清八でございます。お暑うございます。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。
それでは、6月分を報告させていただきます。外出先での学習報告も加えました。
■「ホームライフ取材班編 キレイに見える食べ方図鑑」青春出版社
(2017.11.5)中古本
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現物を豊橋まちなか図書館で発見、古書店で見つけて購入出来ました。書名は「キレイに……」だけど、目次では「キレイに見える……」「カッコいい……」「スマートに見える……」「粋に見える……」「育ちが良く見える……」「モテる……」「恥をかかない……」「一目置かれる……」「みっともない……」に分かれていました。
34頁の「ソースがアートのような美しい料理の食べ方」では、「左手前から料理をひと口大に切って、近くのソースをからめて食べます。手前のソースがなくなったら、カッコいい食べ方を見せるチャンス。切り取った料理をフォークに刺して、皿につけたまま奥のほうに動かし、ソースをからめます。このとき、模様を少しずつ崩していくように気をつけます。」
48年前に、初めてホテルオークやターバンさんでフランス料理をいただいた時に、教えていただいたと思いますが、全く実践してきませんでした。146頁の「チーズフォンデュの白い眼で見られない食べ方」では、「恥をかかないためのポイントの一つは、具材を串にしっかり刺すこと。本場のスイスでは具材を鍋のなかに落としたら、何らかの『罰ゲーム』が課せられます。ふたつ目のポイントが、具材を皿の上まで持ってくること。フォークで串からはずして食べます」ご存じでしたでしょうか?
198~199頁の「立食パーティでヒンシュクを買う食べ方」では、「ほかの人の分まで料理をするのは、周りの人に非常に迷惑です。料理を取ったら、すみやかにメインテーブルを離れるようにします。」(画像①)
(画像①キレイに見える食べ方図鑑)
■「茂出木心護著 洋食や たいめいけん よもやま噺」角川ソフィア文庫
(2014.2.25)中古本
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1978年6月にお亡くなりになられた、日本橋「たいめいけん」の初代オーナーシェフ、茂出木心護が1977年に刊行された「たいめいけん よもやま噺」の文庫本です。明治生まれの老舗洋食料理人の生き方、修行時代、人気メニューの誕生などなど読み物としても楽しませていただけました。
52~54頁の「昔の出前にはサービス精神がこもっていたもんです」には、「…うなぎ屋さんは、蒲焼きの出前がさめるとまずくなるというので、重箱の中に入るような銅の湯たんぽを作って熱湯を入れ、その上に蒲焼きをのせて、さめないように工夫したもんです。あのころは、いかにお客さまにおいしく召し上がっていただくか、というサービス精神が、出前にこもっていました。」
86~88頁の「若い衆によく言うんです。『同じところを三度掃け』って」には、「…お昼の忙しいひとときが終わって、台の上のものを片づけて料理場をほうきで掃くわけなんですが、明治生まれのあたしには、若い衆の掃き方が気に入らない。『同じところを三度掃け』ってよく言いきかせるんですが、若い衆の中には、『三度掃けって言っても、もうごみはありませんよ』なんて言う者もいます。あたしが『そこを掃くのが料理人だ。あの店はいつ行ってもきれいだ、とお客さまに思われることが繁盛のコツだぞ。お前はほんとうに掃き方が下手だな』って説教したら、若い衆は憮然として、『ぼくの家は電気掃除機で、ほうきなんか使ったことはありません』と答えましたよ。」(画像②)
「飲食業は、清掃業である。」いつの間にか「死語」になってしまいましたね。
(画像②たいめいけん よもやま噺)
■「秋山十三子・大村しげ・平山千鶴著 おばんざい 京の台所 春と夏」
河出文庫(2020.6.20)中古本
■「秋山十三子・大村しげ・平山千鶴著 おばんざい 京の台所 秋と冬」
河出文庫(2020.6.20)中古本
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1960年代に刊行された「おばんざい」を全国区に広めた名著の文庫版が発行されていました。1924年に京都・祇園の造り酒屋に生まれた秋山十三子、1918年に京都・祇園の商家に生まれた大村しげ、そして1919年に彦根の医者の家に生まれ、京都・中京で育った平山千鶴、各家での日々のおばんざいを軸にして、行事、季節の料理、お菓子など「春と秋」で60篇、「秋と冬」で66篇、大正・昭和の京都の家庭料理、食文化の貴重な記録だと思います。
「春と夏」の174~176頁の「うなぎ」、「…このうなぎの蒲焼きにした頭だけ落としたものを、どういうわけか半助といい、おとふとたいたり、そのまま首の身をしゃぶったりして、けっこうオツなものであった。この半助をひろうてきて、ねずみ取りのえさにすると、ようかかることー-。おなかのへったとき、うなぎやはんの前を通ると、その匂いは体にしみわたるから、さぞかしこたえられないのだろう。…」
私は、江戸時代の新居関所の敷地内で生まれ、小学四年生までその家で暮らしておりました。家の裏に町内の井戸があり、その管理をしていたようです。隣家が酒屋さんで、角打ちをしていました。お客さんは漁師の方が多かったようですが、天然鰻の漁師さんも立ち寄られました。そして、この井戸端で捌いてから近くの魚屋さんや料理屋さんに卸していたようです。この井戸を使ったお礼?として、我が家に捌いた鰻か肝か、この半助を置いていかれるのです。実家では男兄弟四人で祖母を含めて七人家族、この半助も貴重な食材でした。しかも実家の父母は20代の頃は愛知県で生活していたので、この半助に抵抗はなく、甘辛く煮てくれて、しゃぶっていた記憶があります。
「秋と冬」の56~58頁の「だしまき」、「…だしまきは、たまごとおだしとの割合がむつかしいて、あんまりゆるすぎても巻きにくいし、固いとまた味が悪い。卵四個に、おだしは金じゃくしに二杯あまり、いまの勘定になおすと、七、八十ccになるそうな。薄口のおしたじで味をつけて、京都では、だしまきにお砂糖はつかわない。…だしまきは、心を巻きますのや、と、だれびがいうてはった。よそ見をせんように、一心に巻くということやろう。侮っていたら、卵のほうが、いうこときいてくれしまへん、とも。玄人さんでもこれやから、しろうとは、よけいにむつかしい。」私が20代、30代の頃、頻繁に通っていたお店の一つが、浜松市中区田町の居酒屋「安曇野」さんでした。毎年年末には、お歳暮をいただくほど通っておりました。カウンター席のみで、京都出身のお母さんがおひとりでやられていました。私も奥様も京都が大好きで、それぞれ独身時代から通っていましたので、この居酒屋の「だしまき」が大好きで、必ず頼んでいました。この書籍に書かれていた京都の「だしまき」だったからです。(画像③)
(画像③おばんざい 京の台所)
■「空えぐみ 沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる4-6」新潮社
(2022.1.15/2022.6.15/2023.1.15)中古漫画本
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東京から沖縄の高校に転校した中村くんが同級生の喜屋武さんに好意を寄せているが、彼女の話す「うちなーぐち」が理解できず、同級生やおじぃ、おばぁに助けられ異文化恋愛、というストーリー展開のコミックなんです。
第4巻の35話「あちこーこー島豆腐」。沖縄伝統の固くて重くほんのり塩味の「島豆腐」は冷蔵ではないため、スーパーに届けられる時は「ふちこーこー」の状態で売られる。「あつあつだよー」という状態なんです。この島豆腐が「ゆし豆腐そば」「ゆし豆腐」「豆腐チャンプルー」と、いろいろな展開されていきます。伝統豆腐といえば、ピーナッツの入った「じーまみー豆腐」、ビールの肴にもデザートにも使えて、たいへん便利なんですよ。大好きです。
第5巻の45話「うちなーてんぷら」。沖縄てんぷらは、フリッターに近く衣が厚く味がついています。「魚天ぷら」「イカ天ぷら」「もずく天ぷら」など、ご飯のオカズよりは、スナック、三時のおやつ感覚で食べられています。もちろん、ビールの肴としても最適で、大好きです。
第6巻の56話「Aランチ」。沖縄には定食屋さんがたくさん、たくさんあります。あります。学生食堂の「豚汁ライス」のイメージですが、沖縄の味噌汁は野菜・豆腐たっぷりで、しかも丼で提供されます。ライスは、当然、丼で提供されます。「おかず定食」というのもあります。その日のおすすめおかずの定食と理解して下さい。「ちりとてちんNO.10」に書かせていただきましたが、20年前の沖縄食堂では、豆腐チャンプルー、ポークたまご、天ぷら、とんかつ、ハンバーグ、など「おかず」単品で頼んでも、丼飯と味噌汁がついてきました。ですから、東京・大阪からの学生さんたちが卒業旅行でグループで入店、それぞれが単品とご飯・味噌汁を頼んだら、ご飯と味噌汁は各二つずつテーブルに並べられてしまって困った、というエピソードが伝えられております。(画像④)
(画像④沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる)
■「枝元なほみ著 かくし味は旅を少々」スイッチ・パブリッシング
(2010.1.5)中古本
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劇団・転生劇場で役者をしながら東京都中野区の無国籍レストラン「カルマ」でシェフとして勤務した後、料理研究家として活躍されている枝元さんが、「天然生活」に2005年8月号から2009年2月号まで掲載された海外レポートでした。
北京、カッパドキア、ビエンチャン、松江市、ベナレス、ホーチミン、ルアン・パバーン、バルセロナ、福井県三国町、モントリオール、パリ、マンハッタン、ワルシャワ、ニューヨーク、カトマンズ、富山市、アムステルダム、アラスカ、など20か国の路地店や家庭料理の紹介文でした。写真付きのレシピ20点、レシピのみ10点が掲載されています。ベトナム・スィーツの「チュー」とか、カンボジア風お好み焼き、アフガニスタンサラダ、トルコ風ピザ、タイ風カオソーイなどなど、珍しいレシピでした。(画像⑤)
(画像⑤かくし味は旅を少々)
■「村井弦斎作 食道楽 上・下」岩波文庫
(2014.1.15)中古本
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この二冊は、昨年、古書店で購入したのですが、二冊で1000頁以上あった為、積読になっていました。6月11日、豊橋まちなか図書館内で新城・戸田工務店の戸田幸志取締役の「古民家再生、海外への移築」のお話を伺いました。その図書館二階で「食育の父村井弦斎展」が開催されていて見学、帰宅してから目を通しました。村井弦斎は、豊橋市出身(吉田藩の武家の子)の明治・大正時代のジャーナリスト、小説家で、1872年父の考えで、当時9歳の弦斎に「洋学」を学ばせるために一家で上京しています。現・東京外国語大学に入学、中退後にアメリカに渡り英語を学び、帰国後、現・早稲田大学に入学して文学の道に進み、著述家として活動、1903年(明治36年)1月から12月まで、報知新聞に連載され、後に単行本として刊行、空前の大へポストセラーとなっていた書籍だとわかりました。しかも、この岩波文庫版は約100年ぶりの刊行だったそうです。この二冊の内容は、明治36年当時の和洋六百数十種の料理レシピとそれらの食し方、「日用食品分析表」「西洋食器類価格表」「西洋食品価格表」「米料理百種」「パン料理五十種」「病人の食物調理法」「戦地の食物衛生」「料理法索引」「台所の手帳」も収録されているのです。とうぜん、当時は写真も挿絵もありません。しかしながら、読んでいくうちにそれぞれの料理がイメージ出来るようになります。
上巻の96~99頁「第三十一 牡蠣料理」には、『…牡蠣料理中第一等の美味いものでオイスターソースという。本式にすれば水一杯と牛乳一杯とクリーム一杯とを鍋の中で沸かして塩と胡椒とバターとを入れて米利堅粉を水で溶いてそれへ入れてかけ汁を拵える。それから牡蠣を外の鍋に並べてテンピかカステラ鍋の中へ入れて熱い火で十分間焼て牡蠣から出た汁を前のかけ汁と交ぜて焼た牡蠣へかけるのだ』『…そのクリームとは何だ』『牛乳の濃いのさ、全体なら牛乳を平たい皿へ入れて一晩ばかりおいて上の凝結を取るのだが、食品屋へ行くと罐詰にして売っているよ。…』
下巻の194~198頁「第二百五十 牛の尾」には、『…尾の骨の節から長さ一寸ずつに截らなければなりません。細い処は上から節が見えますけれども肉の厚い太い所はどの辺が節だか慣れないとよく分かりません。何でも上から指でよく押してみてこの辺が節だと思う処を肉切包丁で截りますと節の処から楽に截れますが節でない処を截るとなかなか離れません。こうして截れたら骨の付いたまま水から四時間ほど湯煮ます。別の鍋へ例の通りバターを溶かしてメリケン粉を焦げるようによくいためてまた玉葱の刻んだのを一つその中でいためて狐色にして今湯煮た汁を一合と赤葡萄酒を一合注して塩胡椒で味をつけて、湯煮た尾を入れてまた一時間ほども弱い火で煮ます。…』どうでしょうか。なかなかの見事な文章力だと思います。(画像⑥)
(画像⑥食道楽)
6月20日、磐田市下野部の(株)ロック・フィールド静岡ファクトリーさんの社員食堂で、天丼ランチをいただきました。「浜松三ツ星会」の6月研修会に参加させていただいたのです。あの遠鉄百貨店の地下に入っている「神戸コロッケ」や「RF1」「いとはん」などで販売されているコロッケ、サラダ、ジュースなどの「食」の工場です。安藤忠雄建築研究所による設計監理施設のため、外観も含めて撮影出来る所が限られていましたので、この画像のみです。365日毎日5時から20時までの交代制勤務ですが、企業内保育園、ビオトープ、最上階の従業員レストランなど福利厚生施設も充実しています。会議室で、ライブカメラによる葉野菜ラインを説明していただき、一部の生産工程はガラス越しに見学出来ました。
印象に残った説明では、「搬入された野菜類は、目視検査後に一番外側を剥がして洗浄、洗浄後に再び目視検査をして、汚物除去、殺菌、計量…と流れていきます」「コロッケに使われるジャガイモは土付きで搬入させ、状態を目視で確認して皮むきをするが、芽外しは手作業で行う」「コロッケの成形は一個一秒で、一日に37,000個以上の生産」「従業員のユニフォームは全部貸与で、会社側でクリーニングしている。ユニフォームへのローラーがけ、は30分毎に実施」です。なお、ランチは二種類あって、この日は「トンテキランチ」との二種類でした。どちらを選択しても、サラダバー、ドリンクバーはセルフで利用出来ました。ご馳走さまでした。(画像⑦、⑧)
(画像⑦⑧浜松三ツ星会 ロック フィールド静岡ファクトリー)
翌21日は、5ヵ月ぶりに名古屋に行きました。中村区名駅4丁目マルナカ食品センター内「天ぷらとワイン小島本店」で、天ぷらを肴にワインをいただく目的でした。ただ、この日は、昼前に名古屋着にして名古屋城・本丸を見学(画像⑨)、アフターコロナの金シャチ横丁も覗くことにしました。ネット検索で、この横丁での客単はインバウンド需要の外国人観光客価格であることがわかったので、地下鉄「名古屋城駅」からすぐ近くの名古屋市役所東館の社員食堂に飛び込み、「きしめんセット」を頼んだら、この日はミニ天丼付きでした。(画像⑩)税込み520円とリーズナブルでしたが、昨日と同じ天丼になってしまいました。
夜の天ぷらは、元々イタリアンシェフの天ぷらで、ワインに合うように創作されているので、天ぷらが続いても大丈夫でした。ただ、天ぷらの前は前菜として、「こいわしと大根のカルパッチョ」(画像⑪)「からし付の鰻の肝焼き」をいただきました。天ぷらは「牡蠣の天ぷら」「白エビともろこしの天ぷら」(画像⑫)、美味しかったです。このお店は、コロナ禍の年を除いて、もう8年間通い続けています。サッポロ赤星瓶ビールがあって、リーズナブルなワインがあって、創作天ぷらがあって、カウンターから揚げているところが見える、という安定した場所があることに幸せを感じております。
(画像⑨名古屋城・本丸)
(画像⑩名古屋市役所東館の社員食堂)
(画像⑪「天ぷらとワイン小島本店」)
(画像⑫「白エビともろこしの天ぷら」)
2023.7.15 清八