清八でございます。
居酒屋の定番、「おでん」、浜松市内では関東煮(かんとうだき)といって東京風の煮込みが主流ですが、味噌をつけて焼いた豆腐の田楽がそのルーツなんですね。京都では、関東煮と暖簾が出ていない限り、この田楽なのですが、三河でもこの田楽が美味しく食べられるお店がたくさんあります。上方落語に「田楽喰い」という噺があります。
只今では、懐がぬくくても、仕事があったり、道路交通
法があったりして、そんなことはございませんが、昔は世間がのんびりしてましたんで、昼日中、お天道さんが高い間からでもチャンスがあれば、一杯飲もうという連中が集まりまして…。
「なぁ、おい、町内の顔ぶれがこれだけ揃うというのも珍しいさかいな、これから一杯飲もか、ちゅうのやがな」「ああ、けっこうやな」「そっちのほう、どや」「おっと、おら、賛成」「何や、そのサンセイちゅうの」「よう言うやろ、わいもええでぇ、ちゅうの」「えらい難しい言葉、知ってんのやな、隣は」「おれはアルカリ性」「誰や、訳の分からん事、言うてんのは、しかし、言うとくで、今日は顔ぶれ見たら分かるとおり、俺が出しとこちゅうやつは一人もいてへんのや、今日は、割り前やさかい、そのつもりでな」「あぁー、割り前か」「はぁー」「ため息、ついてるで、こいつ」「ほ、ほたら、割り前は何ぼや」「別
に声を震わさいでも、ええやないか、一人前50銭や、由さん、ちょっと50銭出して」「ごめん、今日、財布忘れた」「こら、言うたれん、忘れるちゅうことは、ようあるこっちゃさかいな、松ちゃん、あんた、出してんか」「財布、持ってるでえ」「えらい、50銭出して」「わるい、中身忘れた」「何にも、なれへんがな」
こんな、関西人特有のボケと突っ込みのやり取りがありまして、何とか、コンパの企画がまとまりますな。誰一人、金を持ってないのに、兄貴分といわれている青年団のOBがパトロンになりまして、一升瓶が10本、集まります。
さて、酒の肴、というテーマに移ります。ケータリングというシステムも無い時代ですから、横町の豆腐屋さんで田楽屋をオープンさせたので、ご祝儀を兼ねて、田楽パーティというプランが出来上がりました。当然、カラオケてな機材も無い時代ですから、何かゲームをしながら飲もうという流れになりまして…。
「なぁ、田楽をただ食たんではおもろないさかいな、今日は、ん廻してなことをやろか」「何や、そのん廻して」「この田楽は、味噌をつけるというて、げんが悪いさかいな、運がつくように『ん』をつけた言葉を言うてな、ん、を一つ言うたら、田楽一本というのや」「ん、を一つ言うと」「何でもかまへんのや、お前からやり」「いやぁ、とてもよう言わん」「何でもかまへんのや」「ほな、一本もらう」「おい、言うてから手を出しいな」「今、言うたがな」「何を言うたんや」「よう言わん、の、ん」「あぁ、入ってるな、これは、次、隣」「わたいはなぁ、れんこんと二本貰いまひょかな」「うまいなぁ、次、由さん」「わしはなぁ、にんじん、だいこん、と三本貰おぅ」「次は、お前はんかえ」「えー、みかんきんかん、こちゃ好かんと四本もらおか」「なかなか、うまいな、お前はんは」「ほな、こんこんちきちん、こんちきちん、と五本」「祇園祭やな、次は」「えー、てんてん天満の天神さんと六本もらうわ」「だんだん上手になってきたな、次は」「本山坊さん、看板ガンと七本」「何のこっちゃ」「本山の坊さんが道を歩いてて、看板に頭をぶつけたとこや」「だんだん増えてきたな、お前はんは」「先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人人間半面
半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板、灸点と、四十三本おくれ」「無茶苦茶言うたらあかんがな」「無茶苦茶やあれへんがな、先年神泉苑の門前……、あのな京都に神泉苑ちゅうとこがあるやろがな、あそこの門前を通
ったら、薬屋があるのや。その薬店に、玄関番みたいにこの人間の半面
半身のこんな木像があるやろ、半分体を断ち切って内臓やなんかを見せた人形な、あれがこう玄関番みたいに置いてあるちゅうのや、金看板と銀看板があって、金看板のほうは根本万金丹と書いてあって、銀看板のほうには根元反魂丹と書いてある。別
にひょうたん型の看板があって灸点、やいとの点やな、灸点おろしますと書いたある。それを言うたもんや。もう一ぺん言うてみよか。先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人人間半面
半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板、灸点と、二へん言うたさかい、八十六本、もらうわ」「うわー、みな、持っていったがな」
わぁー、わぁー、言うております。「ん廻し」、こんなゲームをコンパでいかがでしょうか。
2006.3.7 |