清八でございます。
さて、5月3日です。午前中は、昨日休館日で見学できなかった国立博物館に居りました。この建物は18世紀、後のフレデリック5世王となるフレデリック王子とルイーズ皇太子妃のために建てられたものですが、展示物は氷河期から現代までが三階まで各階ごとに分類されていました。特に古代デンマーク、グリーンランド、アラスカについての展示物は説明書きが全く読めなくても充分堪能できました。入館料は900円位
なのですが、毎週水曜日は無料入館日となるので、小学生や中学生の団体見学や校外授業の場所になるんだそうです。
お昼は、バーガーキングで簡単に済ませて、今回の北欧ツアーのもう一つの目的地、スウェーデンのマルメ市まで出掛けました。このマルメ市は南スウェーデン最大の都市なのですが、2000年7月にデンマークとスウェーデンを隔ててきたオアスン海峡に全長16kmの橋が架かりコペンハーゲンと鉄道が結ばれ約35分で行けるようになっていたのです。ホテルからコペンハーゲン駅までは徒歩3分、往復の切符(約2,400円)を購入してマルメへ、途中の海上の橋からは海上風力発電の羽が見えます。この風力発電は横浜タイヤのCMで放映されているのでご存知だと思います。マルメ中央駅内の観光案内所で観光マップをいただいて運河の橋を渡ったところにボートツアー乗り場があり、デンマーククローネでもOKということだったので、飛び乗りました。所要時間約45分で市内の古い町並みを囲んでいるお堀を一周して見ることができたのです。船を降りてから、お堀側から見かけた公園とマルメ城へ行きました。この城は、円筒形の砦に守られたルネッサンス様式の城塞で周囲はお堀に囲まれていました。1434年の創建なので古城ですが、1937年に修復されて、現在では博物館として氷河時代からルネッサンス期にかけての考古学上の出土品が展示されているそうです。というのは入館しようとしたら、警備のおじさんに「もう、閉める時間だから」と言われて外観巡りで終わってしまったからです。オープンは12時〜16時という事をすっかり忘れていたのです。スウェーデンでは、シーズンオフはこのような時間設定になっているそうですので、自由行動の場合お気をつけください。
駅に戻る経路には広場や繁華街もあり、レストランもたくさんあったのですが、クローナへの両替をしてなかったので断念しました。後からの情報では、このマルメ市内にもお寿司屋が2軒あるんだそうです。橋が架かって交通
が便利になったことによりコペンハーゲン市民の通勤者が増え、このマルメ市の昼間の人口はかなり増え続けているとのことです。経済的にお互いに豊かになっていく事は歓迎するが、お互いの文化が変わっていく事への危惧はどちらにもあるようでした。まだまだ、日本人の観光客は少ないため、13〜16世紀の建物が残っているこの町はお勧めの観光スポットです。
コペンハーゲンへ戻ったら、又、ディナーの心配です。ところが、ホテルへの帰り道を変えたことにより「スモーガスボード」のテイクアウトのお店を見つけることができたのです。「その1」でご説明したのですが、この料理はオープンサンドイッチだとイメージして下さい。普通
、冷たい料理なのでランチ向きでディナー・コースには設定されておりません。ところが、このお店は遅くまでオープンしていたのです。しかも、ショー・ケースに出来立てが10種類ほど並べられていたので、会話の必要も無く、サーモン、ウナギ、チーズ、玉
子焼き、ハンバーグなど大量に買い込み、ホテルの部屋でのディナーとできました。
翌4日は、朝食後、デンマーク・デザイン・センターで最新のデンマーク・デザイン作品を見学、そして今日は水曜日だったので無料入館日となっている「ニュー・カールスベア美術館」に入りました。この美術館は、カールスバーグの歴代社長の個人コレクションでエジプト、メソポタミア、ローマ、ギリシヤ等の彫刻、石棺、美術品は質・量
とも優れています。
コペンハーゲンでの最終の食事は、空港内のオイスター・バーでのデンマーク産の「生牡蠣」としました。少し小ぶりでしたが、地ビールもシャンパンもあって雰囲気もお味も良かったです。今年は海外へ出掛ける機会が増えたのですが、空港内のレストランやバーでのアルコール飲料について、国際線のある日本国内の空港はレベルが低いのではないでしょうか。ビールにしても日本酒にしても、これぞ日本を代表する銘柄を必ず用意しておくべきではないでしょうか。日本人向けではなくて、海外からの訪問者に対して考え直されてはいかがなものかと、考えてしまいました。以前にも書かせていただきましたが、EUの本部はベルギーのブリュッセルにあります。ヨーロッパの「官」の中心になろうとしている街です。今回、訪れてみて感じたのは、デンマークのコペンハーゲンが近い将来「民」の中心になっていくという事です。明治初期に当時の先進的な若者が感じた「小国」への夢と期待が100年後、現実の世界になっていくという実態を同時代に感じられる幸せに感謝しています。
長い北欧紀行レポートにお付き合いいただきまして、おおきにでした。
2005.7.19 |