰻(白焼き、蒲煮、混ぜご飯など)が続いて、「勘弁して…」という今では信じられない嬉しい悲鳴をあげていた記憶がかすかにあります。20代前半から大阪の演芸場や東京の寄席、演芸場に通うようになって、大阪や東京都内には「鰻屋」さんだけでなく「居酒屋」さんのメニューに鰻があることを知りました。当然、酒の肴ですから、一本とか姿焼きではなく、「頭」「胴」「尻尾」などの部位単位、串焼き、肝焼き、八幡巻、鰻巻き、半助料理、うざく、〆の「たれ丼」などなど。当時の浜松市内の鰻屋さん、居酒屋さんには殆ど無かったです。関西出身のママさんの居酒屋さんで裏メニューとして頼んでいた記憶があります。
まだ、浜松市内に多くの百貨店が乱立していた頃、それぞれで「全国うまいもの会」とか「大阪うまいもの会」「京都うまいもの会」がありましたな。私、関西の食べ物が好きでございますから、閉店間際とか最終日に行きましたね。「鯖の押し鮨」「鰻の八幡巻」「鰻巻き」、浜松の方には人気がなかったようで、よう売れ残ってて半額で買っておりました。
さて、ここからが私の独断と偏見による意見なのです。鰻の捌き方に関東風と関西風があります。蒸しの有り、無しがあります。醤油も味醂、砂糖の使い方に関東・関西の違いがあります。元々、白焼きは山葵や粉山椒ではなく実山椒で食されていたのですが、いつの間にかマイナーな食し方になっています。調理方法、食し方、好みはいろいろですから、どちらでもかまわないのですが、「喰わず嫌い」から脱しませんか。
浜松市内の人口が増えました。関西からの転入者も増えました。学生時代、関西で生活された方も増えました。仕事の都合で、関西で生活されていた方も増えてます。いろいろな好みの方が生活されています。食材や調味料、レシピを選べる時代になっています。それらを入手できる時代になっています。鰻が高騰し始めてから、関係者の方々がいろいろ算段されて、蒲焼のたれを利用、他の食材で「○○蒲焼丼」を考案され、商品化されましたね。拍手!拍手です!お疲れさんです。でも、私の浅学な見聞きの範囲では、鰻の頭から尻尾まで部位による提供、串焼き料理は登場しなかったし、居酒屋での〆に「たれ丼」も登場してなかったと思います。
養殖鰻による適正なサイズにこだわられる理由は十分理解できるのですが、お金を出して食するお客側のニーズとして、どうなのでしょうか。もう、かなり前から関西、特に大阪では給料日前は、頭と尻尾、たれ丼で辛抱して、給料日には肝吸い付きの一本鰻を味わうという庶民の習慣が存在しておりました。標準価格、標準の量に統一される理由も十分理解できますが、もう少し変化されてもいいのではないでしょうか。駅のテナントビル内、駅の周辺で鰻の串焼き、頭とか尻尾の一品で一杯の店とか、スタンド店、浜松っ子向けでなくても、転勤族、出張族の方々相手に対応されてはいかがなものでしょうか。
決して、これまでの養殖鰻文化を汚す行動では無いと思います。
2020.1.25 清八