「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2024年、アフターコロナのエトセトラを報告?します 8月篇」

 

 清八でございます。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。それでは、8月分を報告させていただきます。浜松三ツ星会の8月見学会レポートもあります。

 

■明石散人著「月とスッポンと日本語」講談社 (2000.11.16) 中古本

 私が生まれて、暮らしている湖西市には、合併前の旧新居町時代の図書館と湖西市時代の図書館の2館があります。新居町立図書館は、1924年に旧新居関所の建物内に開設され、今年は100周年記念イベントが展開されています。1956年から1970年までは関所東側の中央公民館一階にありました。私は、関所のすぐ南側で生まれ、1965年までは暮らしていたので、学校帰りや夏休み・冬休みは毎日のように、この図書館内に居りました。当時は、大人用・子供用の分類が厳しくなかったためか、約4000冊の蔵書のうち、大人用を全部読破した記憶がありました。そのためか、中学校の古典の教科書の内容は、小学三年生ですべて読んで、理解出来ていました。先生にとっては、とっても嫌な生徒?だったと思います。ところで、現図書館では年二回、たぶん発行年により選別された蔵書本をリサイクル本として配布してくれます。私は、もう10年以上いただいた書籍が100冊はあると思います。この一冊も、このリサイクル本です。

 この書籍は、「うんちく」本の一冊でした。26~28頁に「鯛は何故お目出度い」の項目がありました。「…鯛の皮は淡紅色で皮を剥ぐとその身は真っ白です。目出度いのはごく単純に紅白だからですよ。問題なのは鯛が何故お目出度い席に使用されるかではなく、何故紅白が目出度いのか、こっちの方なんです。‥神功皇后は宇美という所で応神天皇を出産しますが、この出産の折、天から赤と白の沢山の幡が舞い落ちてきて、神功皇后のお姿を隠すんです。応神天皇の誕生は女帝にとってはこれ以上ない喜びですし、日本国にとってはこれ以上ないお目出度いことでしょう。だから紅白はお目出度いんです。‥」(画像①)

 


(画像①月とスッポンと日本語)

 

■「東京人9月号」都市出版 (2024.8.3) 新刊本

 この号は、38~41頁に掲載されている春風亭昇太師のインタビュー記事「ライフワークのひとつ 中世城郭研究に時代が追いついた?!こんどこそ卒業します!」を読むためだったのですが、106~109頁に、「東京異国ごはん巡り③イタリア・サルデーニャ」が掲載されていました。2007年に渋谷区道玄坂にオープンされた「タロス」の紹介記事がありました。「新鮮貝類のフレーグラ」、サルデーニャ名物の粒状パスタ「フレーグラ」をたっぷりの貝の出汁を吸わせて、フレッシュトマトと貝の旨味、お店を代表する一品とのことです。魚料理では「一本魚を使用したヴェルナッチャ・ディ・オリスターノ風味」とヨーロッパ最古のお菓子といわれる「セアダス」。

 これは、東京に出かけた時に必ず、食してみたいと、スマホに登録しておきました。(画像②)

 


(画像②東京人9月号)

 

 

■三田村鳶魚著「江戸の衣食住」青蛙房 (1957.7.7) 中古本

 この著者は、1870年武蔵国八王子(現在の東京都八王子市)の八王子千人同心の家系に生まれ、日清戦争の従軍記者、報知新聞記者などを経て江戸風俗や文化を研究、「鳶魚江戸学」として貴重な江戸時代の随筆や聞き書きを史料としてまとめられた学者さんです。

 171~200頁に「天麩羅と鰻」として、誕生秘話が書かれていました。蒲焼の起りは、二つあって、「…その一つは斎藤彦麿が『傍廂』に書いた説、もう一つは山東京傳が『骨董集』に書いた説でありまして、大抵なものはこれで済ましてゐる‥」「斎藤の説によりますと、蒲焼の起りは鰻の口から尾まで竹串を通して、それを鹽焼にしたので、今の魚田のようなものである。形が蒲の穂に似てゐるからこの名が起った。然るに今は背から割いて、横に串を刺したのだから、鎧の袖には似てゐるけれども、蒲の穂には関係がない、名義は取失ったようなものであるが、食っては旨いから、相変わらずの評判になっている、今の形で蒲焼の名を得たものではない、といふのです。‥」「…京傳の説はさういふ形状の話ではない。焼いたところが紅黒くて、樺の皮に似てゐるから樺焼だという説が諸書に見えているが、これは不稽の説である。藤原明衡の書いた『新猿樂記』に『香疾大根』といふ言葉がある。これは香しい匂が早く鼻の孔に入るからの謂れであらう、鰻を焼く時の香は格別のものだから、そこから来た名稱らしく思われる。畢竟『樺』の字を宛てるから、樺の皮などといふ説を生ずるので、『はをり』に『羽織』の字を宛てた為に、いろいろな説が出たのと同じである。‥」(画像③)

 


(画像③江戸の衣食住)

 

 

■中村芳平著「居酒屋チェーン戦国史」イースト新書 (2018.10.15) 中古本

 外食ジャーナリストとして約30年、外食業界・居酒屋業界の取材を続けてきた筆者による「居酒屋チェーンの歴史と世界」を集大成であった。「養老乃瀧」「鮒忠」「村さ来」「つぼ八」「八百八町」「モンテローザ」「ワタミ」「コロワイド」「がんこ寿司」「大庄」「鳥貴族」「串カツ田中」などなど、外食産業の中の居酒屋チェーンがどのように誕生し、チェーン店を拡大出来、バブル期を経て、リーマン・ショック以降は、M&Aを繰り返し、どのように営業形態を変えていったのかを一冊にまとめている。

 21頁に「…筆者は大手居酒屋チェーンのフランチャイズ店舗を運営している友人から、居酒屋経営の裏話を聞くことがある。彼は常々こう話す。『いったん客単価が高い居酒屋商売をすると、酒を出さない定食屋なんかにはバカらしくてもう戻れなくなりますよ。固定客に恵まれれば、居酒屋商売ほど儲かる商売はないと思いますね。』居酒屋業界は競争が熾烈で閉店するリスクも大きいが、ひとつ成功すると大儲けできる。ここに人間の金銭欲を刺激する居酒屋商売の最大の魅力があるといえるだろう。」

 34~35頁に「ビアホール」について書かれていた。「…文明開化でビールが飲まれるようになると、1899年8月4日、現在の東京・銀座八丁目に日本初のビアホール『恵比寿ビアホール』が開業した。日本麦酒社長の馬越恭平のアイデアで、工場直送の出来立ての生ビール『エビスビール』を10銭で販売、ビールを宣伝するのが目的だった。これが、富裕層を対象に一日の来客数が平均800人、ビールを1000リットルも販売するほど大繁盛し、やがて宣伝から離れて営業自体を目的とするようになった。」「…ちなみに、現存する日本最古のビアホールは、1934年4月開店の『ビアホールライオン銀座七丁目店(運営「サッポロライオン)』である。一階のビアホールは開業以来まったく手を加えてこれまでおらず、今では『ジャパニーズ・ビアホール』として訪日外国人の観光コースに組み込まれ、人気スポットになっている。(画像④)

 


(画像④居酒屋チェーン戦国史)

 

 

■「暮しの手帖 第2世紀 46号」 (1977.2.1) 中古本

 これまで何回も書かせていただきましたが、私の愛読書の一つが「暮しの手帖」なのです。実家のあった場所が、新居関所の現在の大御門の道路を隔てた南側なんです。そこで生まれて小学4年生まで暮らしていました。実家の両隣は酒屋と洋食堂、はす向かいに煎餅屋、町内には駄菓子屋、うどんや、鮨屋、アイスキャンディー屋、魚屋、八百屋、乾物屋、肉屋、総菜屋、塩の専売店が立ち並んでいて、ある意味での大都会だったと思い出します。実家の裏には井戸があって、天然鰻の漁師さんが捌いていて、生の肝を食べさせらた記憶があります。高校二年の頃に学校の図書館で見たのがきっかけになって、「暮しの手帖」が愛読書になりました。定期購読するようになったのが、この第2世紀46号からでした。ところが、何回かの引っ越しで紛失していたのです。今回、ヤオフクで入手出来たのです。これで、この1977年2月からのバックナンバーを揃えて保管することが出来ました。

 表紙をめくったら、いきなり「ネギを一本買えますか」のキャッチコピーがあり、一本のネギの写真が掲載されていました。この特集のために、編集部員さんたちは全国で調べてみたのです。「…しらべた範囲は、全国の47都道府県にまたがっています。そのなかで、無作為にえらんで81の市と町と東京都内23区の八百屋さんについてしらべました。店の数は1078店になります。その内訳は、八百屋さんが688店、スーパーが352店、生協が38店です。しらべたのは51年の11月20日ら12月12日までの23日間で、調査にあたったのは189人でした。東京都を含めた全国のまとめでは、一本でも売ってくれた店は、全体の3分の1しかありません。残りの3分の2の店では、1本は売ってくれませんでした。‥八百屋さんにも、パック売りの店が、ずいぶんとふえています。これは、たぶんスーパーの影響でしょう。すぐ近所に、大きなスーパーが2軒もある八百屋さんでは、『こんな場所では、スーパーに対抗して、パック売りをしなければやっていけないんだ』と、1本売りをしないわけを話してくれました。しかし、これは、考え方が逆ではないでしょうか。そのあたりでは、マンションや大きな団地がいくつもあって、若い主婦が目立ちます。スーパーがみんなパック売りだったら、むしろ1本売り、1コ売りを看板にしたら、家族の少ない家は、よろこんで買いにくるはずです。現に、下町の売上げの多い店は、ねぎと限らず、なんでも1本売り、1コ売りをやっているからだと、主人がほこらしげに話してくれたのです。」

 この内容は、1976年です。昨年4月、新居町内に新スーパーが開店しました。そのすぐ南側には以前からの地域スーパーがあります。詳しくは書けませんが、この昭和51年の事例のようで日々、1本売り、1コ売りに通っております。もちろん、地域スーパーの方にですが‥。(画像⑤)

 

 


(画像⑤暮しの手帖)

 

 8月27日(火)は、台風による悪天候の中、浜松三ツ星会の勉強会でした。湖西市白須賀の「浜名湖ファーム」さんで、うずら卵の生産現場の見学でした。ご存じの方はご存じなのですが、学校給食現場のトラブルで「うずら卵」の消費、販売に支障が発生しているのです。学校給食への提供見合わせで、在庫180%になっていたんだそうです。

 豊橋・東三河のお蕎麦屋さんでは、ざる蕎麦・もり蕎麦に、うずらの生卵がついてきます。それを割って、出汁に入れて食します。浜松・関東方面の方からは「何で?」と聞かれる事が多かったのですが、今回二つの理由がわかりました。一つは、豊橋がうずら卵の全国生産日本一であること。二つ目は、元々、魚粉の含まれる飼料を使っている為、卵に魚の成分が含まれていて、出汁が美味しくなるという効果なのだそうです。茹で卵のレシピですが、しっかり沸騰させたお湯で茹でて、冷水で冷やすと、殻向きしやすいと教えていただきました。お土産の有精卵、茹で卵にしていただきました。ありがとうございました。(画像⑥、⑦、⑧)
 

 


(画像⑥浜松三ツ星会の勉強会)

 


(画像⑦浜名湖ファーム)

 

 


(画像⑧うずら卵)

 

2024.9.25 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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