清八でございます。
テレビのバラエティ番組で、若い女性タレントや一人暮らしのOLさんたちに料理をさせて、男性や料理スタッフ側が感想を言ったり、順位をつけるというシーンがありますね。調理シーンを見ながら「肉じゃがに、三合のお酒じゃ酔っ払っちゃうよ」とか「どうして、
麻婆豆腐に赤ピーマンやニンジンが入っているの」とか「鯛茶漬けの鯛は煮ないで」とか「いくらレアが好きだと言っても、トンカツの肉は勘弁して」いろいろなコメントと共に笑いものにされて番組が進行していきますね。当然、出演者はギャラなり、謝礼を受け取っていますから笑いものにされてもかまわないのですが、現実はどうなんでしょうか。
若くない女性タレント、一人暮らしでないOLさん、当然、男性も含めて想像してみて下さい。「落としぶたってどんな豚肉なんですか」「びっくり水ってどこで売っているんですか」「酢水って酢と水は半々なんですか」料理教室でも料理本の出版社にも、こんな質問が増えてきて説明するようになっているんだそうです。日本の伝統料理が敬遠されてきたり、まな板、包丁の無い家庭が増えたり、当然、子供に手伝わせる機会も減ってきているために、切り方・煮方・調理法などの料理用語が伝えられていない?状況が拡大していくのだそうでござります。以前にも書かせていただきましたが、「料理の鉄人」というグルメ番組があり、現在「どっちの料理ショー」がありますね。キャビアとフォアグラ、トリュフを使いまくっていましたよね。調理人もお客も今まで味わったり、想定できなかった素材・調理法に気付いて、より豊かな食生活へと変化できたきっかけとなれば、結構でした。もちろん、一部の方は、その方向に向かわれたんでしょうが、残りの一部の方はどうだったのでしょうか。ファーストフードからスローフードへという呼びかけがありましたが、どうなってしまったのでしょうか。
このコラム掲載時に自己紹介をさせていただきましたが、実は、合併協議会入りを拒否している新居町に生まれ、現在でも暮らしています。子供の頃、実家の両隣は酒屋と洋食堂、町内には駄菓子屋、うどん屋、寿司屋、アイスキャンデー屋、魚屋、八百屋、乾物屋、
肉屋、総菜屋が立ち並んでいて、ある意味での大都会でした。実家の裏には井戸があって、天然鰻の漁師さんがさばいていて、生の肝を食べさせられたものでした。料亭もフレンチもイタリアンも無かったけれど、常に新鮮で手作りの食べ物があふれていました。おっと、こんな想い出話は、どうでもいいことなんですね。二十代の頃、自己紹介のついでに、「実は、私の愛読書は、『暮しの手帖』です」と言うと、同性からも異性からも、変わってるね、と言われました。現在、蔵書棚には、78年2月からのバックナンバーが揃っています。今でも継続して愛読しています。個人的な事なんですが、二十代半ば頃に突然洗濯・炊事をする生活になったり、オートキャンプにはまったりと、料理する機会が増えたのです。その時にテキスト代わりになったのが、「暮しの手帖」の料理・食べ物欄でした。
大阪・ロイヤルホテルの「家庭料理」のレシピと出来上がり写真、吉兆・ご主人のエッセイが毎号楽しみであり、疑似体験ですがたくさん勉強させていただきました。この年齢になって京都・大阪の料亭やレストランに一見で立ち寄っても、違和感が無いのは、たぶん誌上体験を続けてきたことによると自分勝手に思い込んでいます。料理に関する愛読書はもうひとつあります。86年から93年にかけて農文協から出版された「日本の食生活全集・全50巻」です。これは、当時の農文協さんの方針で、世代交代によって伝えられなくなってしまった大正から昭和初期の日本全国の家庭料理を現地のおばあちゃん達に聞き書きする形で、レシピと和食文化を残していこう、という事業でした。町内で個人として全巻予約したのは私ひとりであったためか、当時の編集者が取材に来られました。「何か、研究されているのか、料理関係者ですか」という質問でした。私が全巻定期購読して読破できたのは、大正末期・昭和初期に国内自給で約1000種類の食材があり、さまざまな調理法で作られ、食べられていたという事実を知って、はまってしまったからなのです。わかっておられる料理関係者は、「季節感と食材の豊かさでは日本の料理が一番」だといいます。そして「その切り方や調理法は、野菜をはじめ食材の個性を生かして使いきり、おいしく食べる知恵に満ちている」とも。
2004.4.13 |