「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2024年、アフターコロナのエトセトラを報告?します 5月篇」

 

 清八でございます。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。それでは、5月分を報告させていただきます。本果寺寄席のご報告もあります。

 

■柏井壽著「祇園白川小堀商店 レシピ買います」
新潮文庫(2018.10.1)中古本

 京都市生まれで歯科医院を営むかたわら、京都のカリスマ案内人として小説、エッセイを執筆されている筆者によりグルメ小説。祇園の名店「和食ZEN」の奥にある「小堀商店」では、食通として名高い百貨店相談役、小堀善次郎の命を受け、とびきりのレシピを買い取るため情報収集に努めている、という展開が続きます。第一話「鱧の源平焼」第二話「小袖くずし」第三話「焼き肉のすすぎタレ」第四話「松茸の土瓶蒸し」第五話「オムライス」第六話「ひと口おでん」でした。

 85~162頁の「小袖くずし」には、浜松の「花の舞」と静岡の「高砂」が登場してました。江戸前握り寿司と関西の押し寿司とも異なるレシピでした。「‥ここで巻すき簾をしっかりと巻くと、ふつうの小袖寿司になりますが、小袖くずしは指先から力を抜いて緩めに巻いてゆきます。かと言うて緩すぎるとすぐにほどけてしまいますんで、力の入れ加減が命です。最初はほんまにふんわりです。それから向きを変えて、もう一回巻きます。このときは、さっきより少し、ほんまに少しだけ力を入れます。けど、あくまで基本はふんわりなんです。……その日のシャリの硬さ加減、酢の調合によって微妙に力の入れ加減を変えんならんのが、小袖くずしの難点やけど、せやさかい真似しにくいとも言えます。ときによってはもう一回向きを変えて巻きなおすこともあります。今日はこれでちょうどやと思います。……」巻き簾をほどいてから四つに切り、「‥これを今度は指先で、形を整えながら握り直します。江戸前握りの小手返しでは、たいてい最後に脇を締めるのですが、それに似てると思うてます」

 イメージできますか?これは、食してみたいですね。(画像①)

 


(画像①祇園白川小堀商店)

 

■柏井壽著「祇園白川小堀商店 いのちのレシピ」
新潮文庫(2020.9.1)中古本

 「祇園小堀商店」グルメ小説の第二弾でした。第一話「うどんカレー」第二話「鯖飯茶漬け」第三話「明石焼き」第四話「まる蕎麦」第五話「もみじ揚げ」第六話「南蛮利久鍋」でした。

 216~291頁の「まる蕎麦」、「まる」は「すっぽん」かな?と思ったら、やはりそうでした。「‥コンロには鉄鍋が掛かっていて、ごま油の匂いが立ち上がっている。天ぷらを揚げるようだ。ボウルのなかから、小さなお玉で天だねを掬いとり、油のなかにそっと落とす。少し間を置いて、三度それを繰り返す。かき揚げに違いない。菜箸で形を整えながら揚げる手付きは、熟練の割烹料理人そのものだ。外側は黒漆、内側は朱漆に塗り分けられた、大ぶりの木椀に蕎麦を盛る。最近の蕎麦屋の蕎麦はしごく控えめな量だが、たっぷりでなんとも嬉しい。つゆが入っている鍋は煮立つ寸前だろうか。なんとも言えない芳しい香りが鼻をしすぐり、いやが上にも食欲が刺激される。葛粉を水で溶き、鍋に流し入れる。餡かけなのだ。とろみの付いた蕎麦つゆをたっぷりと木椀の蕎麦に注ぐ。そこへ揚げたてのかき揚げを載せると、じゅーっと音が上り、蕎麦つゆがあぶく立つ。おろしショウガを天盛りにして<まる蕎麦>ができあがったようだ。‥」

 これが、どうして「まる」になるのか?刻んだすっぽんと刻みしょうがを具にして揚げた、かき揚げでした。(画像②)

 


(画像②祇園白川小堀商店)

 

 

■垣谷美雨著「女たちの避難所」
新潮文庫(2020.4.15) 中古本

 2011年3月11日の東日本大震災の後、避難所生活を体験する女性達を三人の女性の視点から描いた小説です。描かれている都市はフィクションですが、当時の記録に基づいたドキュメンタリーで、今年1月1日に発生した能登半島地震の避難所生活の報道などから、再度、取り上げられた名著です。

 243~244頁「‥食事作りは想像以上に重労働だった。自宅で家族のご飯を作るのとは訳が違う。朝は暗いうちから起きて二百人分の朝食と、外へ働きに行く人の弁当を作る。朝食を片づけたと思ったら、すぐに昼食作りの時間が来る。昼食が終わったら夕食作りだ。調理室には自家発電機がなかったので、暗くなる前に夕食を作り終えなくてはならない。だから午後四時には配れるようにした。その後は片付けと明日の朝食の下ごしらえだ。つまり、早朝から夜間まで調理室に缶詰になって働かなければならなかった。…」

 247~248頁「‥未曾有の大災害が起きたというのに、いまだに『両親と子供二人の四人家族』という昔ながらの平均家庭を基準にしているらしい。夫が働きに出て家計を維持し、妻は家庭内で『家事』という無償のケア労働をするのが『普通』とされている。そうなると、女の仕事は軽く見られる。あるときは神聖な仕事と持ち上げられ、あるときは誰でもできるつまらない仕事と貶めるのは男たちの常套手段だ。高齢の女たちは、長年の間に、男たちのずるい考えに染まってしまっていた。…」

 具体的な当時の記録、オブラートに包んだような表現だが、避難所の人間模様、考えさせられる内容でした。(画像③)

 


(画像③女たちの避難所)

 

 

■堀部篤史著「街を変える小さな店」
京阪神エルマガジン(2013.11.20) 中古本

 街の本屋さん、大型書店も含めて減少しております。オンラインショップやインターネットの影響と言われだしてから久しいのですが、特徴のある個人店が生き延びているのも事実です。京都、京阪電車の終点の出町柳駅、そこから叡山電車に乗り換えて3駅にある一乗寺という街にある「恵文社一乗寺店」という書店の店長さんが書かれた「個人店に学ぶこれからの商いのかたち」でした。新刊本、古書、洋書、自費出版物まで取扱い、レンタルギャラリー、生活雑貨フロアを併設しているから純粋に書店ではないのかもしれない。2002年に店長になった頃から新しい「棚づくり」に取り掛かる。「文庫やハードカバー、絵本やアートブックを混在させ、あいうえお順などのインデックスは使用しない。」「『料理書』『文庫本』のような便宜上の分類をほぼ解体させ、独自のテーマで並べる陳列法を各コーナーに応用する。」今では、かなりの個人店ではこのような「棚づくり」に変えられていると思います。

 51頁、第1章のまとめにこう書かれていました。「‥僕の仕事は本を中心としたさまざまな文化を、雑誌のように編集することなのだと、最近になって思う。本を中心にあれば、どんなことに挑戦しても恵文社らしさは表現できるはずだ。編集の仕事は店の中をはみ出し、街にまで広がりはじめている。そこに立つ人間が切り盛りする小さな店が生き残るためには、商品やサービスの工夫だけでは限界がある。業種を超えて、街に学び、街と共に生きることにこそ、本屋をはじめとする、小さな店の未来があるはずだ。」

 私も戸籍年齢70歳になったので、自慢します。私は52年間ほど、料理本・演劇本・映画本・芸能本、寄席落語本、岩波新書本など新刊と古書を購入して読み続けて1万冊を超え、すべて断捨離しないで拙宅で保管し続けております。ネット社会でなかった時代は、浜松市内、豊橋市内、名古屋市内、京都・大阪、東京の古書店に定期的に通い、ネット社会以降は、北海道から沖縄までの古書店で見つけて購入、読んでおります。コロナ禍から、この「ちりとてちん」で毎月、先月内に入手して読んだ本を取り上げております。食・食べること・飲むこと・調理すること・食材などに限定しておりますが、毎月、自己満足の内容で申し訳ありません。(画像④)

 


(画像④街を変える小さな)

 

 

■「暮しの手帖 第30号」
暮しの手帖社(2024.5.25)新刊本

 高校二年生、約53年前からの定期愛読書の最新号です。ちなみにバックナンバーは、1987年から保管し続けております。

 18~25頁は、「大原千鶴さんの夏をしのぐおばんざい」でした。「しば漬け豆腐丼」「柔らか豚しゃぶとみょうがの白和え」「きゅうりとなすのあんかけ汁」「ズッキーニとお揚げさんの炊いたん」「トマトすき焼き」「焼き穴子とピーマンの玉子とじ丼」「きゅうりとオクラの冷製おすまし」。冒頭の大原千鶴さんのお言葉より「‥夏は特に、台所と食材を清潔に保つことが大事。魚はごみの収集日を考えて買い求め、市販の総菜も上手に使います。あまり作りおきはせず、器の中で完成するフレッシュな料理が、夏の体には合っていると思います。もう、拍手!拍手!でした。

 104頁の「暮らしのヒント集」から、「気になる映画は、映画館で見てみませんか。大きな画面と音に没頭しての鑑賞、見終わったあとの充実感は、映画館ならではの体験です。」そのとおりです。私は、もう自分の意思で約50年以上、映画館で観続けております。(画像⑤)

 

 


(画像⑤暮しの手帖)

 

そして、「ちりとてちん 別冊」に掲載していただいた「第99回本果寺寄席 八代目柳亭小燕枝の会」を開催出来ました。定員78席に対して、83名のお客様、前回に続いて「大入り袋」を用意出来ました。当日の演目は、喜六家清八「つる」、柳亭小燕枝「千早ふる」「試し酒」。途中、静岡県知事選挙投票の屋外放送が流れましたが、殆ど影響なく、大団円でした。ありがとうございました。(画像⑥、⑦、⑧)当日、お客様にお配りしてた「清八のひとりごと」を再掲させていただきます。

 

 


(画像⑥第99回本果寺寄席)

 


(画像⑦柳亭小燕枝)

 


(画像⑧)

 

 

 さて、私と柳亭小燕枝師匠とのお付き合いは、2013年1月14日、クリエート浜松・和室で開催された「祝・二ツ目昇進 柳亭市弥独演会」でのお手伝いでした。当日、会場の仕込み、バラシ、出囃子のCD担当をしたのですが、何と、浜松駅から会場まで、偶然、私の2メートル先を歩かれていました。途中でお声をかけて、会場までご案内しました。

 当日、決して入りは良くなかったので、終演後の打上げは社債のエンボスさんの事務所内でした。そこで酔っぱらっている間に、当時のエンボスの社長、小山さんから本果寺での開催を強く薦められ、その場からお寺に電話して、3月30日の会場依頼をしておりました。これが、第一回目の発端なんです。当時、私は若手の噺家さんに定期的に来演していただいて、真打昇進に至る成長をお客様と一緒に経験したいと考えていましたので、定期的にお声をかけて、これまで実現出来ました。一昨年9月には、帝国ホテルでの「真打昇進披露パーティ」に呼んでいただけました。

 本果寺寄席は、1982年10月30日の「新窓・愛橋・楽輔三人会」から今年11月24日に予定している「瀧川鯉昇・鯉三郎親子会」で42年間、100回目となります。コロナと台風で3回の中止はありましたが、ここまでの来演者は45名、延べ327席を聴いていただけました。本当に、ありがたいことでございます。

 


2024.6.24 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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